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聖書に登場する「ガザ」

Strong's Hebrew 5804  עַזָּה   Azzah コンコルダンスによると、私たちがガザと呼んでいる(ヘブライ語ではガザではなくアザというらしい)地名は、旧約聖書の中に21回登場します。 この地名はStrong's  Hebrew 5794 עַז azに由来するもので、 5794番のDefinition(定義)は strong, mighty, fierceで、 fierceを日本語にすると獰猛(どうもう)な、凶暴な、激しい、すさまじい、猛烈な、荒れ狂う、不快な、ひどい・・・だそうです。 口語訳聖書ではガザではない地名になっている場合もありますが、 5804番が含まれているとされる箇所を以下に引用します。   創世記 10:19 カナンびとの境はシドンからゲラルを経て ガザ に至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムを経て、レシャに及んだ。  HEB: גְרָ֖רָה עַד־ עַזָּ֑ה בֹּאֲכָ֞ה סְדֹ֧מָה 申命記 2:23 またカフトルから出たカフトルびとは、 ガザ にまで及ぶ村々に住んでいたアビびとを滅ぼして、これに代ってそこに住んでいる。) HEB: בַּחֲצֵרִ֖ים עַד־ עַזָּ֑ה כַּפְתֹּרִים֙ הַיֹּצְאִ֣ים ヨシュア記 10:41 ヨシュアはカデシ・バルネアから ガザ までの国々、およびゴセンの全地を撃ち滅ぼして、ギベオンにまで及んだ。  HEB: בַּרְנֵ֖עַ וְעַד־ עַזָּ֑ה וְאֵ֛ת כָּל־ ヨシュア記 11:22 それでイスラエルの人々の地に、アナクびとは、ひとりもいなくなった。ただ ガサ 、ガテ、アシドドには、少し残っているだけであった。 HEB: יִשְׂרָאֵ֑ל רַ֗ק בְּעַזָּ֛ה בְּגַ֥ת וּבְאַשְׁדּ֖וֹד NAS: only in Gaza , in Gath, ヨシュア記 15:47 アシドドとその町々および村々。 ガザ とその町々および村々。エジプトの川と大海の海岸までが、その境であった。 HEB: בְּנוֹתֶ֣יהָ וַחֲצֵרֶ֗יהָ עַזָּ֥ה בְּנוֹתֶ֥יהָ וַחֲצֵרֶ֖יהָ 士師記...

イザヤ書30章26節の解釈(12)「七日の光」

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והיה אור הלבנה כאור החמה ואור החמה יהיה שבעתים כאור שבעת הימים ביום חבש יהוה את שבר עמו ומחץ מכתו ירפא׃ イザヤ書30:26  (ヘブライ語聖書から引用)  月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 (口語訳聖書を引用)     七つの日の光(口語訳、新改訳)、七日分の光(聖書協会共同訳)、七日の光(直訳)になる、とは何なのか。   単純に七倍になった事を言い換えているだけだとも考えられますし、 実際、自分はずっとそう考えて読んできたのですが、 ゆっくりじっくりと読んでみると、何かがおかしい。   読者はまず「月の光は日の光のようになり、」という言葉を読み 月の光は日の光のようになるというイメージを膨らませるわけです。 ああ、月が日のように明るくなるのかというイメージを読み取るわけです。 そして続いて「日の光は七倍となり、」とかいてあるので、 月も明るくなるけれども、太陽の光は7倍になるのか、と それはそれはギラギラとまぶしい7倍の光となった太陽のイメージを心に描くわけです。   で、そこで終わっていれば、そういう話だという事でなるほどね、昼も夜も明るいねという事になるわけですが そこでは終わらず「七つの日の光のようになる。」と言うわけです。 ヘブライ語で見ますと、「日の光は七倍となり、」という言葉の後にくる「七つの日の光のようになる。」という言葉はヴァヴで接続されていませんので、 新たな話をしているわけではなく、直前に書かれている太陽の話か、もしくはその前の月の光の話も含んだ話(つまり月と太陽の光の変化)を「七つの日の光のようになる。」という表現で受け、まとめているようにも思えるのですが、 七つの日の光はどう読んでも七日間seven daysの光と読め、 石のようにコチコチの頭を持つ私には 「七日という言葉は日数であって光の量を表さない」としか思えないわけです。 それでもどうしても光の量を表すのだと考えるなら 一日分の光を1単位としてそれの7倍ということなのか、とか思ってみるわけですが それだと七日間の光とは「...

イザヤ書30章26節の解釈(11)いったんまとめます

今日は、イザヤ書30章26節について「いったん」まとめようと思っています。 まだ「7日分の光」という言葉について納得できていないので、今後も調べ学習は継続していこうと思っておりますが、とりあえず現段階ではどんな理解に至ったのか、という事を記録しておこうと思います。 とその前に、今朝創世記16章を読みながら少々思ったことがあったのでその話から。 口語訳聖書の創世記16章を「 日本語の聖書 」様サイトより引用させていただきます。 16:1アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。 16:2サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。 16:3アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。 16:4彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。 16:5そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下さげます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。 16:6アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。 16:7主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、 16:8そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。 16:9主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。 16:10主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。 16:11主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むで...

イザヤ書30章26節の解釈(10)悪い光なんてあるのか?

イザヤ書30章26節をずーっと考え続けてる中で、困っているのは「光」という単語です。 これまでの人生経験・・・いや、聖書のメッセージを聴いている中で「光」は闇の対極であって、100パーセント良いものとして教えられてきたからです。 聖書辞典も眺めてみましたが、案の定、悪い意味での「光」なんてないわけです。     なんかないかなあ・・・と考えていて気付いたのは目の前のディスプレイ。 これ、私の目に悪いw。長時間じっと眺めていると片頭痛を催すし、そもそもまぶしすぎて不快なのでメガネをかけて使っております。 最近の研究ではブルーライトカットグラスをかける方が悪いとか言う説もあるようですが、私は自然光であっても強い光を浴びると閃輝暗点を起こすので、駄目なものは駄目ということで、サングラスやブルーライトカットグラスは友達です。そう、ブルーライトで虫が死んでしまうという研究もありましたし・・・ってブルーライトは聖書とは関係ないわけですが そんなことを考えていて気付いたのは「~の光」という表現。 たとえ「光」が良いものであったとしても「~の」に当たる部分が悪であればその光は悪なのではないかと。 (苦し紛れのこじつけか)   神さまの「栄光」もあるが悪い集団の長の「栄光」だってある とそこまで考えたときパウロが言ってた言葉を思い出しました。 新改訳聖書を30年近く読んでおりましたので、こういう時に思い出すのは新改訳聖書の言葉なのですが、太陽の栄光もあり月の栄光もあり星の栄光もあります・・・というところ。第一コリントの15章。著作権の関係があるので口語訳から引用します。 コリント人への第一の手紙15章41節 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。  栄光の話であって光ではないとは思いますが、 光にもいろいろあると言えばあるのではないか、と。   確信を持って言っているわけではないので今後10年間でまた話が変わっていくのかもしれませんが、現時点の思い付きと思い込みとして、そういう「~の光」という 修飾語が付くことによって また、その光を受け止める人々の状況などによって 「性質の異なる光」というものがある、と   一般的には光と言ったら...

イザヤ書30章26節の解釈(9)bind saddled rule しかし gives relief

「光」という言葉が何を言っているのかずっと考え続けているのですが、どうもよくわからないので、先に Strong's Hebrew 2280  חָבַשׁ  について書きたいと思います。 Definitionとしては to bind, bind on, bind upと書かれているこの言葉、どこに書いてあるかというと イザヤ書30章26節 さらに主がその民の傷を 包み 、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 bind upということなので、包帯をしっかり巻くというような意味なのだとは思うのですが、聖書のほかの箇所で調べてみるとなんとなくイメージが違う。 まず、聖書の中で一番初めに2280番が登場するのは創世記で  創世記22:3 アブラハムは朝はやく起きて、 ろばにくらを置き 、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。 太字にしましたが「ろばにくらを置き」というところが該当箇所です。 2280番は聖書の中に33回登場するのですが、 で、この「ろばにくらを置き」という翻訳がつけられているのは全部で13回。 民数記 22:21 士師記 19:10 サムエル記下 16:1 サムエル記下  17:23 サムエル記下  19:26 列王記上 2:40 列王記上 13:13(2回) 列王記上 13:23 列王記上 13:27(2回) 列王記下 4:24 そして、ろばにくらを置く以外の翻訳としては  出エジプト記29:9 彼ら、すなわちアロンとその子たちに帯を締めさせ、ずきんを かぶらせ なければならない。祭司の職は永久の定めによって彼らに帰するであろう。あなたはこうして、アロンとその子たちを職に任じなければならない。 「帯を締めさせ」の方が2280番のように考えがちですが、帯を締めるという単語は別にあって、2296番 חָגַר 英語でもgirdというbindではない単語が使われています。 で、ここまでのことを踏まえて2280番の意味を考えると、 bindという英語を聞いてまず思うであろう「ひもでしっかり縛る」というニュアンスよりも「かぶせる」というニ...

イザヤ書30章26節の解釈(8)主は激怒しておられる・・・と思うのは私だけ?

どうしてこんなに近くにあった言葉を見落としたのかわかりませんが イザヤ書30章26節の「日(太陽)」2535番 חַמָּה  chammah と同じ文字列ではあるけれども発音の異なる2534番  חֵמָה chemah この言葉を含む聖書の箇所を読むと、月の光が日の光となりとか七倍になるとか言う話が間違いなく悪い話であることが分かります。(日本語の引用聖句は口語訳) 神さまが怒っておられる話ばかりで日本語の聖書でも怒り怒りとたくさん書いてあって、どこがその単語に該当しているのかわからない! なので、複数回怒りだの憤りだのが登場している引用箇所では該当箇所として太字にした部分が間違っているような気がしますが とにかく怒っておられる。 ハムにヘーが付いた文字列の単語は怒りを表しているのです。 2534番の言葉は全部で122箇所あるのですが、 トーラーとイザヤ書のところだけ引用します。   創世記27:44 あなたの兄の 怒り が解けるまで、しばらく彼の所にいなさい。  אֲשֶׁר־ תָּשׁ֖וּב חֲמַ֥ת אָחִֽיךָ׃ レビ記26:28 わたしもあなたがたに逆らい、 怒り をもって歩み、あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。   וְהָלַכְתִּ֥י עִמָּכֶ֖ם בַּחֲמַת ־ קֶ֑רִי וְיִסַּרְתִּ֤י 民数記25:11 「祭司アロンの子なるエレアザルの子ピネハスは自分のことのように、わたしの憤激をイスラエルの人々のうちに表わし、わたしの 怒り をそのうちから取り去ったので、わたしは憤激して、イスラエルの人々を滅ぼすことをしなかった。  הֵשִׁ֤יב אֶת־ חֲמָתִי֙ מֵעַ֣ל בְּנֵֽי־ 申命記9:19 主は怒りを発し、 憤りを起し 、あなたがたを怒って滅ぼそうとされたので、わたしは恐れたが、その時もまた主はわたしの願いを聞かれた。  מִפְּנֵ֤י הָאַף֙ וְהַ֣חֵמָ֔ה אֲשֶׁ֨ר קָצַ֧ף 申命記29:23 ――全地は硫黄となり、塩となり、焼け土となって、種もまかれず、実も結ばず、なんの草も生じなくなって、むかし主が怒りと 憤り をもって滅ぼされた...

イザヤ書30章26節の解釈(7)よくわからないのでもうしばらく考えます

本当はこういうことをしたらいけないのだと思うのですが・・・ 口語訳聖書のイザヤ書30章23節から26節までの文をヘブライ語聖書での並び順に入れ替えて言葉も少々変えて並べてみたいと思います。23節24節は入れ替えの必要がないと思えるのでいじりません。   (23)主はあなたが地にまく種に雨を与え、地の産物なる穀物をくださる。それはおびただしく、かつ豊かである。その日あなたの家畜は広い牧場で草を食べ、 (24)地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。 (25)すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。   大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時 (26)月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七日分の光   その日主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる 変更前の文章 (23)主はあなたが地にまく種に雨を与え、地の産物なる穀物をくださる。それはおびただしく、かつ豊かである。その日あなたの家畜は広い牧場で草を食べ、 (24)地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。 (25)大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。 (26)さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。   次に、 この文の流れに注目してください。 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時 月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七日分の光のようになる。 その日、主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる   これを (1)から(6)で書いた内容と以前書いた「バベルの塔とハルマゲドン」という記事を踏まえて読み直してみます。 (1)から(6)で書いた事 この節で使われている「月」「日(太陽)」という言葉はほかの箇所にはあまり出てこない単語で表現されていて、「月」という言葉はバベルの塔を造るために使った「れんが」と同じ文字列であり、「日(太陽)」という言葉はノアの息子であるハムの名前の後に神聖四文字に二回使われているהヘーというヘブライ文字が付いているものである。 ノア...

イザヤ書30章26節の解釈(6)七倍という言葉

さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 イザヤ書30章26節(口語訳)   BIBLE HUBを眺めていましたら、 2528番には חמא という言葉がありました。 これは חמ ハムに א アレフ(神さまを表す文字)が付いているわけですが これはダニエル書3章だけに登場する言葉で 「激怒」という意味だそうです。(神さまを後ろに置いているんだもの、そりゃ激怒だわ) で、その該当箇所(わずかに二か所)を眺めていましたら、ちょっと気になる言葉がありました。(以下すべて引用は口語訳聖書より) ダニエル書3:13 そこでネブカデネザルは 怒り かつ憤って、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを連れてこいと命じたので、この人々を王の前に連れてきた。 ダニエル書3:19 そこでネブカデネザルは 怒り に満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。   3章19節の方に「七倍熱くせよ」という言葉があるのですが 「七倍」という言葉はイザヤ書30章26節にもありましたね!   そこで、今日は口語訳聖書における「七倍」という言葉を 日本聖書協会 の聖書本文検索を利用して調べてみました。     すると、「七倍」という文字列を含む箇所は旧約聖書のみに存在し、それは以下の6書であるということがわかりました。 創世記 レビ記 詩篇 箴言 イザヤ書 ダニエル書   具体的には 創世記は4章15節の「カインを殺す者は 七倍 の復讐」という箇所と 4章24節の「カインのための復讐が 七倍 ならば、レメクのための復讐は七十 七倍 」   レビ記は26章に4か所あって、 18節「わたしはあなたがたの罪を 七倍 重く罰する」 21節「わたしはあなたがたの罪に従って 七倍 の災をあなたがたに下す」 24節「あなたがたの罪を 七倍 重く罰する」 28節「あなたがたの罪を 七倍 重く罰する」   詩篇は79篇12節に 「主よ、われらの隣り人があなたをそしったそしりを 七倍 にして彼らのふところに報い返してください。」 ...