投稿

2月, 2025の投稿を表示しています

創世記1章1節(4)左から読んだら

בראשית ברא אלהים את השמים ואת הארץ   今朝は創世記1章1節を眺め始めた瞬間ふと思ったのです。 ברא バラって、逆から読んだらきっとアラブだよね?   ברא バラとはStrong's Hebrew 1254で定義は創造する形作るということですが  では ארב アラブは?  Strong's Hebrew 693 ארב アラブ 大元の意味は 混ぜること混ざること いうことで、そこから →交わる→保証人になる行為、誓約や交換 →貿易と移住、異文化交流 という意味になったのだそうです。 で、同じ文字列でも読み方の違うエレブには「暗くなる」または「夕方になる」といういみがあり、待ち伏せするとか潜むという意味になるそうです。 以前、 ベレシートと冒頭に書かれているトーラー そして「聖」 という記事で私は創造のプロセスと「聖」という概念の近似性、すなわち「分ける、分離させる、切り離す、」ということこそが「聖」であり、そのおおもとになっているのが「創造」における ויבדל ヴァ・ヤブデル「そして神さまは分ける」である、ということを述べましたが、 創世記における「創造する」という意味を表す ברא バラと真逆の綴りを持つ ארב アラブは、意味においても to mix 混ぜること混ざること つまり、完全に真逆であることがわかり、 たいへんな驚きと、 またひとつヘブライ語聖書を読むための手がかりが与えらたことに感謝しました。 マタイによる福音書7章8節(口語訳) すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 ちなみに、  ארבה これはアルベーと読みイナゴの大群のことだそうです。 Brown-Driver-Briggsによるとアッシリア語では ארב に「荒廃させる」という意味があるそうで(;´Д`A ``` 聖書の時代には、イナゴは神さまの力と裁きの現れと見なされ、人々に悔い改めを呼びかけるためによく使われたので最後に ה ヘーが付いているのでしょうか (個人の感想です(;^_^A

創世記1章1節(3)14文字だった

 食器棚のガラスの飛散防止のために貼っているヘブライ語の創世記1章1節、毎日台所に行くたびに眺めることになるわけですが、 眺めるたびにいろいろなものが見えてきます。(無責任なヒマ人ならではの言葉w) これが創世記1章1節ですが(ヘブライ語は右から左に文字が並んでいます) בראשית ברא אלהים את השמים ואת הארץ これまでに書いた事のあることとしては 冒頭の、一般的には「はじめに」と訳される「ベレシート」 בראשית  ベレシート   の中に  「契約」 と 「家」 があるという話。 ברית    ブリット 契約 בית      ベイト 家 そして、 ברית ブリットを半分に切ったものは בר 息子と、 ית 神さまの御手が完了させた完全なもので ブリットをその二つに分けたその間に אש 炎(創世記15章17節に初出する語)を入れると בראשית ベレシートになる、という話 →「ベレシートと冒頭に書かれているトーラー そして『聖』」   https://kyudochu.blogspot.com/2024/12/blog-post_16.html で、 今朝は何を見たのかと言うと、1節を二つに分けた文字の数。 בראשית בר א אלהים エロヒムまでで14文字 את השמי ם ו את הארץ そして後半も14文字 「初めに神さまが創造された」ベレシートからエロヒムに至る文字が全部で14文字 そして後半の 「天と地」というところが全部で14文字。 14だあ!マタイの冒頭の14代だあ! と、 まだ暗い朝の4時台、あっちこっちの痛みを忘れてひとり台所で大盛り上がり(笑) で、前半14文字の中央に בר バルをみつけ、 バルはバルナバのバル、息子だぁ! そうなると בר バルのあとの א アレフ(神さまを表す無音の文字)も含めた ברא が「神の息子」にしか見えなくなる私。 ( ברא は「創造する」という意味の動詞なのですが…) そしてクリスチャンを40年以上やっている人間が芋づる式に思い出すのはダビデの名前。 דוד ダビデという名前はヘブライ文字 ד ダレトが4番目の文字で数字の4を表し、 ヘブライ文字 ו ヴァヴが6番目の文字で数字の6だから 4+4+6で14 というマタイの冒...

箴言30章1節 ウカルについて調べてみた

לְאִֽיתִיאֵ֑ל לְאִ֖יתִיאֵ֣ל וְאֻכָֽל׃ 箴言30章1節のウカルについて 今日、創世記18章8節を眺めていたら 文末に וַיֹּאכֵֽלוּ という言葉があることに気付きました。 文末にもヴァヴの付いた動詞が来ることがあるんだ、しかも אכל が、と思い、 コンコルダンスを見ることにしました。すると、 Strong's Hebrew 398 אכל にもヴァヴの付いた ואכל つまり、Strong's Hebrew401番である箴言30章1節の「ウカル」と同じ綴りのものが存在していました。(当然と言えば当然ですが)   398番の ואכל には読み方の異なる二つの言葉がありました。 wə·’ā·ḵalと読むものが12箇所 (以下すべて口語訳聖書から引用させていただきます。) 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って 食べ 、永久に生きるかも知れない」。 創世記3:22 あなたはそれを持って行って父に 食べさせなさい 。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」。 創世記27:10 今から三日のうちにパロはあなたの頭を上げ離して、あなたを木に掛けるでしょう。そして鳥があなたの肉を 食い 取るでしょう」。 創世記40:19 それは地のおもてをおおい、人が地を見ることもできないほどになるであろう。そして雹を免れて、残されているものを 食い尽し 、野にはえているあなたがたの木をみな 食い尽す であろう。 出エジプト記10:5(2回) アロンとその子たちは会見の幕屋の入口で、その雄羊の肉と、かごの中のパンとを 食べ なければならない。 出エジプト記29:32 また人がもしすべて汚れたもの、すなわち人の汚れ、あるいは汚れた獣、あるいは汚れた這うものに触れながら、主にささげた酬恩祭の犠牲の肉を 食べる ならば、その人は民のうちから断たれるであろう』」。 レビ記7:21 あなたの家畜が産むものや、地の産物を 食って 、あなたを滅ぼし、穀物をも、酒をも、油をも、牛の子をも、羊の子をも、あなたの所に残さず、ついにあなたを全く滅ぼすであろう。 申命記28:51 わたしが彼らの先祖たちに誓った、乳と蜜の流れる地に彼らを導き入れる時、彼らは 食べて 飽き、肥え太...

箴言30章1節 私(試)訳

イメージ
  דברי אגור בן יקה המשא נאם הגבר לאיתיאל לאיתיאל ואכל׃ マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。 箴言30章1節(新改訳2017) マッサの人ヤケの子アグルの言葉。その人はイテエルに向かって言った、すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った、 箴言30章1節(口語訳) ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた。 箴言30章1節(新共同訳) ヤケの子アグルの言葉。託宣。その人は言う。神よ、私は疲れた。神よ、私は疲れた。吞み尽くされてしまいそうだ。 箴言30章1節(聖書協会共同訳) 昨年8月ごろからあれこれ調べたり考え続けてきた箴言30章1節 について 本日は 私(試)訳してみました。 דברי אגור בן יקה המשא נאם ヤケの子アグル (すなわち トーラーを良く学び知識が豊富で人々にトーラーを教えるソロモン)による 重い預言の言葉 הגבר 勇敢で強じんな男 לאיתיאל לאיתיאל ואכל׃ 自分を完全無欠な王だと考えている者 ואכל ウカル もしくは 自分を完全無欠な王だと考えている者 ואכל とウカル に対して: לאיתיאל לאיתיאל を「自分を完全無欠な王だと考えている ואכל ウカル」もしくは自分を完全無欠な王だと考えている者 ואכל とウカルと訳した理由 箴言30章1節の発話者は、神さまからの המשא נאם 「重い預言」としてこの言葉を語っていることから、これは「人間に対する」深刻な言葉であると判断した。 次に、 המשא נאם の後の一語目が הגבר 「戦士または戦士のように強じんな男」という表現であることから、その人物は自分に自信のある人物であり、また、その強さゆえに人々の尊敬を集めるような立場にある者ではないかと推察した。 ただ、王であることを示したり王を表すような具体的な表現はないし、二節以下の言葉を翻訳聖書で読んでしまうと、あれやこれやの寄せ集めのようなとりとめのない箴言集になってしまうので訳が分からなくなってしまうが、重い預言、すなわち託宣をわざわざ何の権力も無い一般人に向けて書くはずがないと思うので、人々に大きな影響を与えるような立場の人間...

エリヤの「ほら穴」に見る事が出来る「聖」

その所で彼はほら穴にはいって、そこに宿ったが、主の言葉が彼に臨んで、彼に言われた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。 列王紀上19章9節 ベレシートと冒頭に書かれているトーラー そして「聖」 https://kyudochu.blogspot.com/2024/12/blog-post_16.html をはじめとして 聖ということというカテゴリ で書いたことを心に留めながら列王記上19章辺りを読み返してみると エリヤの「ほら穴にはいる」という行動はまさに「聖」となるための行動なのだ、と思ったのです。 19章3節のところにある「そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、」という言葉を読めば、たしかにエリヤは恐れて逃げたということではあるのですが、逃げた先で天使に養われて元気になったあと、 神の山であるホレブ山に行き、彼はほら穴に入るわけですね。 「ほら穴に入った」というところはヘブライ語聖書では   אל המערה  とかいてあり、 אל  エルは前置詞で「~の中に」と訳し、ほら穴に当たる部分は מערה で、その言葉の前に定冠詞theのように訳すとされる ה ヘーがついている形です。 ただ、深読みをすると、たしかに אל エルは前置詞なのでしょうが、その文字は אלהים エロヒムの初めの二文字である אל エルであり、 אל エルのルは、 ל ラメド=突き棒 ですから、 神さまの山であるホレブに行き、神さまに押されるようにその方向に入っていくという気分のような意味合いを感じ、 そしてその入っていく先は ה ヘー(アブラムがアブラハムになった時のハであり、神聖四文字のうちの二文字である文字)が頭と語尾に付いた ה מערה  ハ・メアラーです。 「ほら穴」という日本語を充てるのは申し訳ないような気分になるのは私だけでしょうかww מערה メアラー ほら穴 についてStrongの辞書を見ると ほら穴は埋葬や家として利用するほか、 ダビデがサウルから逃れるためにアドラムの洞窟 (サムエル記上 22:1) とエンゲディの洞窟 (サムエル記上 24:3) に隠れたというように「隠れ家、避難場所」として利用することが書かれていました。 列王記上19章におけるエリヤの場合は、 主にお会いするためのほら穴、神さまの言葉を聞く...

創世記1章1節(2)ベレシートの中に「家」もあった

大きなsinkholeの被害であったり、とんでもない大雪であったり、毎日ほんとうに心がつらく苦しい日々です。何をすることもできませんがただただお祈りしております。   今日もまた台所で創世記1章1節を眺めておりました。 בראשית ベレシートの中に בר ית ブリット(契約)という言葉が見えるということを前に書きましたが、 https://kyudochu.blogspot.com/2024/12/blog-post_16.html そんなことを言ったら בית  ベイト だってあるじゃない、と思いました。 ベイトとは ベツレヘムの ベツ ベツサイダの ベツ 「家」です בית は Strong's Hebrewの1004,1005,1006番です。 Strong's Lexiconによれば ベイトとは、 ・主に家や寺院などの物理的な構造物や住居を指し 避難場所であり、コミュニティ、もてなしの場、 礼拝の場を象徴する。 ・特定の家(「ダビデの家」など)に関連する家族や家系を含む世帯を表すこともある。 ・「主の家」と呼ばれるエルサレムの神殿は、礼拝の場の中心であり、 神がその民の中に住まわれていることを表していた   というようなことが書かれていました。 ベレシートの中にベイトがある、と考えると ベレシートつまり我々が創世記と呼んでいるものは 神さまの家について書かれている それはまさに神の国 ベレシートとはその初めの物語だと考えられそうです。

創世記1章1節(1) エレツ ハアレツ 神の国と神の義

 さっきまた台所に貼ってある創世記1章1節を眺めていました。 そういえばイスラエルの新聞にハアレツというのがあったなあとか思いながら Strong's Hebrew 776  הארץ を眺めていました。 הארץ ハアレツ ハはアブラムがアブラハムになった時に付いたハ、神聖四文字のうちの二文字であるハ ה ヘーというヘブライ文字。 人は ה ヘーをtheと訳してしまうけれども、 ה ヘーは神さまの息。 命を吹き込まれた大地 ארץ エレツ(アレツ)が  הארץ ハアレツ הארץ ハアレツ 神さまの創造された「大地」につけられた名前。 神の国の領土。 ぼんやり眺めていたらふとマタイによる福音書6章33節が思い出されました。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。 (聖書協会共同訳)   א は神さま ר は レーシュで「頭」だから 「一番初め」 ץ はメルキツェデクのツェ、 צדק ツェデクのツェだから「 義」 神さまの創造された「大地」につけられた名前には そもそもそういう意味が見えるんだなあ・・・と思った朝でした。 【関連するこのブログ内の記事】 【調べ学習】わたしはある(1) https://kyudochu.blogspot.com/2023/01/blog-post.html 「祝福」という言葉について(2)申命記28章 祝福と呪い https://kyudochu.blogspot.com/2022/11/28.html マルコによる福音書1章17節「人間をとる漁師」とヘブライ語「צדק」 https://kyudochu.blogspot.com/2023/09/117.html