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イザヤ書30章26節の解釈(15)本物の夜明けはやってくる、必ず

主はまたモーセに言われた、「天にむかってあなたの手をさし伸べ、エジプトの国に、くらやみをこさせなさい。そのくらやみは、さわれるほどである」。 モーセが天にむかって手をさし伸べたので、濃いくらやみは、エジプト全国に臨み三日に及んだ。 三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。 出エジプト記10章21~23節(口語訳) 出エジプト記に書かれている10の災いのうちの9番目は暗闇の災いでした。 暗闇、 חשֶׁךְ これはイスラエルがエジプトに居たときの出来事であり、この暗闇はエジプト全土という範囲で起こったことです。 しかし聖書はこの時同時に起こっていた大切な事実、不思議な事実を伝えます。 「しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。」 エジプト全土は災いの中にあったのだけれども イスラエルの住むところには 光があったというのです。 あなたはあなたの神、主の聖なる民である。 あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。  ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。 それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、 また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。 主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。 それゆえ、きょうわたしがあなたに命じる命令と、定めと、おきてとを守って、これを行わなければならない。 聖書を読むと「イスラエルの民」は「主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。」創造主である神さまにとって特別な民であるという事がわかります。 聖書の神を信じていない人にとってはこんなことはどうでも良いことでしょう。 しかし逆に、聖書の神を信じていると語...

イザヤ書30章26節の解釈(14)「太陽のような月」それは偽物だ!

 イザヤ書30章26節についてまだ考えています。 月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 イザヤ書8章20節と創世記1章16~18節を引用します。 わたしは、あかしを一つにまとめ、教をわが弟子たちのうちに封じておこう。主はいま、ヤコブの家に、み顔をかくしておられるとはいえ、わたしはその主を待ち、主を望みまつる。見よ、わたしと、主のわたしに賜わった子たちとは、シオンの山にいます万軍の主から与えられたイスラエルのしるしであり、前ぶれである。人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。 イザヤ書8章16~20節 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。創世記1章16~18節 トーラーによれば、「太陽」は昼の光で「月」は夜の光です。 イザヤ8章20節に「ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない」とありますが、そういう理由で闇の中に居続けている人も多いような気がします。 そういう暗闇、夜の間、人々が目にすることのできる見る光は「月」の光です。 自ら光を発しているわけではない月。 そして、イザヤ書30章26節にある「月」は 聖書の中に多く登場するヘブライ語Strong's Hebrew 3394の ירח ではなく Strong's Hebrew 3842の לבנה という単語が使われており この3842番は創世記11章3節、バベルの塔の話に登場する「れんが」と同じ文字列なのだと 2023年11月22日に公開したイザヤ書30章26節の解釈(1)レアな単語という記事に書きました。 そんな風に考えると以下のような解釈もあり得るかもしれない、と思いました。 暗い夜をつかさどるのは月であり、夜の世界にいる人々はずっと月の光を見ている。 だから、月の光が日の光のようになると、月の光を見ている...

イザヤ書30章26節の解釈(13)引き続き「七日(間)の光」について

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イザヤ書30章26節の解釈について考えておりまして、 昨年末より「七日(間)の光」について考え続けています。 前回までの理解としては、ハバド・ハシディズムの教えによると、これは「創世記の初めのところで神さまが創造された光を指す言葉」らしいという事だったのですが、 ほかのサイトではどうなっているのかということについて引き続き調べておりました。 すると、 https://he.wiktionary.org/wiki/   でも 「神が世界創造の初日に創造した光の名前」とあり、 この起源はイザヤ書40章26節 にあると書かれていました。 目を高くあげて、 だれが、これらのものを創造したかを見よ。 主は数をしらべて万軍をひきいだし、 おのおのをその名で呼ばれる。 その勢いの大いなるにより、 またその力の強きがゆえに、 一つも欠けることはない。(口語訳聖書より引用) また、ユダヤ人の伝統によれば、イザヤ書の聖句に関するタルムードの解説 (ペサヒム冊子、第 6 章、68 ページ) に由来しているとのことです。 光は名士たちの創造とともに棚上げされた(棚にしまわれ一時蓄えられた)が、それは将来、終わりの日に義人の前に現れるだろう。(Googleによる翻訳) ただ、私は「ペサヒム冊子」がどんなものかわからない。 そこで、 פְּסָחִים  で検索してみたところ、ウィキペディアにPesachimという項目がありました。 https://en.wikipedia.org/wiki/Pesachim で、6章については Chapter 6 continues to discuss the sacrificial arrangement when Passover falls on a Sabbath, and with related issues such as when another animal must be sacrificed together with the paschal lamb, animals used for this sacrifice, and cases in which slaughtering the Passover sacrifice on the Sabbath is forbidden. という事で、 過ぎ越しの祭りが安息日に当たる場合の...