イザヤ書30章26節の解釈(2)出来事の順番がおかしいと思うのは私だけ?

イザヤ書30章25節と26節のところを口語訳聖書とヘブライ語聖書から引用します。

 

 

30章25節 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。

והיה על כל הר גבה ועל כל גבעה נשאה פלגים יבלי מים

ביום הרג רב בנפל מגדלים׃

 

 

30章26節 さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。

והיה אור הלבנה כאור החמה ואור החמה יהיה שבעתים כאור שבעת הימים
ביום חבש יהוה את שבר עמו ומחץ מכתו ירפא׃

 

 

前の記事では太陽と月と訳されている単語について調べて分かったことを書きました。

きょうは、そういう細かい話以前のこと、イザヤ書30章25、26節の「国語の読み取り」的な話についていつも思っていることを書きたいと思います。

 

まずは「大いなる虐殺の日」というもの提示され、そういう日があるのだな、と考えるわけですね。そして次に「やぐらの倒れる時」という言葉が句点で区切られて書かれているので、この二つの内容の関係性はどうなのかと考える。

で、「虐殺とやぐらが倒れるということが同時に起こる」と言いたいのか「大いなる虐殺の日とはつまりやぐらが倒れる時」と言いたいのか、よくわからないなあ、と毎回思うわけです。

しかし、日本語というのは最後まで読まないと意味が分からないものだ、という長年の経験がありますから、そういう分からなさのモヤモヤをいつも抱えたまま「やぐらの倒れる時」のあとの句点に目が行き、

句点があるから無意識に期待するわけです。「大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時」という二つもの条件設定をされた上での句点、だからきっと「その時」にどうなるのかという事が、次に書いてあるはずだと。

ところが、どう「なる」わけではなく、句点の前には全くなにも言ってはいなかったのように山と丘に川が「ある」と言い放つわけです。

「ある」ということになると、「大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時」の以前から川という存在が山や丘にセットされていて、つまりそういうセットがなされたら「大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時」に至るということ?

なんだかすっきり読み取れないのです。

まあ、預言なんだからそれで良し、と言われるのでしょうが。

 

 

ただ、ヘブライ語聖書を見るとなんだか印象が違ったのです。

上に引用しましたが25節の一語目והיה 「そして、あるよ~」と言ってます。

「あるよ~」なんて軽く言ってみましたが、実際にはそんな軽いものではないようにも思えます。ヘブライ語の文字をご覧ください、神聖四文字の順番の入れ替わったものです。
いやあ、そんなもの山のようにあるでしょうと思われる方も多いとは思いますが、
そもそもヘブライ語で「そして、ある」という言葉がこういう文字列で表現されることには深い意味があるに違いないと私は思っています。
創世記の各文の文頭にセットされているוヴァヴと同様、世の初めから永遠に途切れることなく存在する神の国を表現していると思えるוヴァヴにはじまり、
アブラムがアブラハムになるときに与えられた文字であるהヘーが二つある間に見える小さなיヨッド。まるで、聖い風を取り入れることのできる窓をそっと開けたら、そこに小さな小さな神さまの救いの右の御手が見えたかのようです。
そういう文字列、והיהが「そして、ある」と日本語に訳しているヘブライ語です。
神さまがかつて石の板に文字を刻んで与えてモーセに渡してくださったことを思うと、
きっと一文字一文字、思いを込めて、私たちに伝えてくださっている、と私には思えるのです。

で、

「そしてなにがあるの?」って思って次を見ると

על כל הר 右側から「アル カル ハル」と読みます。
調子のよい韻を踏んだ言葉の3連続ですがアルは上 カルは全て ハルは山 です。
 

全部読むとごちゃつくので省略しますが、
要するに25節のスタートでヘブライ語は大虐殺なんて言ってないわけです。まずあるのは24節までのストーリーを裏切らない内容で、口語訳聖書で言っているところの

「すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。」
という部分が25節の最初にあるわけです。

せっかくだから23節からつなげてみましょうか?

23節 主はあなたが地にまく種に雨を与え、地の産物なる穀物をくださる。それはおびただしく、かつ豊かである。その日あなたの家畜は広い牧場で草を食べ、

24節 地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。

25節の初めの文「(そして)すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。」

で、そういうここまでの話があって「その日」という殺戮の話につながっていくわけです。

 ביום הרג רב בנפל מגדלים

ביום その      

הרג 殺戮

רב  大きな

בנפל 倒れる    

מגדלים 塔という塔(複数≒ים海 の水がたくさんあるようにたくさんの)

  

 

ただ、新しい聖書協会共同訳でも口語訳と同じ順番に書かれていて

大いなる殺戮の日、塔という塔が倒れる時に
そびえ立つすべての山、高いすべての丘に
水の流れる水路ができる。(聖書協会共同訳)

順番なんてどうでもよいですか?出来事が網羅されていればそれでよいですか?

新しい聖書の方では「水路ができる」と言っているので、口語訳聖書の「ある」よりは読みやすいというか納得しやすいというか。・・・いや、意味が変わっている。

ん?あ、もしかして・・・ヘブライ語から直接翻訳していないのかな・・・

英語から日本語にしているの?えー?

 



どんな言語であれ、おそらくは言いたいことから言い始めるだろうし、少なくとも時系列は意識するよね?とか思うのですが

ま、仕方ない 

気を取り直して26節に行きます。

30章26節 さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。

25節を読んで続けて26節を読んでいたわけです。ま、普通ですよね。
で、そうするとね、脳内は前の節の影響を受けるわけですよ。
(そうかそうか、川なり水路なりができて、その次に「主がその民の傷を包み・・・」って書かれているから水でいやされるのかなあ、水の少ないところだから水が豊富っていいよね)とか思っていたわけです、私は。

ところが、ヘブライ語聖書で26節の初めに何が書いてあるのかというと、傷を治す話ではないのです。

26節の一語目והיה

25節と同じですね「そしてあるよ~」って言ってます。
また何かがあるらしい。
神さまが何かをもたらして存在させるらしいのですね。
何があるの?と思って次を見るとאורと書いてあります。これはという単語です。そして次に出てくるのが前回の記事で「れんが」と同じ綴りだと書いた

לבנה」です。
上に引用したヘブライ語の26節、という単語と前回の記事で取り上げた「」、「」、に該当する単語の色を変えてみましたが

いずれにしましても、26節の初めにあるのは月と太陽の光の話です。そしてその話の次に、

ביום その日 がまた登場するわけです。で、その日、

神聖四文字であられる方がいやしてくださる、という話が書いてあるのです。

 

細かく読めば注意深く読めば読み取れるのですから問題ないと言えば問題ないのかもしれませんが、話があっちに行ったりこっちに行ったりしていると、私たちの脳は関連のある内容を勝手にくっつけて理解しがちです。

「月」がバベルの塔の「れんが」と同じ綴りであるというようなことがあるのだとすれば、そのあたりがきちんと伝わるような文の並びにしないと
神さまのメッセージが正しく伝わらないことになるような気もします。

 

前節からつながるような川(水路)の話があって、

その次に「大虐殺」と「塔」が倒れる話、
次の節に行くと「塔」に関連するかのようにバベルの塔の「れんが」と同じ綴りの「月」の光とハムの入った「太陽」の光の話、

そして最後に傷ついた「主の民」がいやされるというストーリーがあり

27節に続いていく

 

イザヤを通して神さまが何を語られたのか

 

「聖書のみ」という信仰を長く続けておりましたのでね

原典ではないものには誤りがあるんだから細かいことなどどうでもいいだろう

という気にはやはりなれません。

原典に近いところにヘブライ語聖書があるのならば

極力それに沿って読み取りたいとおもいます。

 





イザヤ書30章26節カテゴリ 一覧


イザヤ書30章26節の解釈(1)実はレアな単語だったのです

イザヤ書30章26節の解釈(2)出来事の順番がおかしいと思うのは私だけ?

イザヤ書30章26節の解釈(3)太陽と月の役割

イザヤ書30章26節の解釈(4)新約聖書で「太陽」と「月」という言葉を探してみた

イザヤ書30章26節の解釈(5)単純な話

イザヤ書30章26節の解釈(6)七倍という言葉

イザヤ書30章26節の解釈(7)よくわからないのでもうしばらく考えます

イザヤ書30章26節の解釈(8)主は激怒しておられる・・・と思うのは私だけ?

イザヤ書30章26節の解釈(9)bind saddled rule しかし gives relief

イザヤ書30章26節の解釈(10)悪い光なんてあるのか?

イザヤ書30章26節の解釈(11)いったんまとめます

イザヤ書30章26節の解釈(12)「七日の光」

イザヤ書30章26節の解釈(13)引き続き「七日(間)の光」について

イザヤ書30章26節の解釈(14)「太陽のような月」それは偽物だ!

イザヤ書30章26節の解釈(15)本物の夜明けはやってくる、必ず