主のことばを聞くことのききん
平日朝5時台、家事をしながら日テレを見ていると、「あいことば」というコーナーがあり、キャスターが短い「言葉」を読んでくれます。朝のひととき、心に残る言葉もあり、ちょっと手を休めて聞くこともあるのですが、 それを見ながらいつも思うことは「人は言葉によって生かされている」ということです。 人はパンのみにて生くるにあらず、と聖書にありますが、私たち人間はもちろん食べなければ命がありませんが、満腹したとしてもそれだけでは今日の歩みを進める気力と言いましょうか意欲といいましょうか、心に力を得ることが出来ないのであります。 母の胎を出て、保育園幼稚園に通い始めた瞬間から、私たちは毎日外に出て、より高いもの高いものをと頑張らされてきました。 それでも、小さな頃はおりこうだね^^なんて褒めてくれた人が一人くらいはいたのかもしれません。 しかし、成長するにしたがって親の目はつり上がり、優しい幼稚園のときの先生みたいな先生は中学校のどこをさがしてもいやしない。私が中学生の頃などはまだ体罰も日常的にありまして、何時間も正座させられたり頭を平手やスリッパでひっぱたかれたこともありますし、竹刀をぶらぶらさせながら歩いている教師もおりました。 そして、もはや誰もほめてなんかくれません。ダメ出しばかりです。 順位が下がった偏差値が下がったこんなんじゃだめだ …そしてそれは学校を卒業し社会に出てからも形を変えてずーっと続くのでありました。 人間ってどうしてこんなに疲れるのでしょうか。 栄養ドリンクを飲んでももつのはわずかな時間 朝起きてだるくて重いのはもちろん肉体の疲れもありましょう。 しかし、もし心に力があったらもうちょっと変わるのではないのかしら。 ならば、心にはどうやって栄養を届けるのか。 で、おそらく日テレさんは「あいことば」っていうコーナーを作ったのではないかと。 朝、出かける前のひととき せわしさと、今日の予定と不安でいっぱいいっぱいになっている心に ふわっとした安らぎのひとときっていう感じで。 「言葉」ってね、嫌な言葉は人を死に追いやってしまうこともありますけれども 「生きよう」「もう少しだけ頑張ってみよう」という力を与えることもありますよね。 なぜでしょうかね。 「いのち」って、一般的には命ではない物質が劇的に化学変化して出来たってことになってますが、物理的に割り切れないふしぎなも...