研究者でもないし論文でもないし、ということで今日もかなり無責任なことを書きますが、
今日のタイトルにしたאת
Strong's 853. eth
創世記1章1節を読むといきなり登場するこの言葉、下のリンク先を見ていただければ分かることですが
https://biblehub.com/text/genesis/1-1.htm
英語の欄が空欄となっているのです。
なんじゃこりゃ、という感じの言葉。
しかもこの単語、相当な頻度で登場するわけです。
ただ、この単語の初見の段階で、これは黙示録に出てくるあれでは?と思ったわけです。
アルファでありオメガであるというあの御言葉。
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
ヨハネの黙示録22章13節(口語訳)
見たままのそのままの印象なわけですが。
黙示録はギリシャ語からの翻訳だからΑΩですがそのままヘブライ文字にすれば853番になりそうだなあ、と。
じゃあ、始めであり終わりであるというのはどういう意味なんだろうか、それよりも前はなくそれよりも後はないというのはどういう意味なんだろうか。
で、創世記を書き写しながらこの言葉が登場するところにマークを入れてみたところ、
まずは上にリンクをはった1章1節を見ていただくと「הַשָּׁמַ֖יִם」(天)の前と「הָאָֽרֶץ」(地)の前にあるのですね。
そして次に登場するのが4節「הָא֖וֹר」(光)。
で、光を造られた神さまはおっしゃるわけです、כי טוב これは完ぺきだ!素晴らしい!とっても良い!!
そんな風にチェックを入れながら2か月くらいたったあたりで、私の目にはאתという単語が「神さまブランドのロゴマーク」のように見えてきました(笑)
אתこれは神さまが愛を込めて作ったものです!とってもとっても素晴らしい出来です!品質は保証します!完璧です!
そしてそのブランドマークを見るたびに私の脳内にこんな言葉が現れるようになりました。
「את不足しているものは何もない。付け加えることは許さない!余計なものは何もない。取り除くことは許さない!」
そして気づきました。これも黙示録22章だ、と。
この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
ヨハネの黙示録22章18、19節(口語訳)
以上、御言葉以外のすべては個人の感想です。学説でも何でもないのでご注意ください。