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イザヤ書30章26節の解釈(5)単純な話

さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 イザヤ書30章26節 月の光は日の光のようになり・・・ 日の光は七倍となり・・・ ということをここのところずっと考え続けておりました。 で、今朝目が覚めた瞬間私は実に単純なしかし重大なことを見落としていたことに気付きました。   太陽が7倍って 光量であれ熱量であれどっちでもいいですが、 地球上の生物は生存不可能ではないでしょうか。   太陽は一つでよいのです。 それがベストだから 神さまはそうされたのです。   としたら、変える必要は無いわけです。   じゃあ、なぜ変えるのか。       と考えると、 これはあまりよい状況には思えないのですが・・・     7という数字に良いイメージがあるので、日の光が7倍になると言われると良いイメージに引っ張られがちですが、   太陽は一つで十分でありその状況がトーブなのですから   たとえ7という数字がそこにあったとしても   7倍が良いとは思えません。   だとすると、これはわざわいではありませんか?   イザヤ書30章26節カテゴリ 一覧 イザヤ書30章26節の解釈(1)実はレアな単語だったのです イザヤ書30章26節の解釈(2)出来事の順番がおかしいと思うのは私だけ? イザヤ書30章26節の解釈(3)太陽と月の役割 イザヤ書30章26節の解釈(4)新約聖書で「太陽」と「月」という言葉を探してみた イザヤ書30章26節の解釈(5)単純な話 イザヤ書30章26節の解釈(6)七倍という言葉 イザヤ書30章26節の解釈(7)よくわからないのでもうしばらく考えます イザヤ書30章26節の解釈(8)主は激怒しておられる・・・と思うのは私だけ? イザヤ書30章26節の解釈(9)bind saddled rule しかし gives relief イザヤ書30章26節の解釈(10)悪い光なんてあるのか? イザヤ書30章26節の解釈(11)いったんまとめます イザヤ書30章26節の解釈(12)「七日の光」 イザヤ書30章26節の解釈(13)引き続き「七日(間)の光」について イザヤ書30章26節の解釈(14)「太陽のような...

イザヤ書30章26節の解釈(4)新約聖書で「太陽」と「月」という言葉を探してみた

イザヤ書31章26節の太陽と月にに関係するところが新約聖書にないものか探してみることにしました。   ギリシャ語で太陽はStrong's Greek 2246 ἥλιος  hélios 新約聖書には32箇所あります。以下すべて口語訳聖書から引用します。 書名をカタカナで書いたところは 月Strong's Greek 4582  σελήνη  selénéが同時に登場する箇所です。 書名を英語で書いたところは 太陽と月とセットではない箇所です。     マタイ5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、 太陽 をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。   Matthew13:6  日 が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。     Matthew 13:43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、 太陽 のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。   Matthew 17:2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は 日 のように輝き、その衣は光のように白くなった。   マタイ24:29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち 日 は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。   Mark 1:32  夕暮になり 日 が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。   Mark 4:6  日 が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。   Mark 13:24 その日には、この患難の後、 日 は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、   Mark 16:2 そして週の初めの日に、早朝、 日 の出のころ墓に行った。    Luke 4:40  日 が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。   ルカ 21:25 また...

イザヤ書30章26節の解釈(3)太陽と月の役割

創世記1章14節から19節までを口語訳聖書から引用します。 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 夕となり、また朝となった。第四日である。 神さまが太陽と月を造られたという箇所です。 神さまはいったい何のために太陽と月を造られたのかというと まずは分けること。「昼と夜とを分け」と書いてあります。 分けるため、というところには להבדיל という言葉があります。 元の単語は בדל バダル(分けてわかれさせる、区別する)という言葉です。 להבדיל  lə-haḇ-dîl という形では聖書にトータル3回登場していて この創世記1章14節以外にはレビ記11章47節とエゼキエル書42章20節にあります。   これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを 区別する ものである。レビ記11章46,47節     このように、四方を測ったが、その周囲に、長さ五百キュビト、幅五百キュビトのかきがあって、聖所と、俗の所との 隔て をなしていた。エゼキエル書42章20節     בדל バダル この言葉こそがトーラーを表していると私は思っています。 トーラーをギリシャ語のノモスであると勘違いし、律法と訳し、がんじがらめに縛るものだという認識で長い間居りましたが、トーラーは縛るものなのではないのです。   20年以上前、私の娘は新築の家に引っ越した2週間後にアトピーを発症しました。また、その後の経緯からも、シックハウス症候群(化学物質過敏症)の疑いを持たざるを得ませんでした。 どんなものであれ病気になると、私たちはそれまでの生活をそのまま続けることができなくなるわけですが、化学物質に過敏であると判断した私がまず行...

イザヤ書30章26節の解釈(2)出来事の順番がおかしいと思うのは私だけ?

イザヤ書30章25節と26節のところを口語訳聖書とヘブライ語聖書から引用します。     30章25節 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。 והיה על כל הר גבה ועל כל גבעה נשאה פלגים יבלי מים ב יום הרג רב ב נפל מגדלים׃     30章26節 さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 והיה אור ה לבנה כ אור ה חמה ו אור ה חמה יהיה שבעתים כ אור שבעת הימים ב יום חבש יהוה את שבר עמו ומחץ מכתו ירפא׃     前の記事では太陽と月と訳されている単語について調べて分かったことを書きました。 きょうは、そういう細かい話以前のこと、イザヤ書30章25、26節の「国語の読み取り」的な話についていつも思っていることを書きたいと思います。   まずは「大いなる虐殺の日」というもの提示され、そういう日があるのだな、と考えるわけですね。そして次に「やぐらの倒れる時」という言葉が句点で区切られて書かれているので、この二つの内容の関係性はどうなのかと考える。 で、「虐殺とやぐらが倒れるということが同時に起こる」と言いたいのか「大いなる虐殺の日とはつまりやぐらが倒れる時」と言いたいのか、よくわからないなあ、と毎回思うわけです。 しかし、日本語というのは最後まで読まないと意味が分からないものだ、という長年の経験がありますから、そういう分からなさのモヤモヤをいつも抱えたまま「やぐらの倒れる時」のあとの句点に目が行き、 句点があるから無意識に期待するわけです。「大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時」という二つもの条件設定をされた上での句点、だからきっと「その時」にどうなるのかという事が、次に書いてあるはずだと。 ところが、どう「なる」わけではなく、句点の前には全くなにも言ってはいなかったのように山と丘に川が「ある」と言い放つわけです。 ...

イザヤ書30章26節の解釈(1)実はレアな単語だったのです

さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は 日 の光のようになり、 日 の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。 イザヤ書30章26節(口語訳) 前回 חמ ハム( חם )という言葉がハマスという言葉に含まれているという話を書きましたが そういう視点を持つとき、イザヤ書30章26節の「日(もしくは太陽)」という言葉にも חמ ハム( חם )という言葉が含まれている、ということになります。   「日(もしくは太陽)」と訳されているヘブライ語は多くの場合、絵文字のような象形文字のようなキラキラしたイメージを感ずることのできるこちらの単語  Strong's Hebrew 8121  שׁמשׁ が使われています。 שׁמשׁ という語はEnglishman's Concordanceによれば 聖書中に134回登場 しているようです。 しかし、イザヤ書30章26節で「日」と訳されている言葉は 聖書中に6回しか登場していないレアな単語 です。 イザヤ書30章26節の「日」はStrong's Hebrew 2535です Strong's Hebrew 2535  חמה   Englishman's Concordanceを見ると、この単語が登場する 6回のうち3回はイザヤ書に現れているということがわかります 。 Strong's Hebrew: 2535. חַמָּה (chammah) -- heat, sun 口語訳聖書から2535番が登場する箇所を引用します。 太字にしたところが2535番を訳したと考えられるところです。 ヨブ記30:28 わたしは 日 の光によらずに黒くなって歩き、 公会の中に立って助けを呼び求める。 詩篇19:6 それは天のはてからのぼって、 天のはてにまで、めぐって行く。 その 暖まり をこうむらないものはない。 雅歌6:10 「このしののめのように見え、 月のように美しく、 太陽 のように輝き、 恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者はだれか」。 イザヤ書24:23 こうして万軍の主がシオンの山 およびエルサレムで統べ治め、 かつその長老たちの前に その栄光をあらわされるので、 月はあわて、 日 は恥じる。 イザヤ書...

Strong's Hebrew 2555 Definition: violence, wrong

時に世は神の前に乱れて、 暴虐 が地に満ちた。 創世記6章11節(口語訳) ותשחת הארץ לפני האלהים ותמלא הארץ חמס ׃ Strong's Hebrew 2555 Definition: violence, wrong חמס    ḥā·mās     ちなみに例のテロ組織はחמאסと表記するそうです。 חמאס – ויקיפדיה   そして ノアの息子のハムはחמסからסサメフを取って חם ḥām     今日は חמס この語を含む聖書の箇所を調べました   そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を 暴虐 で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。 創世記6章13節(口語訳)   シメオンとレビとは兄弟。 彼らのつるぎは 暴虐 の武器。 創世記49章5節(口語訳)   あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、 悪意のある 証人になってはならない。 出エジプト記23章1節(口語訳)   もし 悪意のある 証人が起って、人に対して悪い証言をすることがあれば、 申命記19章16節(口語訳)   2555番の言葉はトーラー以外預言書などにも登場しますので いくつかピックアップし口語訳聖書から引用します   彼は 暴虐 を行わず、 その口には偽りがなかったけれども、 その墓は悪しき者と共に設けられ、 その塚は悪をなす者と共にあった。イザヤ書53章9節   見よ、主の手が短くて、 救い得ないのではない。 その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。 ただ、あなたがたの不義が あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。 またあなたがたの罪が 主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。 あなたがたの手は血で汚れ、 あなたがたの指は不義で汚れ、 あなたがたのくちびるは偽りを語り、 あなたがたの舌は悪をささやき、 ひとりも正義をもって訴え、 真実をもって論争する者がない。 彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、 害悪をはらみ、不義を産む。 彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。 その卵を食べる者は死ぬ。 卵が踏まれると破れて毒蛇を出す。 その織る物は着物となら...