マタイによる福音書における「エクレシア」という言葉に違和感 

 ローマ教皇が亡くなられたというニュースがありました。

自分はクリスチャンではあってもプロテスタント教会しかもごくごく一部の教派しか知らない、そして、歴史とか文化や伝統に超絶疎い人間なので、
ウィキペディアで「ローマ教皇」について調べてみました。←このレベル


ウィキペディアの「ローマ教皇の一覧」というものを見ると

当然そういうことになるのでしょうが
いや、改めて言われるとマジすっげ~~wwとか思ってしまったわけですが
初代教皇はペテロだそうで、在位期間は30年頃から64年頃(から68年ごろ)と書いてあります。
で、同じくウィキペディアの「ローマ教皇」というページを見たら
カトリック教会では伝統的に教皇の地位と権威が聖書に由来するものであるとしている。特に重視されるのはマタイによる福音書の16:18-19のイエスのペトロに対する言葉である。

「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されたものだ。このことは血と肉によってでなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」

この箇所から「天国の鍵」のデザインが教皇の紋章に取り入れられている。

ただし、この聖書箇所については、教皇権の根拠とするこのようなローマ・カトリック教会における解釈は、正教会、プロテスタントでは受け入れられていない。


と書いてありました。

で、これを読んだときに

そういえば昔こんなの書いたな、と思い出し、

【調べ学習】信頼できる大きな岩について、そしてエクレシアという言葉の問題 
https://kyudochu.blogspot.com/2019/10/blog-post.html


自分の書いた記事を読み返し


マタイによる福音書16:18にある「エクレシア」という言葉について


・・・善良な信者の皆さんは聞かなくてよいことなのでスルーしてほしい話ですが・・・




コンコルダンスを眺めているとこんなことに気が付くなーという事を思い出してしまいました。



Strong's Greek 1577 ἐκκλησία エクレシアは新約聖書中に114回登場しますが、

福音書では
「この岩の上にわたしの教会を建てる」
とイエスさまがおっしゃったというマタイの16章18節に1回と、
マタイ18章17節の
「もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。」
という計3回登場するだけで、
マルコ、ルカ、ヨハネの福音書には登場しません。
そして使徒言行録に23回、
以降、書簡には上の図に書いた通りたくさん登場するので新約聖書におけるエクレシアの登場回数は合計114回という事になるわけですが

そうそう、「教会」に似た言葉として、福音書にはたびたび「会堂」という言葉が登場しますが、まあ、クリスチャンであればエクレシアと建物としての会堂は異なるものだということは誰もが知っていることだとは思いますが、参考までに調べました。
「会堂」と訳されているギリシャ語はシナゴーグ Strong's Greek 4864 συναγωγή sunagógé です。

シナゴーグが登場する新約聖書の箇所(Englishman's Concordanceより)

マタイ4:23、6:2、 6:5、 9:35、10:17、12:9、13:54、23:6、23:34

マルコ1:21、1:23、1:29、1:39、3:1、 6:2、12:39、13:9

ルカ4:15、4:16、4:20、4:28、4:33、4:38、4:44、6:6、7:5、8:41、11:43、12:11、13:10、20:46、21:12

ヨハネ6:59、18:20

使徒6:9、9:2、9:20、13:5、13:14、13:43、14:1、15:21、17:1、17:10、17:17、18:4、18:7、18:19、18:26、19:8、22:19、24:12、26:11

ヤコブ2:2

黙示録2:9、3:9



何も思わない何も感じない方はそれで構いません。

が、たぶん、


おそらく、

実験をたくさんしてデータを取るようなお勉強をしたりそういう感じのお仕事をしている方がエクレシアという言葉の分布を見たら


(。´・ω・)ん?ハテ?

と思われるのではないかしら、と思うわけです。


しかも18章でイエスさまは


もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。

もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。

もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。

よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。

マタイによる福音書18章15~18節(口語訳)

15節から18節でこうおっしゃった直後の21節と22節でこうおっしゃるわけです。


そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。

イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

マタイによる福音書18章21、22節(口語訳)


違和感を覚えるのは、

私が教会という組織から落ちこぼれた人間だからでしょうかね


・・・ま、そうなんだろうな

気分次第でいかようにも読める・・・かな?