不正な管理人、不正の富
最近はクリスチャンであった時代に積み残した課題を一つ一つ考えています。 今日はルカの福音書16章について。 老眼がきつくなって小型中型の聖書を読むのが大変なので大型を持っている新改訳聖書を読みながら書きます。なので今日は新改訳聖書(第三版)から引用させていただきます。クリスチャンであった時代のことを振り返るには新改訳聖書の方がふさわしいですし。 「不正な管理人」という言葉がわからなくてずっと悩んでおりましたが、改めて16章全体を読んでいたら、すっとほどけていくような気がしました。 そう、なんのことはなかったのです。「不正な管理人」と言う名でイエスさまが語られた時、該当者としてイメージしていたのは、主(おも)に「パリサイ人、律法学者」のことだった、というだけのことでした。 新約聖書を首をひねりながら読む、「わたし自身」のことをイエスさまが「不正な管理人」と呼んだのだと考えて読もうとしたから難解になってしまった。 ただし、16章1節には 「イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた」とありますので、 「お弟子さんたち」には、「パリサイ人、律法学者」とともに、この話を通して学んでほしいことがあったのだと思います。それはおそらく二つの意味で。一つは、「パリサイ人、律法学者」の現状ということ、そしてもう一つは「弟子たち」にもその可能性があるという意味で。 16章は、15章の百匹の羊のうちの一匹がいなくなってしまった話、銀貨を一枚なくした話、放蕩息子の話、に続く話です。場面としてはまず「取税人と罪人たち」が登場し、彼らが「イエスさまの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。」と言うところから始まります。 ただ、その場面には「パリサイ人、律法学者」もいた。 15章2節にはこうあります。 「すると、パリサイ人、律法学者たち、はつぶやいて、こう言った。『この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。』」 そこで この「そこで」は15章3節の 冒頭のことばです。 「そこで」つまり、お話が聴きたい「取税人と罪人たち」、文句が言いたい「パリサイ人、律法学者」そして「お弟子さんたち」がいるその場所でイエスさまは語られたこと、それが15章16章であるとすれば、そして、それぞれのお話に登場する人物のキャラクター設定とそのお話のメインテーマに注目すれば、それぞれのお話にはそれぞれターゲッ...