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「解放」「自由」「流れる」の続き (自由勉強していたらわからなくなりました報告)

前回、  Strong's  Hebrewの1865番 דְּרוֹר には、 「解放」「自由」「流れる」という意味がありました、という話を書いたのですが、 書きながらずーっと気になっていたのはこのデロールという言葉の文字列。 ד  ダレトの次に並ぶ  רור  って何なんだ、と。 で、調べてみたのですが、ストロングの辞書の7325番に רור  という文字列の言葉を見つけました。 聖書にたった1度だけ登場する言葉で、それはレビ記15章3節にありました。口語訳聖書から引用します。 その流出による汚れは次のとおりである。すなわち、その肉の 流出 が続いていても、あるいは、その肉の流出が止まっていても、共に汚れである。 ストロングの辞書によると、 よだれを垂らす、液体を放出する(潰瘍性または自然発生的なもの)、つまり、流れる ということでした。 とすると דרור デロールは よだれとかそういうたぐいの、体から流れ出る液体をダレト(扉)で止めた、ということでしょうか?? この間、血液はヘブライ語で דם と書きましたが、 これと同じような発想で単語の先頭にダレトを置いて体内に収めておく…??? え???それが解放?自由?流れる??? ・・・流出していた血液が固まってかさぶたができた的な発想ですかね。 でもそうすると、液体の没薬ではなく水分が蒸発して没薬が固まってしまうという方が近いという話になってしまう。 むむむ、もしかしたら、 7325番が רור であり、この三文字の単語が聖書にはたった一度だけレビ記15章3節に登場すると書いてある辞書がおかしいのかもしれない。 いや、だって、辞書こそ完璧じゃないんです。わからないままの言葉はいっぱいあるし、ついこの間だって、箴言30章1節のところ、「ウカル」という言葉について、辞書にある定説から離れることで訳したわけですから。 レビ記15章3節には רר という二文字があるのです。 なのにそれが רור であると分類したのがおかしいのかもしれない。 レシュが二つ並んでいるものと、その間にヴァヴが入り込んでいるものと同じということはないような気がします。 またいろいろ調べなくては。 たとえば רר という文字列を含む言葉をちょっと調べてみます。 水を表すメムを先頭につけると מָרַר  激しく怒る、ひどく悲しむ、...

「解放」「自由」「流れる」

どうしてそうしたのか記憶がないのですが、Strong's  Hebrew  1865をお気に入りフォルダに入れていたことに気付きました。 דְּרוֹר  derorと見出しに書いてある、 deh-rohr' と発音されるヘブライ語です。 そう、 外国語をひとりで学んでいると困るのは発音がわからないことです。いつだったかセファルディム式のヘブライ語の発音でヘブライ語聖書の章ごとのMP3音声録音を公開してくださっているサイトを知り、 https://mechon-mamre.org/p/pt/ptmp3prq.htm 利用させていただいています。 もっとも、私はただのおばちゃん信者であって研究者ではないのと、聖書ヘブライ語は「日本語もよくご存じである」神さまの「み言葉を聴くためのことば」だと割り切り、(そうしないと難しすぎて、教科としての英語がそうだったように毛嫌いしてしまう結果が見えているので)コムズカシイことは完全スルーしております。ヘブライ語も赤ちゃんがお母さんの言葉を聴くような気持ちで「眺めております」ので覚えようとか頑張ろうとかそういう発想は全くありません。音声を聴く時も、最近始めたラジオ講座の中国語の音声と同じように、歌のような気分で聴いております。でもきっと、よく言われるように1万時間くらい聴けば何か得るものはあるんじゃないかと、思っています。ぼぉ~っと聴いていても、そう、わずか半年、ドラマを見てセリフを聴いているだけでも中国語の単語かなり覚えられたようですよ。初めての1週間だったからということもあるとは思いますが、ラジオ講座を聴いていると、既に知っている言葉がたくさんあり驚いています。テキストで、これまでは音しか知らなかった言葉の「文字」を初めて確認し、へぇ~っとなる日々です。 英語の苦手意識が外国語全体の苦手意識となっていましたが、最近はそういう気持ちもなくなりました。完全に未知の言語を使っている国に移住しても、どうにか暮らせるような気がする今日この頃。お金は相変わらず無いですが、災害でもなんでもきっかけさえあれば国内外どこでも行くよ、という変な勢いが最近の自分にはあります。(おばあちゃんになったということだろうか) 話がずれました(;^_^A 年を取るとどうも余談が多くなりますね。 話を元に戻します。 Strong's ...

仮庵の祭りのときに ヨハネによる福音書7章

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口語訳の新約聖書 ヨハネによる福音書7章から引用します。 イエスさまが仮庵の祭りをどのように過ごしておられたか、そして何を語られたか、そしてその時、他の人々は何をしていたのか読み取れる箇所です。 2026年、 私たちは、どう過ごしているでしょうか。 以下引用  時に、ユダヤ人の 仮庵の祭 が近づいていた。(2節) あなたがたこそ 祭 に行きなさい。わたしはこの 祭 には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから」。(8節) しかし、兄弟たちが 祭 に行ったあとで、イエスも人目にたたぬように、ひそかに行かれた。 ユダヤ人らは 祭 の時に、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。(10、11節) 祭 も半ばになってから、イエスは宮に上って教え始められた。(14節) イエスは宮の内で教えながら、叫んで言われた、「あなたがたは、わたしを知っており、また、わたしがどこからきたかも知っている。しかし、わたしは自分からきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実であるが、あなたがたは、そのかたを知らない。 わたしは、そのかたを知っている。わたしはそのかたのもとからきた者で、そのかたがわたしをつかわされたのである」。(28、29節) 祭 の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。(37、38、39節) ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。 キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。 こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。(41、42、43節) 引用以上 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう 荒野、乾燥した砂漠 荒野、飲んでも飲んでも渇き 草の一本も育たないサソリのすみか しかし エデンから川が流れ出たように ナイル川のよう...

詩篇76篇10節(4+)

詩篇76篇10節のところを読んで(結局まだ考えています)   תודך  という言葉を知ったのですが、 以下「 詩篇76篇10節(4) 」から引用   תודך  という形で登場するのは聖書の中ではわずか2回で 詩篇76篇のここと、もう一か所はイザヤ書38章18節です。 「陰府は、あなたに感謝することはできない。死は あなたをさんびすること はできない。墓にくだる者は、あなたのまことを望むことはできない。」 イザヤ書38章18節(口語訳) 引用以上 で、これは  יָדָה   ストロングの辞書で言うと3034番の単語がもとになっているということでした。 で、 תודך をじっと眺めていた時、綴りがなんとなくあれに似てる気がしたんです。イザヤ書8章20節に登場するteudah תְּעוּדָה   Strong's  Hebrew  8584 8584番も、聖書に3回しか登場しない言葉で、そのうちの2回はイザヤ書です。 で、8584番は5749番のuwdという単語がもとになっているとBIBLE HUBに書いてあります。5749番はアインから始まる三文字 עוּד  これは、「証言する」という意味があります。 עוּד   証言する  と יָדָה   さんびする  を合わせると תְּעוּדָה  っぽい気がします。意味もそれっぽい。  (ロボットは絶対しないであろう気ままな人間の発想です(笑) 以前イザヤ書8章20節について書いたときには   תְּעוּדָה  が  תורה   Torahトーラーという単語の綴りに似てると書いたことがあり、 あれも結構なこじつけというか、パンダと狆(ちん=日本の国犬)が似てると言ってしまうぐらいの突拍子のなさというか、素人ならではの怖いものなし感に満ちていたわけですが  https://kyudochu.blogspot.com/2023/02/820.html それでも、いろいろな経験をしていろいろな言葉に出会うことでいろんな見方や考え方が広がっていくのだと思います (と、めずらしく自己肯定感高め。) そう、素人のこういう突拍子のない思い付きが案外おもしろいところに発展していったりするんじゃないか、とも思っています。 昭和時代の日本国内だけで学校教育を受けた自分は、 どんな教科で...

詩篇76篇10節(4)

 (3)でおわったはずなのになぜ(4)なのか、と言いますと、BIBLE HUBで見たヘブライ語聖書を眺めて、どんな訳を付けられるかと自分で考えた過程を記録し忘れてしまったことに気づいたからです。 もっとも、結論としては「これは難しすぎて訳せないな」と思ったわけですが、しかし、今後、どんなヒントと出会えるかわからないわけですから、あきらめてはいけないですよね。 כי־חמת אדם תודך שארית חמת תחגר׃   10節のみ言葉は創世記の キ トウブ 「はなはだ良い」でおなじみの כי  キ からはじまっています。キ には「そのため、したがって、一方、確かに、しかし、確かに、疑いなく」というような訳語が充てられるようです。 二語目は  חמת  は「怒り」とか「熱」とか「毒」などを表す 名詞 だそうです。 そして三語目は  אדם  アダム、つまり、「人」です。 そして四語目になって初めて動詞が登場します。  תודך  これは もとの単語は  יָדָה  賛美するとか感謝するという意味の言葉です。   תודך  という形で登場するのは聖書の中ではわずか2回で 詩篇76篇のここと、もう一か所はイザヤ書38章18節です。 「陰府は、あなたに感謝することはできない。死は あなたをさんびする ことはできない。墓にくだる者は、 あなたのまことを望むことはできない。」 イザヤ書38章18節(口語訳) 語尾についている ך が、「あなたを」と訳されています。 では、この「あなたをさんびする」という動詞はいったい誰の行動なのか、ということです。 ヘブライ語の文は、多くの場合動詞が先頭に来るので、あなたを讃美するという言葉の直後にある単語を見たわけですが、するとそこには שארית  残り、残りの者 という単語がありました。 おそらく、聖書協会共同訳の「怒りを免れた者はあなたを祝う」という言葉は、この「残りの者があなたをさんびする」という訳文に前後にある「怒り」という言葉をうまく足して配置したものなのだと思います。 が、「残り」とか「残りの者」と訳せる単語の後ろを見るとあと二つ単語があるわけです。しかも、「残り」とか「残りの者」と訳せる単語の直後にあるのはまた「怒り」とか「熱」とか「毒」とかと訳さなければいけない名詞で、そのあと、つまり文...

詩篇76篇10節(3)

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 https://www.mgketer.org/ というサイトがあります。 インターネットと翻訳システムが無ければ私のような乳飲み子が近づくことはできなかったであろうサイトです。 たぶん、聖書を専門的に読んでいらっしゃる方は皆ご存じ?なのだと思います。検索するとすぐに出てきますから。 で、・・・そこでちょこっと詩篇76篇10節を探してみたのですが、 グーグル先生にちゃちゃっと翻訳していただいても日本語なのに何を言われているのかさっぱり意味が分からない。 コンピューターの翻訳機能(←古そうw)というものを使って外国語の記事や動画を眺めるようになって以来つくづく思っていることなのですが、言葉自体も分からないけれども、私が本当にわかっていないのはそこではない、もっと別のところ・・・。 それにしても あ~~何を言われてるのかわからな過ぎて、そこに先生がいたとしても質問すらできません。 平信徒とはいえ、年数だけは長かったのに・・・。 でも、まあね、質問なんかしなくていいんですよ、クリスチャンはね、 そう、いいんですクリスチャンは、細かいことはともかく救われてればね。余計なことは考えなくていいんです!ユダヤ教徒じゃないんですから。 昔、そういうことを言うクリスチャンがいたなあ・・・私たちはキリスト教徒であってユダヤ教徒じゃないんですからそんなこと考えなくていい…って。(笑) ・・・ま~た変なところを一周してしまった感。 それに、私はとっくの昔にクリスチャンやめてるし。 (ややこしいよな、ほんとに。私って何?) でもそうだ、1タラントを埋めなかっただけでOKだし、 こんなことでそもそも神さまは怒らない。 そう、イエスさまの後ろを歩いていけばいい。 (じゃあ、私はイエスさまのフォロワー?) 76篇10節の話はこれで終了! 知らんけど。 あ、でも、これだけはお伝えしておこうと思いますが、 一番上に書いたサイトは、バル=イラン大学のユダヤ学学部元学部長であるメナヘム・コーエン教授らの30年以上に及ぶ科学的研究成果を基に構築されているサイトであり、いろいろな意味で素晴らしいものです。 メナヘム・コーエン教授についてウィキペディア

詩篇76篇10節(2)

今日は、 詩篇76篇(口語訳)の内容を「表面的に」確認してみようと思います。 聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせたアサフの歌、さんび この詩篇は誰の歌なのか、そして「さんび」の歌であることが示されています。 神はユダに知られ、 そのみ名はイスラエルにおいて偉大である。 アーメン。 その幕屋はサレムにあり、 そのすまいはシオンにある。 神さまのいらっしゃる場所の確認。 かしこで神は弓の火矢を折り、 盾とつるぎと戦いの武器をこわされた。〔セラ 神さまは武装する者から武器を取り除かれた あなたは永久の山々にまさって 光栄あり、威厳がある。 アーメン。 雄々しい者はかすめられ、彼らは眠りに沈み、 いくさびとは皆その手を施すことができなかった。 神さまの前では人間から見て恐れるべき人たちも乳飲み子のように無力だ ヤコブの神よ、あなたのとがめによって、 乗り手と馬とは深い眠りに陥った。 ヤコブの神さまの力は偉大であり、あなたの𠮟責で乗り手と馬を深い眠りに陥らせることができる。 しかし、あなたこそは恐るべき方である。あなたが怒りを発せられるとき、 だれがみ前に立つことができよう。 アーメン。 あなたは天からさばきを仰せられた。神が地のしえたげられた者を救うために、 さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙した。〔セラ 天から正義の言葉を聴くと地は畏れ静かになる 神さまは裁くために立たれる 救いをもたらすために 地のすべての謙虚な、卑しい、柔和な、貧しい人々に セラ まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。怒りの余りをあなたは帯とされる。 あなたがたの神、主に誓いを立てて、それを償え。その周囲のすべての者は 恐るべき主に贈り物をささげよ。 あなたの神さまである神聖四文字であられる方に誓いを立ててそれを実現(完成)させなさい。すべて周りに運ばせよう 恐れるべき方に贈りなさい(たたえなさい) 主はもろもろの君たちのいのちを断たれる。主は地の王たちの恐るべき者である。 (神さまは)支配者の霊を切り離す (神さまは)地の王たちから恐れられている この詩篇は 神さまの偉大で恐れるべきお方だ、という話が最初から最後まで続いている、という感じがします。で、特に後半については「さばき」という話題となり、 まずは神さまは言葉を語られ、そうすると地はしずまり、 つぎに立ちあがられて地上にいる虐...