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【律法を知らなかった馬鹿な私】ネヘミヤ記8章10節を10年考え続けた話

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目次 2012年10月16日 ネヘミヤ記8章 2015年8月18日 ネヘミヤ記8章「再び」 2022年2月25日 ネヘミヤ記8章10節、しつこく3回目 2012年10月16日 ネヘミヤ記8章 今朝起き抜けに昔よく歌っていた「主イエスを喜ぶことはあなたの力です」という歌が思い出されました。 これはたしかネヘミヤ記の御言葉なのです。 本棚からハンディコンコルダンス出して調べると8章10節らしいという事がわかりました。 「さらに、ネヘミヤは彼らに言った。「行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。 あなたがたの力を主が喜ばれるからだ 。」ネヘミヤ記8章10節後半(大型聖書新改訳第3版) …何だか…歌とちょっと違います。気になったので、昔使っていた 新改訳第2版 のスタンダード聖書をもってきました。(注が付いているから)  すると欄外に 「別訳『主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから。』」 とありました。 なるほど~。  しかし、「別訳」って簡単に言いますが、ずいぶん違いますよねえ。 「あなたがたの力」を「主」が喜ばれるというのと 「私たち自身」が「主を喜ぶ」というのでは 喜んでいる人が変わっちゃってます。   それで本日三冊目、 新共同訳聖書 を本棚からもってきました。(だんだんテーブルが混んでくる) 「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」と書いてあります。これは別訳の方ですね。  ついでにもう一冊。口語訳「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」 ただ、12節を読むと、新改訳の第3版にもこう書いてあります 「こうして、民はみな、行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである。」 教えられたことを理解した彼らがとった行動は「大いに喜んだ」のですから、「私たちが主を喜ぶ」…のかなあ… わからないなあ。  そうだ、英語の聖書も見てみましょう!  まずは NIV で同じ箇所を読むと 「Do not grieve,for the joy of the Lord is your strength」...

創世記9章6節דם

また、私はあなたがたの命である血が流された場合、その血の償いを求める。あらゆる獣に償いを求める。人に、その兄弟に、命の償いを求める。 人の血を流す者は 人によってその血を流される。 神は人を神のかたちに造られたからである。 創世記9章5、6節(聖書協会共同訳)   שפך דם האדם באדם דמו ישפך כי בצלם אלהים עשה את האדם׃ 一時間くらい6節を眺め続けておりましたが דם という二文字が心をとらえました。 דם はblood血液です。なぜ דם がblood血液なのだろう。 「人」という意味のアダム אדם は土という意味のヘブライ語に由来しているはずなのだけれども、 דם という二文字はアダムにも土にも含まれているわけです。 דם とはなんだ?   ד  daletはウィキペディアによれば「扉」という意味のある文字です。 だとすると、扉の向こうに ם  mem=「水」   扉の向こうに水がある・・・とすると、水は外には出ない。つまり、中に水があるということでしょうか?そうか、血液は身体の中に入っている水だからそうなるのか。(個人の見解です)   そういう観点で אדם という語を見ると、 確かに土も水を保っていますね。砂ではなく土だから。 あ、新約のたとえ話を思い出しました。よい土にまかれた種はたくさん実を結ぶ。 א という「神さまマーク」がついている良いもので、中に水がはいっている「土と人間」。 中の水は人間であれば「血液」だということか。(勝手に納得=個人の見解ですw) ところで以前、BIBLE HUBでStrong's Exhaustive Concordanceのヘブライ語を1番から眺めていた時に気付いたことですが、1番は אָב でabと読み、意味はfatherお父さんなのですね。 で、そこに ד という文字が付いた אָבַד という単語が6番にありましてabadと読むそうですが、たった一文字くっついただけで恐ろしい意味になってしまうのです。 Strong's ConcordanceのDefinitionでは to perish滅びる! NAS Exhaustive Concordanceではannihilate(絶滅させる)、destroy(...

【調べ学習】カデシュ・バルネアについて

 昨日の「カデシュ」に引き続き、今日はカデシュ・バルネアについて調べました。 「カデシュ」と「カデシュ・バルネア」はヨシュア記の14章6、7節を見るとこう書いてあるので(聖書協会共同訳聖書から引用します)   ギルガルのヨシュアのもとにユダの一族が進み出た。ケナズ人であるエフネの子カレブがヨシュアに言った。「私とあなたのことについて、主がカデシュ・バルネアで神の人モーセに告げられた言葉を、あなたはご存じのはずです。主の僕モーセが、この地を偵察させるために私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。私は思ったとおりに報告しました。   民数記13章のカナンの偵察の箇所と比較して考えれば「カデシュ」と「カデシュ・バルネア」が同一の場所であることが分かります。   ならばどうして同一の場所について「カデシュ」と「カデシュ・バルネア」という呼び方があるのか、 市町村合併とかをやって名前が変わったというわけではないはずでそのあたりのことを調べました。   まずは、「カデシュ・バルネア」という地名が聖書のどこに登場するのか、聖書協会の聖書本文検索とBIBLE HUBのコンコルダンスを使って調べました。   聖書協会の本文検索でカデシュ・バルネアをキーワードにして検索すると 民数記(2回)、申命記(4回)、ヨシュア記(4回)の合計10回登場しているということが分かります。 以下聖書協会共同訳聖書より引用     民数記32章8節 あなたがたの父たちも、私がカデシュ・バルネアから彼らを遣わしてその地を偵察させたとき、同じようなことをした。 民数記34章4節   そこからアクラビムの坂の南を回り、ツィンを経て、カデシュ・バルネアの南に至ってその極限となる。そこからハツァル・アダルに進み、アツモンを通る。   民数記には「カデシュ・バルネア」ではない「カデシュ」という言葉が8回登場していることが昨日の調べ学習で分かりました。 そして、バルネアのついていない「カデシュ」という言葉が登場するのは13章から33章まででした。 また、33章は「旅のまとめ」のような部分であるということを考え合わせると、 民数記において「カデ...

【調べ学習】カデシュ(地名)について

 今日は、「メリバの水」に登場したカデシュという地名が登場する聖書の箇所について調べてみました。 まずは 日本聖書協会 https://www.bible.or.jp/ の「聖書本文検索」で、カデシュというキーワードで検索しました。(カデシュという語で検索すると「カデシュ・バルネア」も含まれてヒットしますが、今日は それ以外 の「カデシュ」についてピックアップします) 聖書協会共同訳には6つの書に含まれるという検索結果が出ます。カッコ内は数。 創世記(3)、民数記(8)、申命記(2)、士師記(2)、 詩編(1)、エゼキエル書(2)、 次に新共同訳で検索をかけると、サムエル記下があり7つの書に含まれているという検索結果が出ます。 創世記(3)、民数記(8)、申命記(2)、士師記(2)、 サムエル記下(1)、詩編(1)、エゼキエル書(2)   サムエル記下24章6節(新共同訳) ギレアドに入って、ヘト人の地カデシュに至り、ダン・ヤアンからシドンに回った。       サムエル記下24章6節(聖書協会共同訳) それから彼らはギルアドに入り、タフティム・ホドシの地に行き、ダン・ヤアンを経てシドンに回った。     BIBLE HUBでこの箇所をヘブライ語聖書を見ると  ויבאו הגלעדה ואל ארץ תחתים חדשי ויבאו דנה יען וסביב אל צידון׃ となっていてカデシュはなく、聖書協会共同訳でタフティム「ホドシ」とカタカナで表記されている部分ホドシChodshiを当時の解釈でヘト人の地「カデシュ」と読んだのでしょう。 ちなみに聖書協会共同訳でいうところのタフティム・ホドシは Strong's Hebrew8483. Tachtim Chodshiで、コンコルダンスによれば聖書にはたった一度しか登場しない地名であるようです。   次にBIBLE HUBで調べました。 6946. Qadesh קָדֵשׁ https://biblehub.com/hebrew/6946.htm 」 Englishman's Concordanceによると聖書には地名としてのこの語קָדֵשׁが18回登場ということで、聖書協...

闇夜から朝までの間

ドマについての託宣。セイルから私を呼ぶ者がいる。「見張りの人よ、今は夜の何時か。見張りの人よ、今は夜の何時か。」 見張りは言った。「朝は来る、だが、まだ夜だ。尋ねたければ尋ねよ。もう一度来るがよい。」 イザヤ書21章11、12節(聖書協会共同訳)   2020年の8月に「闇」という記事を書きましたが、 2022年が明けた今もまだ、私たちは暗闇のような世界におります。 今日、群馬の空がどんなに青かろうが、 猛烈に吹き付けるからっ風に苛立ちながら、下を向き歯を食いしばって 継ぎ目だらけのアスファルトを見つめて歩く。 右から左からごうごうと吹き荒れる風の音。 そしてその隙間から聞こえてくる救急車の音。 闇の中、わけがわからなくなってしまった世の中にあふれる 敵意、憤り、ねたみ、 そして責任のある立場の人たちの行いとはとても思えない 不品行、不正。 世界中混乱の上に混乱。 なにがなにやら わけが分からない!   昨日、三日間の暗闇について考えましたが、 世を覆いつくす「暗闇」がどんなに長かろうとどんなに暗かろうと 光のある所で暮らしているはずの私たちには忘れてはいけないことがあります。 一つめは、その暗闇を「許可した」のは天の父なる神さまである、ということ。 二つめは、インマヌエルであるということ。 そして三つめは、主の造られたこの地球で暮らしているものであれば全員が分かっている自然が示すTorahトーラー、天地が造られてから一度も変更されることのないルール 夕になり、夜が更けたあとには、必ず朝が来る、ということ。   聖書には暗い夜から夜が明ける頃までに起こったエピソードがいろいろ書かれています。 創世記32章では何者かが「夜明けまで」ヤコブと格闘しています。 そして、マルコによる福音書6章ではイエスさまが「夜明け頃」湖の上を歩いて弟子たちのところへ行かれます。 また、ヨハネによる福音書21章では「夜が明けた頃」にイエスさまが岸に立っておられるのです。 (それぞれのストーリーはよく知られたものですが、もう一度ぜひお読みください!)     詩編139編を新共同訳で読むと、11節にこんな御言葉があります。 「闇の中でも主はわたしを見ておられる。」 当然のことながらこれは、闇で苦しめてやろう、あ...

三日間の暗闇

主はモーセに言われた。「天に向かって手を伸ばしなさい。すると闇がエジプトの地に臨み、誰もが手探りで闇を感じるようになる。」 モーセが天に向かって手を伸ばすと、暗闇がエジプト全土に三日間臨んだ。 三日間、人は互いに見ることも、自分の場所から立ち上がることもできなかった。しかし、イスラエルの人々が住む所には光があった。 出エジプト記10章21~23節(聖書協会共同訳)     この箇所を読むたびに思うのは、 エジプトは闇、イスラエルには光、というわかりやすい二極の対比のゆえ、「イスラエル」には光なのだから、わざわいの時には間違いなくそちら側に立っているべきということであったり、キリスト教徒ならば光の中に置かれる、という確認の思いだったりするわけですが、 今朝は何となく、「でも、ちょっと待ってよ、三日間も暗闇だったとしたら・・・」 なんとなく、エジプト人側に立って考えたくなりました。   ご存じのように三という数字は聖書の中では特別な数字であるとされています。 そして、この三日間というものが私たちの生活の中にある三日間と完全に同質のものであるのかは、まあ教会によって解釈はいろいろありましょうが、場合によって異なるような気が「私」はしております、例えばサムエル記下24章13節の「疫病が三日間」という話は約24時間×3だったらうらやましい限り(;´Д`A ```で本当???とか思ってしまいますし、エズラ記8章32節のような「私たちはエルサレムに到着しそこに三日間とどまった」にある三日間が千年は一日のよう~を適用して3000年・・・などということがあるはずはない。 そういう感覚でこの十の災いの箇所を読んだとき、 まあ、私たちの知る約24時間×3もしくはそれに近いような時の長さで、人間の感覚として「もう十分、もう嫌だ」となるような、「完全」というようなニュアンスを表現する日数なんだろうか、と思いました。 で、自分がもしもエジプト側の人だったとしたら、 どうでしょうかみなさん、エジプトの人々は三日間何もせずにぼーっとしているでしょうか? 24時間×3であろうが、完全数であろうが、たぶん、まず暗闇がスタートした一日目、 「何が起こったんだ??」と驚いて、現状分析を開始しそうな気がします。 真っ暗なのに分析できるのか、と思われるかもし...

死の陰

 詩編23編4節の中にある表現が気になりました。   たとえ死の陰の谷を歩むとも 私は災いを恐れない。 あなたは私と共におられ あなたの鞭と杖が私を慰める。(聖書協会共同訳) 「死の陰の谷」とは何でしょうか?   BIBLE HUBでヘブライ語聖書を見てみます。 https://biblehub.com/text/psalms/23-4.htm גם כי אלך ב גיא צלמות 谷は גיא そして צלמות  tsalmavethが死の陰と訳されています。 צלמות は、tsel と mavethが合わさってできた言葉で、 צֵל  tselが陰、 מָוֶת  mavethが死という意味があります。   ここで、tselの「訳」ではなく、構成しているヘブライ文字を見てみます。 צל צ という文字を見てすぐに思い出したのは צֶדֶק  tsedeq という言葉です。このツェデクは日本語の聖書にあるメルキゼデクの「ゼデク」の部分で、「義」です。 צ は釣り針の形からできた文字だと言われていますが、この文字はツェデクの意味を踏まえて「曲がったヴァヴ」と「ヌン」の合成された形、 つまり、ヴァヴとは神聖四文字にも含まれる文字でありますから、神さまご自身が曲がられる=神さまご自身のご謙遜=天から下られたイエスさま をイメージさせる文字 であり、 ヌンとはもともとは魚の形からできていますから、詩編72編17節に出てくる נוּן のような、王の名が「とこしえに続く」というようなイメージのある文字です。   その二つが合わさったようなイメージが צ という文字にあるとすると、 そのあとに続く ל が何であるのか。 ל は杖や突き棒の形からできた文字のようです。そして、 ל (ラメド)という言葉に近い לָמַד  lamadという言葉はteachつまり教えると訳されています。     「死の陰」   言葉はとても暗く神さまとはなんのかかわりもないような暗さや恐怖を感じますけれど、しかしそれはまちがいなく神さまの支配下にあり必要な通り道である死の陰。     次から次へとひどい患難があるときにもそこに羊飼い...

生めない、ふやせない

ואתם פרו ורבו שרצו בארץ ורבו בה׃ あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ 創世記9章7節(口語訳)     「ほとんどの先進国で少子化傾向」だと内閣府の資料に書いてありました。 https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2004/html_h/html/g1630010.html 言葉の引用のために2004年の資料から引用しましたので、新しい資料へのリンクも入れておきます。 https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03webhonpen/html/b1_s1-1-2.html#zh1-1-04 少子化とは、創世記9章7節のようになってはいない、ということです。 神さまは 「あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、地の上にふえよ」 とおっしゃいましたが、 つまり、それが「みこころ」ですが、 先進国の現状は 「わたしたちは、生めない、ふやせない、地に群がらない、地の上にふえない」 ということです。 「生めない、ふえない」ではなく「生めない、ふやせない」と書いたのは、私自身の個人的な思いとしての「unable」という思いがいろいろあったからですが、 個々人の問題をわきに置いたとしても、それがהָאָ֫רֶץ(地)の、少なくとも先進国と呼ばれている国々の現状です。 人間だけの話ではありません。「レッドリスト」という言葉がありますが、それは絶滅のおそれのある野生生物の種のリストのことです。「絶滅危惧種」という言葉を耳にされたことがあると思います。 環境省のサイトに公開されているものを見ますと、令和元年度に公表されたレッドリスト2020において、レッドリスト2019と比較して絶滅危惧種が40種増加し、合計3,716種となったと書いてあります。 https://www.env.go.jp/nature/kisho/hozen/redlist/ もちろん、まだまだ「新種発見!」というようなニュースもあり、人間にとって未知のものが数に加わり、種類は増える可能性はあるのかもしれませんが、 創世記1章で、次々と生き...

ヨハネの黙示録22章とאת

 研究者でもないし論文でもないし、ということで今日もかなり無責任なことを書きますが、 今日のタイトルにした את Strong's 853. eth 創世記1章1節を読むといきなり登場するこの言葉、下のリンク先を見ていただければ分かることですが https://biblehub.com/text/genesis/1-1.htm 英語の欄が空欄となっているのです。 なんじゃこりゃ、という感じの言葉。 しかもこの単語、相当な頻度で登場するわけです。 ただ、この単語の初見の段階で、これは黙示録に出てくるあれでは?と思ったわけです。 アルファでありオメガであるというあの御言葉。 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。 ヨハネの黙示録22章13節(口語訳)  見たままのそのままの印象なわけですが。 黙示録はギリシャ語からの翻訳だからΑΩですがそのままヘブライ文字にすれば853番になりそうだなあ、と。   じゃあ、始めであり終わりであるというのはどういう意味なんだろうか、それよりも前はなくそれよりも後はないというのはどういう意味なんだろうか。 で、創世記を書き写しながらこの言葉が登場するところにマークを入れてみたところ、 まずは上にリンクをはった1章1節を見ていただくと「הַשָּׁמַ֖יִם」(天)の前と「הָאָֽרֶץ」(地)の前にあるのですね。 そして次に登場するのが4節「הָא֖וֹר」(光)。 で、光を造られた神さまはおっしゃるわけです、כי טוב これは完ぺきだ!素晴らしい!とっても良い!! そんな風にチェックを入れながら2か月くらいたったあたりで、私の目にはאתという単語が「神さまブランドのロゴマーク」のように見えてきました(笑) את これは神さまが愛を込めて作ったものです!とってもとっても素晴らしい出来です!品質は保証します!完璧です! そしてそのブランドマークを見るたびに私の脳内にこんな言葉が現れるようになりました。 「 את 不足しているものは何もない。付け加えることは許さない!余計なものは何もない。取り除くことは許さない!」   そして気づきました。これも黙示録22章だ、と。     この書の預言の言...

メリバの水

思うところがあって今日は民数記20章を読みました。  イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュにとどまった。ミリアムはそこで死に、その地に葬られた。 地名の「カデシュ」、見た瞬間、ヘブライ文字のクフが付く単語に違いない、と気付きました。調べてみると、やはりStrong's 6946. Qadesh קָדֵשׁでした。sacred神聖という意味です。 さて、そこには会衆のための水がなく、彼らはモーセとアロンに詰め寄った。 「水」がない。 「荒れ野」における「水」問題。 私たちの人生(信仰生活)でも繰り返されるこの問題。 「水」「水とは?」「水はどこにある?」「水は誰が下さる?」 福音書でも話題になるこの問題はTorahを読めばきちんと書かれています。 主はモーセに告げられた。「杖を取り、あなたと兄アロンは会衆を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたは彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に水を飲ませなさい。」 忍耐深い神さまはモーセにリーダーとして行うべきことを指示されます。 「岩」! 岩については以前調べ学習しました。 そして、ここで使われてる岩という単語は岩と言っても  סֶלַע  selaなので、英語で言えばcragのこと。険しい岩山。 「岩」は調べ学習でも書いた通り、ダビデもイザヤもハバククも、 「より頼むことができる揺るがないお方」を表現するために用いていたたとえです。 「岩に向かって、水を出せと命じなさい」と新共同訳聖書には書いてあるところをヘブライ語聖書で見ると אתה ואהרן אחיך ודברתם אל ה סלע לעיניהם ונתן מימיו והוצאת להם מים מן ה סלע והשקית את העדה ואת בעירם׃ 「あなたとあなたの兄アロンは岩に言いなさい 彼らの目の前で そして出る 水 岩から そして飲ませる (אֶת)会衆と (וְאֶת)動物たちに」 神さまがこの言葉をもって伝えられたことは、 「岩に言うと岩から水が出て飲める」ということです。 カデシュにとどまっている強い渇きを覚えた民たちがモーセに渇きを訴えたら「岩」のところに行くわけです。そして、神さまと民の間に立つ仲介者であるモーセは「岩」に言う、つまり民はモーセの...

【調べ学習】弓とヘブライ文字ק(クフ)

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小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。 ヨハネの黙示録6章1、2節   今朝は創世記の9章6節を新共同訳で読んでいて、ちらっとひだりがわに目をやると「虹」という文字がありました。で、ああ、そろそろ全文書き取りにも「虹」が出てくる頃だわ、と思ったらヘブライ語で虹とはどういう文字で書かれるのか気になって気になってどうしようもなくなり、ついに誘惑に負け?朝食前のいそがしい時間帯なのにBIBLE HUBを見てしまいました。 Strong's7198. qesheth קֶשֶׁת https://biblehub.com/hebrew/7198.htm スマホでアクセスしてわずか1分、7198番が「虹」であるということをBIBLE HUBは教えてくれました。 さらにその数秒後、この7198番のこのヘブライ語が、この箇所以外のどこに使われているのかということをEnglishman's Concordanceによって知ることができたのですが ちょっとびっくりしました。 コロナ禍になってから何十回となく読み返したハバクク書3章9節の「弓」といういう言葉はこの7198番だったのです。       ハバクク書3:9   HEB: עֶרְיָ֤ה תֵעוֹר֙ קַשְׁתֶּ֔ ךָ שְׁבֻע֥וֹת מַטּ֖וֹת NAS: Your bow was made bare, KJV: Thy bow was made quite naked,           あなたの弓は取り出された。   矢は、弦につがえられた。〔セラ あなたは川をもって地を裂かれた。(口語訳聖書)   だからどうした?と言われそうですが、 私には以前から心に引っかかっている「弓」問題と「ヘブライ文字 ק (クフ)」問題というものがあり、   「弓」問題↓ 【調べ学習】白...

【調べ学習】666

666という数字、日本語の聖書で六百六十六と訳されているのは、ギリシャ語の聖書で算用数字が使われていないからですが おそらくヨハネは黙示録をギリシャ語で書いたのではなくヘブライ語で書いた…と思うのでこんな風に書いているんだと思います六百六十六を。 שֵׁשׁ מֵאוֹת וְ שִׁשִּׁ ים וָ שֵׁשׁ 右側から読むとこう読めます שֵׁשׁ מֵאוֹת  six hundred שִׁשִּׁ ים  sixty שֵׁשׁ   six   六百と六十の、そして六十と六の間に挟まっている縦棒のような文字はヴァヴで、英語ではandと訳します。 ヘブライ文字はものの形から作られた文字であることが知られていますが、 聖書ヘブライ語の単語にも見るからに形から作られたように見える単語があり 例えば「太陽」を意味する単語のうちの一つにはこんなのがあります。 שֶׁ מֶ שׁ いかにもキラキラしてそうな文字 ש が両脇に配置されているわけです。 まあ、これ以外にも太陽を表す言葉はあるので、こういうものもある、というだけの話ですが。 さて、コンコルダンスを眺めていたらこんな単語がありました。 「六」と綴りが同じ単語です。 שֵׁשׁ  Strong's Concordance8336 これは英語で言うとbyssusなんだそうです。まさに物の形から来てる感じ。気持ち悪いです😩 ところで、byssusってなんだかご存じですか?ぜひ調べてみてください。画像検索がおすすめ。   もっともこのbyssusという英語が充てられているStrong's Concordance8336の単語は日本語聖書では「亜麻布」とに翻訳されていて検索すると出てくるbyssusとは異なります。 https://biblehub.com/hebrew/8336.htm     だから何かって? だから、単なる調べ学習です。       ちなみに שׁשׁ という綴りの単語は「6」と訳されているものだけではなく 8337b. shesh アラバスター があります。 アラバスターについてウィキペディアにはこう書いてあります。 アラバスター(Alabaster)は美しい白色...

バベルの塔とハルマゲドン(1)

全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。 創世記11章1~9節 ויאמרו הבה נבנה לנו עיר ומגדל וראשו בשמים ונעשה לנו שם פן נפוץ על פני כל הארץ ׃ 11:4בראשית 有名なバベルの塔のお話を口語訳聖書から引用しました。 4節を青い文字色にしましたが、 その箇所をヘブライ語聖書で見て、興味深い言葉を見つけました。  מגדל  ミグダル  塔 Strong's Hebrewでは4026番です。 https://biblehub.com/hebrew/4026.htm Strong's Hebrewで、この単語の前にあるいくつかの単語、つまり、綴りの似た単語に目を留めてみたところ気になることがありました。 4022.    meged   メゲド  מֶגֶד  excellence  優秀、卓越性 4023.    Mgiddown ミギドウン  מְגִדּוֹן  a tower  塔 4023a.  migdol  ミグドル a tower 塔 4023b.  Megiddon or Megiddo メギドン または メギド a place in Manasseh マナセにある場所 4023番b つまり、ハルマゲドンのマゲドンの部分にあたる「メギドン」または「メギド」...

虹は「雲」の中に

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神はノアおよび共にいる子らに言われた、「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。 創世記9章8~17節 (口語訳) 日本語の聖書でこの箇所を読むとき、私の頭の中では勝手な要約が行われていたということに最近気づきました。 ・肉なるものは洪水で滅ぼされることはない ・その契約のしるしは虹 そして、そんなふうに要約をしながら、目線は常に「虹」に行っておりました。 (もっとも、要約してしまうのは、ここの箇所に限ったことではなく、あらすじと教訓めいたものを覚えて実生活に適用するのがクリスチャン生活だと思っておりました。) 2020.11.23朝 @わが家の上 しかしヘブライ語聖書でこの箇所を読んでみて 今回は(次回はまた次回で視点が変わるかもしれませんが) 「虹」という言葉より「雲」という言葉がとても気になりました。   「すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。」 この御言葉の中に登場する「雲」という言葉は עָנָן   ...