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9月, 2015の投稿を表示しています

主のことばを聞くことのききん

平日朝5時台、家事をしながら日テレを見ていると、「あいことば」というコーナーがあり、キャスターが短い「言葉」を読んでくれます。朝のひととき、心に残る言葉もあり、ちょっと手を休めて聞くこともあるのですが、 それを見ながらいつも思うことは「人は言葉によって生かされている」ということです。 人はパンのみにて生くるにあらず、と聖書にありますが、私たち人間はもちろん食べなければ命がありませんが、満腹したとしてもそれだけでは今日の歩みを進める気力と言いましょうか意欲といいましょうか、心に力を得ることが出来ないのであります。 母の胎を出て、保育園幼稚園に通い始めた瞬間から、私たちは毎日外に出て、より高いもの高いものをと頑張らされてきました。 それでも、小さな頃はおりこうだね^^なんて褒めてくれた人が一人くらいはいたのかもしれません。 しかし、成長するにしたがって親の目はつり上がり、優しい幼稚園のときの先生みたいな先生は中学校のどこをさがしてもいやしない。私が中学生の頃などはまだ体罰も日常的にありまして、何時間も正座させられたり頭を平手やスリッパでひっぱたかれたこともありますし、竹刀をぶらぶらさせながら歩いている教師もおりました。 そして、もはや誰もほめてなんかくれません。ダメ出しばかりです。 順位が下がった偏差値が下がったこんなんじゃだめだ …そしてそれは学校を卒業し社会に出てからも形を変えてずーっと続くのでありました。 人間ってどうしてこんなに疲れるのでしょうか。 栄養ドリンクを飲んでももつのはわずかな時間 朝起きてだるくて重いのはもちろん肉体の疲れもありましょう。 しかし、もし心に力があったらもうちょっと変わるのではないのかしら。 ならば、心にはどうやって栄養を届けるのか。 で、おそらく日テレさんは「あいことば」っていうコーナーを作ったのではないかと。 朝、出かける前のひととき せわしさと、今日の予定と不安でいっぱいいっぱいになっている心に ふわっとした安らぎのひとときっていう感じで。 「言葉」ってね、嫌な言葉は人を死に追いやってしまうこともありますけれども 「生きよう」「もう少しだけ頑張ってみよう」という力を与えることもありますよね。 なぜでしょうかね。 「いのち」って、一般的には命ではない物質が劇的に化学変化して出来たってことになってますが、物理的に割り切れないふしぎなも...

それは今私が知らないだけ

ああ、私が前に進んでも、神はおられず、 うしろに行っても、神を認めることができない。 左に向かって行っても、私は神を見ず、 右に向きを変えても、私は会うことができない。ヨブ記23章8,9節 ヨブの苦しみ、 それは彼自身の身体に起こっている問題や愛するものとの悲しい別れ、そして財産を失うことにとどまらず 、その苦しみを親しい友人にも理解してもらえないということであったと思います。 しかしそれ以上であったのは、神さまがわからなくなってしまったことなのだ、とつくづく思います。愛なる神さま、恵みに富みあわれみに富み豊かに与えてくださるはずの神さまがいったいどこに行ってしまわれたのか、 「ああ、私が前に進んでも、神はおられず、 うしろに行っても、神を認めることができない。 左に向かって行っても、私は神を見ず、 右に向きを変えても、私は会うことができない。」 クリスチャンにとっても、正直言って、こう感じざるを得ない、大いなる失望でも申しましょうか、そんなときが無くはない。 しかしです。 このヨブの言葉はそのまま真実なのでしょうか。 神さまはおられないのでしょうか。神さまは休暇を取っておいででしょうか。 そんなことはないのです。 聖書をまるまる一冊読むことの出来る現代の私たちには、ヨブがこのようにつぶやいた瞬間に、 神さまがいったいどこにおられたのかよくわかっています。 神さまは私の言葉の一部始終を聴いておられる方。 神さまは私の言葉を無視されない方。 神さまは共にいてくださり私を背負ってくださる方。 です。 そして私たちはヨブ記の最後をよく知っておりますから ヨブよ、そうではないのだよ、と私たちは彼に語る事が出来るのであります。 今は山が微動だにせず、 事態はひたすら悪い方に行っているようであり、 まるで神さまがいらっしゃらないように感ずる時、 しかし、私たちはみ言葉を読み、 み言葉にそう書いてあるのだから、「信じる」。 神さまがそう言われたのだから、「信じる」。 それが「信仰」と呼ばれるものです。 ヨブさん、あなたには今はわからないと思いますが、 あなたのどん底のつらさと あなたの人生の一部始終は 私たちの聖書に書いてあるんで私知ってるんですが、 もう少しで終わるから そして、最後いい感じだから もう、ちょっと、もうちょっとだけ耐えてください。 しかもあなたの苦しみによって私...

甲状腺がん「疑い含め137人」という話

Our Planet-TVのニュースを見ました。 甲状腺がん疑い含め137人へ、2巡目は25人〜福島健康調査 https://www.ourplanet-tv.org/38251/   福島県は31日、東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて実施している福島県民健康調査の専門家会議を開催し、新たな甲状腺がんデータなどを公表。甲状腺がんと疑われる子どもは検査対象の38万人のうち、137人となった。すでに手術を終えたのは105人。病理診断により1人は良性結節、残りの104人が甲状腺がんと確定した。 ただただ悲しい結果であると思いました。 38万人のうちの幾人 と表現されますけれども、 人生を歩み始めたばかりの子どもたちに病が見つかり しかもそれがガンであったとき 保護者の方々、ご家族の方々の悲しみはそして不安はいかばかりでありましょうか。 数字の遙か向こうに 病院の診察室で涙を浮かべる人々の姿が 私には見えてきます。 心のうちを想像すると涙は止まりません。 しかし そう、 「あの人たち」には関係ないし、 「あの人たち」に理解など出来るまい。 単なる数字 厄介な数字 そう思っていればいい。 137人の子どもたちの家族の苦しみは 神さまのノートにきちんと記録されているのだ。 決して消されることなどない。 忘れられることなどない。 「復讐するは我にあり」だと 私はそう信じています。 小さき者、弱い者をないがしろにする者は 決してゆるされません。