詩編23編4節の中にある表現が気になりました。
たとえ死の陰の谷を歩むとも
私は災いを恐れない。
あなたは私と共におられ
あなたの鞭と杖が私を慰める。(聖書協会共同訳)
「死の陰の谷」とは何でしょうか?
BIBLE HUBでヘブライ語聖書を見てみます。
https://biblehub.com/text/psalms/23-4.htm
גם כי אלך בגיא צלמות
谷はגיא
そしてצלמות tsalmavethが死の陰と訳されています。
צלמותは、tsel と mavethが合わさってできた言葉で、צֵל tselが陰、מָוֶת mavethが死という意味があります。
ここで、tselの「訳」ではなく、構成しているヘブライ文字を見てみます。
צל
צという文字を見てすぐに思い出したのはצֶדֶק tsedeq という言葉です。このツェデクは日本語の聖書にあるメルキゼデクの「ゼデク」の部分で、「義」です。
צは釣り針の形からできた文字だと言われていますが、この文字はツェデクの意味を踏まえて「曲がったヴァヴ」と「ヌン」の合成された形、
つまり、ヴァヴとは神聖四文字にも含まれる文字でありますから、神さまご自身が曲がられる=神さまご自身のご謙遜=天から下られたイエスさま をイメージさせる文字
であり、
ヌンとはもともとは魚の形からできていますから、詩編72編17節に出てくるנוּןのような、王の名が「とこしえに続く」というようなイメージのある文字です。
その二つが合わさったようなイメージがצという文字にあるとすると、
そのあとに続くלが何であるのか。
לは杖や突き棒の形からできた文字のようです。そして、ל(ラメド)という言葉に近い
לָמַד lamadという言葉はteachつまり教えると訳されています。
「死の陰」
言葉はとても暗く神さまとはなんのかかわりもないような暗さや恐怖を感じますけれど、しかしそれはまちがいなく神さまの支配下にあり必要な通り道である死の陰。
次から次へとひどい患難があるときにもそこに羊飼いなる主がいらっしゃる。
巨大な山の間にある深い谷を歩むようなことはあったとしても
羊飼いは意味もなく羊たちをそんな谷に導いたりしません。
その谷を過ぎたところに、きっと羊が安息できる場所がある。
義の杖で羊と山羊を分ける時、そして闇に紛れている悪者に光が当たり悪事を暴きだすその時、
静かだった水面に大きな波は立つものですが
たとえそれが、羊にとっては大変過酷であって、とんでもない苦しみをともなうことだったとしても、
羊はそこに居続けてはいけなかった!
羊飼いは、パッと見では良かったかも知れないあなたが暮らしていた楽しい生活を壊し、あなたをそこから連れ出します、本当の自由と平安のある約束の地に移動するために。
のどは乾き、エジプトで食べていたようなごちそうが無くなるように見えるかもしれない。
そして、その過酷さに耐えられず不信感を持ってしまうかもしれない。
しかしだからこそ主のものである私たちは何度も何度も出エジプト記を読み、
毎年過ぎ越しの祭りを祝い、仮庵の祭りを祝うわけです。
永遠の視点を持って。
毎年過ぎ越しの祭りを祝い、仮庵の祭りを祝うわけです。
永遠の視点を持って。
そしていま私たちにはモーセはいませんが、
真のトーラーであられる主ご自身が私たちと共におられる。
だから
たとえ死の陰の谷を歩むとも私は災いを恐れない。あなたは私と共におられあなたの鞭と杖が私を慰める。