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イスラエル アロンの家 主を畏れる人

詩編115編と118編を読むとこんな箇所があります。 (以下本日の引用はすべて新共同訳聖書) イスラエルよ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。 アロンの家よ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。 主を畏れる人よ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。 詩編115編9~11節 イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。 アロンの家は言え。慈しみはとこしえに。 主を畏れる人は言え。慈しみはとこしえに。 詩編118編2~4節 これまでこの「イスラエル アロンの家 主を畏れる人」という三つの言葉について特に気にして読んだこともなかったのですが、最近なんとなくこの三つの言葉が気になるようになりました。 で、気になりながらルカによる福音書のイエスさまのご降誕前後の場面を読んでみたら、 ルカによる福音書 1章 5節 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリザベトといった。 11節 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 26、27節 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。 2章 8節 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9節 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 27節 シメオンが”霊”に導かれて神殿の境内に入ってきたとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れてきた。 28節 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 「イスラエル アロンの家 主を畏れる人」のそれぞれが意識される構成?になっているような気がしました。 構成というよりも、秩序と表現する方が適切でしょうか。

聖書の中に描かれた「繰り返される」風景

主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。 「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。 あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。 もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、 寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、 わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。 見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。 あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、 わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。 わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。 わたしが初めにわたしの名を置いた場所シロへ行き、わが民イスラエルの悪のために、わたしがその場所に対して行ったことを見よ。 主は言われる、今あなたがたはこれらのすべてのことを行っている。またわたしはあなたがたに、しきりに語ったけれども、あなたがたは聞かず、あなたがたを呼んだけれども答えなかった。 それゆえわたしはシロに対して行ったように、わたしの名をもって、となえられるこの家にも行う。すなわちあなたがたが頼みとする所、わたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの所に行う。 そしてわたしは、あなたがたのすべての兄弟、すなわちエフライムのすべての子孫を捨てたように、わたしの前からあなたがたをも捨てる。 エレミヤ書7章1~15節(口語訳) 今日の聖書通読はエレミヤ書7章の始めの辺りでした。 エレミヤが主の家の門に立って神さまの御言葉を語る場面です。 「主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。」 というこ...