全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。
創世記11章1~9節
ויאמרו הבה נבנה לנו עיר ומגדל וראשו בשמים ונעשה לנו שם פן נפוץ על פני כל הארץ׃11:4בראשית
有名なバベルの塔のお話を口語訳聖書から引用しました。
4節を青い文字色にしましたが、
その箇所をヘブライ語聖書で見て、興味深い言葉を見つけました。
מגדל ミグダル 塔
Strong's Hebrewでは4026番です。
Strong's Hebrewで、この単語の前にあるいくつかの単語、つまり、綴りの似た単語に目を留めてみたところ気になることがありました。
4022. meged メゲド מֶגֶד excellence 優秀、卓越性
4023. Mgiddown ミギドウン מְגִדּוֹן a tower 塔
4023a. migdol ミグドル a tower 塔
4023b. Megiddon or Megiddo メギドン または メギド a place in Manasseh マナセにある場所
4023番b
つまり、ハルマゲドンのマゲドンの部分にあたる「メギドン」または「メギド」という地名はヘブライ語で考えると優秀だとか塔だとかという単語の綴りと共通して
מגד
という三文字をを含んでおり、
英語のアルファベットで該当する子音の文字を書くならば
MGD
だとすると
おそらく、
聖書ヘブライ語を理解できた昔の人々(黙示録の著者を含む)にとってMGDという音、そして文字を見たときの印象は「バベルの塔」と共通の「人間としての」優秀さと卓越した能力を感じるのではないかと思ったのです。
つまり、「ハルマゲドン」という言葉を当時の人々が耳にした場合、
もちろんまずメギドという地名の持つ歴史的な事件を思い起こさせることになるのでしょうが、それだけではなく、その向こうにある「バベルの塔」と関連付けるのではないか、と。つまりそれは、巨大な塔、優れた塔、を創造主ではなく人間の知恵と力で作り上げ、いつかは創造主以上のものとなる!神さまの支配下になど居続けない!と考える者たち迎える結末を思い出させられることになるのではないか、ということです。
実際のメギドは丘なのに、ハルという「山」と意味の単語を用いることで、地名ではないメギドであるということに気付かせようとする意図があり、ハルという言葉も、もしかしたら「山」以外の何かについて語っていて
実際のメギドは丘なのに、ハルという「山」と意味の単語を用いることで、地名ではないメギドであるということに気付かせようとする意図があり、ハルという言葉も、もしかしたら「山」以外の何かについて語っていて
わかる人にはわかるメッセージ
ヨハネの黙示録1章3節にはこう書いてあるので
この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。
つまり、朗読された言葉を聞くだけで理解できる対象に向けて書かれているわけですから
書き手、朗読者、聞き手、この三者は共通して持っている暗号解読表のようなものがあるわけです。
しかし、特別な解読表の存在を考えるのは無理がありますから
しかし、特別な解読表の存在を考えるのは無理がありますから
だとすればתנ"ךタナック(タナハ)。
そう考えつつ
イザヤ書をヘブライ語で読むと気付く事ですが
イザヤ書30章25節、この箇所が黙示録のハルマゲドンに似ているような気がします。
イザヤ書30章25節26節については後日改めて書く予定なので
ここにはイザヤ書30章25節のところを少しだけ。
והיה על כל הר גבה ועל כל גבעה נשאה פלגים יבלי מים ביום הרג רב בנפל מגדלים׃
大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。 (口語訳)
大いなる殺戮の日、塔という塔が倒れる時に
そびえ立つすべての山、高いすべての丘に
水の流れる水路ができる。(聖書協会共同訳)
口語訳聖書を読んでいるとよくわかりませんけれども聖書協会共同訳聖書を読むと、「塔という塔が」というふうに訳されていて、そこがמגדלים ミグダリム。
ミグダが MGDです。そして語尾のלים「リム」という音に含まれるים「イム」はたくさんある様子を表す言葉です。(エロヒムという言葉が複数なのかという問題などにおいて単純に複数を表しているとは思えないと私個人としては思っていますが)
そしてここには「山」という言葉が登場しますがこれはהר ハルです。ハルマゲドンのハルですね。
ミグダが MGDです。そして語尾のלים「リム」という音に含まれるים「イム」はたくさんある様子を表す言葉です。(エロヒムという言葉が複数なのかという問題などにおいて単純に複数を表しているとは思えないと私個人としては思っていますが)
そしてここには「山」という言葉が登場しますがこれはהר ハルです。ハルマゲドンのハルですね。
ただ、実はそれよりも注目したいのは「虐殺」という言葉で
הרגヘレグという言葉がそれです。
הרハルにגギメルという文字が付くと「虐殺」という意味になるわけです。
הרגヘレグという言葉がそれです。
הרハルにגギメルという文字が付くと「虐殺」という意味になるわけです。
したがって、この預言の言葉によると、
たくさんの人が殺されるその日は塔という塔が倒れる時
ということになり、そこにヨハネの黙示録で書かれている「ハルマゲドン」という言葉がうっすらと見えてくるような気がするのです。
戦いによって数多くの見張りのやぐらが倒れたと考える方が素直な読み方なのかもしれませんが
MGDにバベルの塔のようなものを思うならば、
MGDにバベルの塔のようなものを思うならば、
その日にはバベルの塔「のようなもの」がたくさん倒れるというメッセージが聞こえてくるような気がするのです。
・・・人間たちが頼みにしていた優れたもの、神さまを超えられると思うくらいのものがことごとく倒れてしまう・・・そういう時がやってくる
・・・人間たちが頼みにしていた優れたもの、神さまを超えられると思うくらいのものがことごとく倒れてしまう・・・そういう時がやってくる
そんなふうに読めるような
気がしました。
そして、そう読むと、
エレミヤ書31章の
主はこう言われる。もし、上においては天が測られ下においては地の基が究められるなら私もイスラエルのすべての子孫を彼らのあらゆる行いのゆえに退けることもありえよう――主の仰せ。
この御言葉に、
黙示録のハルマゲドンという言葉の奥にあるものと同一のものを見いだすことができるような気がするのです。
黙示録のハルマゲドンという言葉の奥にあるものと同一のものを見いだすことができるような気がするのです。
参考までに、他に丘とか塔とか書かれている箇所が預言書にはないかと探してみたところ
イザヤ書32章14節にこんな言葉がありました。
宮殿は捨てられ、にぎわった町は荒れすたれ、丘と、やぐらとは、とこしえにほら穴となり、野のろばの楽しむ所、羊の群れの牧場となるからである。
ここにはちょうど「丘」という言葉が出てきますが、これは、
Strong's Hebrew 6076 עֹפֶל ophel オフェルというヘブライ語です。
上に引用したイザヤ書32章14節は口語訳ですが、
聖書協会共同訳でここの箇所はこう訳されています。
宮殿は捨てられ、町のにぎわいはうせ
高台と見張りの塔は、いつまでも獣の住みかとなり
野ろばが喜ぶ所、羊の群れが草を食む所となる。
「丘と、やぐらとは」という箇所が「高台と見張りの塔は」となっています。
ヘブライ語の「オフェル」は多くの場合、要塞化された丘または高台で要塞化された都市の一部という文脈で使用されるそうです。
「丘」と「塔」
しかし、ここに使われている「塔」という言葉はMGDではなく
Strong's Hebrew 975 בּחן bakh'-an バカン
で、「高台(丘)と見張りの塔は」は
עפל ובחן
オフェル ワ バカン
「ワ」はヴァヴという一文字、で、andと訳します。
ちなみに
Strong's Hebrew 975のבחן bakh'-an バカンという語は、
聖書の中ではたった一度だけ、このイザヤ書の32章14節にしか登場しないことになっているのですが、
全く同じ綴りで読み方の異なる単語があります。
同じ綴りだと似た意味を持つことが多いので974番を調べてみると
Strong's Hebrew 974 בחן baw-khan' バウカン
この単語は聖書の中に29回登場していて、
意味としては to examine, try 調べる、試す となっています。
イザヤは32章14節において、「調べるとか試す」という意味を込めて「塔」という表現をしている・・・のかもしれません。
イザヤは32章14節において、「調べるとか試す」という意味を込めて「塔」という表現をしている・・・のかもしれません。
と言っても何が何やら訳が分からないので974番が使われている聖句を引用してみます。
例えばゼカリヤ書13章9節(引用聖句は口語訳)
わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。
この御言葉の中の「銀をふき分けるように、これをふき分け、」というところの「ふき分ける」「ふき分け」という言葉がそれぞれ974番のבחןです。
そして他には(口語訳聖書から引用します)
あなたがたをこうしてためしてみよう。パロのいのちにかけて誓います。末の弟がここにこなければ、あなたがたはここを出ることはできません。創世記42章15節
あなたがたのひとりをやって弟を連れてこさせなさい。それまであなたがたをつないでおいて、あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言葉をためしてみよう。創世記42章16節
わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。
歴代誌上29章17節
朝ごとに、これを尋ね、絶え間なく、これを試みられるのか。
ヨブ記7章18節
主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。
詩篇26篇2節
試されてますね(笑)
実際のメギドという場所は地形的に「丘」であって
「山」ではないのですから
ハルと書かずオフェルとし「オフェルメギド」たって良かったような気がしますが、
そうしていないのはやはり「ハル」と表現して伝えたいことがなにかあったのでしょう。
ハルは546回も旧約聖書にある言葉です。
山という語が聖書の中でどういう意味で使われることがあるかということを考えたり
ハルマゲドンという語の直前に登場するストーリーから察しなさい、と言っているような気がします。
そして「マゲドン」=MGDは塔、
塔と言えばバベル(バビロン)、
さらには塔と言う意味の「バカン」から「バウカン」を連想すると、
終末に起こる大殺戮の原因や
それによって引き起こされる「試み」
そして、試みられ「分けられていく」人々・・・
また、B.C.15世紀のメギドの戦い(トトメス3世率いるエジプト軍とカデシュ王率いるカナン連合軍との戦い)もイメージできる人々にとっては、
そう、
カデシュとはヘブライ語でקָדֵשׁ 「神聖である」という意味なので、
カデシュとはヘブライ語でקָדֵשׁ 「神聖である」という意味なので、
・・・もっともっといろいろなことを思うのかもしれません。
ヨハネの黙示録を朗読してもらって聞いただけで理解できる人々にとっては
私たちが考えるよりも深いメッセージが聞こえる
そんな気がします。