投稿

11月, 2022の投稿を表示しています

「祝福」という言葉について(7)ギリシャ語の単語とヘブライ語の単語の比較

日本語の新約聖書で「祝福」と翻訳されている言葉がひとつわかりました。 Strong's Greek 2127 εὐλογέω eulogeó (動詞)  という言葉です。 Englishman's Concordanceによれば、この言葉は聖書中に43回登場しています。 どこにどういう翻訳で登場するのか、口語訳聖書から引用させていただきたいと思います。   マタイ5:44 ←うーむ・・・いきなり問題発生です。下の方であらためて書きますが、日本語の聖書には2127番に該当する言葉がありません!ギリシャ語聖書とKJV、INTには2127番の言葉があるようですが。 前に聖書の読み比べということで使徒18章21節のところの事を書きましたが、こういうことってよくあるのでしょうか?   マタイ14:19  そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを 祝福し 、パンをさいて弟子たちに渡された。     マタイ21:9 「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、 祝福あれ 。いと高き所に、ホサナ」。 詩篇118篇25,26節からの引用文   マタイ23:39 『主の御名によってきたる者に、 祝福あれ 』  詩篇118篇26節からの引用文       マタイ25:34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に 祝福された 人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。     マタイ26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、 祝福して これをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。     マルコ6:41 それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを 祝福し 、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。   マルコ8:7 また小さい魚が少しばかりあったので、 祝福して 、それをも人々に配るようにと言われた。   マルコ10:16 そして彼らを抱き、...

「祝福」という言葉について(6)マリヤの賛歌の「主をあがめる」はヘブライ語の「祝福」とは異なっていた

マリヤの賛歌のところにでてくる「主をあがめる」という心持ちが「祝福」という思いではないか、というようなことを前回書いたのですが、 ルカによる福音書1章46節の主をあがめるというところに使われているギリシャ語は  Strong's Greek 3170  μεγαλύνω  megalunó 動詞です。 でこの言葉は新約聖書に8回しか使われていません。 具体的にはこのルカ1章46節のほかに 前回も引用したマタイ23章5節 衣服の房を「長くしたりする」 使徒5章13節 民衆は彼らを「称賛していた」 使徒10章46節 神を「賛美している」のを 使徒19章17節 主イエスの御名は「大いにあがめられる」ようになった 二コリント10章15節 ますます「増大する」 ピリピ1章20節 キリストが「あがめられる」ように   というわけで、「祝福」と訳されている箇所は一か所もなく というか、Strong's Greek 3170  μεγαλύνω  megalunó の語源は Strong's Greek 3173  μέγας  megas であり 意味はlarge, great であって、直情的というか、自分を小さくして相手を大きくするような、「つつましい感じ」は無い印象を受けました。(英語の greatに対する偏見かもしれませんが)   例えばマタイ2章10節 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。   「非常な」というところが μέγας  megas です。 そして、完全にこれは祝福とは違う、バラクではないぞ、と断定させてくれるのは マタイ4章16節。 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、 「大いなる」というところが該当箇所ですが、ここはイザヤ書9章2節の引用ですから、その箇所のヘブライ語を調べればこのギリシャ語がバラクとイコールであるか否かわかるわけですが、ここは Strong's Hebrew 1419  גדול  gadol というヘブライ語がつかわれています。 というわけで、「大きい」のです、ラクダのように(笑) というわけで、 μεγαλύνω  megalunó も  μέγας  megasとおなじように、物理的な大きさに圧倒される感じ、ということでしょうか。...

「祝福」という言葉について(5)「たたえる」

聖書にある「祝福」という言葉について考え続けております。 考え続けておりますったって、要は私が、年数ばっかり一丁前にもかかわらず、教会から落ちこぼれてしまった孤羊ゆえの無知だったからかもしれない、という気もしてきましたが。 さて、本日は(5)ということになりまして、 以前の話を自分でも忘れてきましたので まずはここまでどういう話をしてきたか、ということをまとめます。 (1)では、 ユダヤ教徒は人間が神さまを「祝福」するらしいがキリスト教徒(自分)はしたことがないし滅相もない気がする。 ということを書きました。 (2)では、 ヘブライ文字の意味を考えると、「祝福」という言葉には「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがある気がした。 ということを書きました。 (3)では、 (2)を受けて、マタイ6章33節Seek ye first the kingdom of Godを思い出した話 を書きました。 そして(4)では、 創世記で「祝福」という言葉を調べたら、祝福の対象はほとんどが「人間と動物」だったが「もの」という場合もあること、そして、神さまが第七日を祝福している事実から、祝福には「1番のものとする」という意味はないような気がする。という話、さらには、百科事典には「祝福」という言葉の意味は「人から神への賛美と同時に,神から人への恵み」とあり、そもそも(1)で抱いた自分の疑問が「常識知らず」だったようだ という話を書きました。 で、本日は祝福という言葉が「たたえる」という意味を持つということについて調べたことを書きます。 Strong's  Hebrew 1288  בָרַךְ https://biblehub.com/hebrew/1288.htm バラクという単語が祝福するという意味のヘブライ語です。 あ、バラクバラクと言っていると人名のバラクを思い出す方がいると思いますが、人名のバラクは、民数記22章2節とヨシュア記24章9節、ミカ書6章5節のバラクは בלק という綴り、士師記4章6節のバラクは ברק で 祝福するという意味の ברך とは全く異なるものです。 そうなんですよ、だからカタカナで書かない方がいいんですよね、ヘブライ語は。 いや、ヘブライ語と限らず英語もそうですね。エルの音とアールの音をラ行で書いてしまいがちですがエルとアール...

「祝福」という言葉について(4)創世記

今日は、創世記のどういう場面「祝福」という言葉が使われているか調べてみました。 その結果、 祝福という言葉に「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがあると考えると理解しやすいかと思います。 と前回の記事までで言っていた内容を考え直さないといけない状況になりました。 今日は、まず、「日本語の聖書」さまのサイトの口語訳聖書で創世記を開き、 ブラウザのページ内検索で「祝福」という熟語を調べまして、 77回あるということがわかりました。 で、次に、一つ一つ読み、だれが何を祝福しているのかということを調べました。 まず、天地創造の場面では、神さまがおつくりになられたものを祝福しておられるわけですが、 神さまは造られたすべてのものを祝福されたわけではなく、「動物と人間」に限られていました。 神さまは動物と人間を祝福され、生めよ増えよ満ちよという言葉と そのほか、人間についてはその「役割」を語られ、 また、5章の人類創造の場面においては、祝福の後にアダムと「名前」をつけられたことが書かれています。 1:21神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。 1:22神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。 1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。  5:2彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。 祝福の対象は動物と人間、ノアもアブラムもイサクもヤコブもヨセフも・・・ 9:1神はノアとその子らとを祝福して・・・ 12:2わたしはあなた(アブラム)を大いなる国民とし、あなたを祝福し・・・ と思ったわけですが、 それは間違いで、 2:2神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作...

「祝福」という言葉について(3)マタイ6章33節

先日書いた「祝福という言葉について(1)」という記事で私はこう書きました 祝福という言葉に「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがあると考えると理解しやすいかと思います。 一方で「のろい」とは、「頂点以外」のどこか適当なところに、ということではなく、引きずりおろされて最後尾という厳しさが見られます。 こう書いてから思い出したのは イエスさまのみ言葉、マタイによる福音書6章33節の「歌」 まず神の国と神の義とを求めなさい。(口語訳) 日本語の聖書で読むと、多くの聖書に「まず」としか書いてないので気付きにくいのですが、 昔よく歌っていたマタイ6章33節を歌にしたものの英語歌詞、 Seek ye first the kingdom of God and his righteousness を思い出したのです。そういえばfirstという言葉が入っていたなあ、と。 BIBLE HUBで調べてみましたところ、どうもこの歌詞はKJVのようですね。 But seek ye first the kingdom of God and his righteousness and all these things shall be added unto you せっかくなのでギリシャ語を見ました。 ΚΑΤΑ ΜΑΤΘΑΙΟΝ 6:33 Greek NT: Greek Orthodox Church ζητεῖτε δὲ πρῶτον τὴν βασιλείαν τοῦ Θεοῦ καὶ τὴν δικαιοσύνην αὐτοῦ, καὶ ταῦτα πάντα προστεθήσεται ὑμῖν. 先日の読み比べで少々思うところがあったので、今日はギリシャ正教のみ言葉を引用しました。 πρῶτονという言葉がfirstにあたる言葉です。 Strong's Greek 4412 próton です。 聖書には58回登場する言葉です。 で、マタイによる福音書で、ほかにはどんなところに登場しているか、ということですが、 いつも大量すぎるので今日はいくつかにしますが 5章24節 その供え物を祭壇の前に残しておき、 まず 行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。  7章5節 偽善者よ、 まず 自分の目から梁を取りのけるがよい。 8章21...

今日は、創世記11章「バベルの塔」の話に登場する「石」について思いめぐらしておりました。   石は  אֶבֶן  Strong's Hebrew 68 ebenと読みます。 א (アレフ)から始まっている言葉です。 ヘブライ文字の一番初めの文字、音のない文字、特別な文字、 父なる神さまをあらわす文字です。 その文字の後に בן この綴りを持つ単語には בֵּן  Strong's Hebrew 1121 ben があります。 息子という意味があります。 マタイによる福音書3章9節に 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。(口語訳) というみ言葉がありますが、日本語で読んでも何も思いませんが、 ヘブライ語を調べてみると、「石ころ」と「子」という言葉の音の近さに何か意味があるのではないかと思えてきますね。     以前、岩について調べ学習をしましたが、 「神こそが岩」であると考えると マタイによる福音書21章42~44節のあたりの話は「神さまの子が石」? イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、 『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。 またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。(口語訳) それゆえ、主なる神はこう言われる、 「見よ、わたしはシオンに 一つの石をすえて基とした。 これは試みを経た石、 堅くすえた尊い隅の石である。 『信ずる者はあわてることはない』。イザヤ書28章16節(口語訳)       創世記11章の石という言葉からちょっと離れますが אבן という3文字に頭にも尾にも何もついていない אבן という単語が含まれるみ言葉をコンコルダンスで調べてみました。 全部で57箇所あるようですが、トーラーに登場するものだけここに書き写してみたいと思いま...

「祝福」という言葉について(2)申命記28章 祝福と呪い

申命記28章は3つの大きな部分に分けられます。   そしてその3つうち最も重要なのは一つめの部分であり、 さらに言うと、この章の先頭である1節にその最も大切な中心となる言葉があります。       もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。申命記28章1節(口語訳)   「もしあなたが」という書き出しで始まっていますが「あなた」とはだれの事でしょうか。 申命記のここまでの流れ、そして直前の27章のところから考えるとイスラエルのすべての人々ということになりますが、 またモーセとレビびとたる祭司たちとは、イスラエルのすべての人々に言った、「イスラエルよ、静かに聞きなさい。あなたは、きょう、あなたの神、主の民となった。それゆえ、あなたの神、主の声に聞き従い、わたしが、きょう、命じる戒めと定めとを行わなければならない」。申命記27章9、10節(口語訳) 「イスラエルよ、静かに聞きなさい。あなたは、きょう、あなたの神、主の民となった。それゆえ、あなたの神、主の声に・・・」という言葉にある「主の民」という言葉に着目するならば、これは御子イエスを頂いた神の国に所属する者たち全員が28章1節の「もしあなたが」の「あなた」に該当していることになります。   とすると、「もしあなたが」の「あなた」とは人間全体のことであって、 なぜなら、主イエスはすべての人類の罪を背負って十字架にかかってくださったからです。 今現在この時この瞬間に主イエスをキリストであると告白しているかどうか それをもって今私たちはその人々のことをクリスチャンと呼ぶわけですけれども、 今現在はそうでないかもしれない、しかしまだそうなる可能性が残されているすべての人々も この「あなた」の中に入っており、「もしあなたが」と呼びかけられているわけであります。   そして「もしあなたが」という言葉の後にはこういう言葉が続きます。 もしあなたが「あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、」   「もし」という言葉は「もしも」という言...

イザヤ書8章

イザヤ書8章を読んでいました。   1節にある「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」    מַהֵר שָׁלָל חָשׁ בַּז   マヘルは מַהֵר  Strong's Hebrew 4118 hastening, speedy,  急いでする シャラルは שָׁלָל  Strong's Hebrew 7998  plunder, booty 略奪、強奪  ハシは חוּשׁ   Strong's Hebrew 2363  make haste 手早くする バズは בּז  Strong's Hebrew 957  robbery, booty 強盗、強奪   で、新共同訳の本文にあるように、「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」という意味になる。     イザヤ書の8章という箇所は、興味をひかれる章です。固有名詞として翻訳聖書の中に「原語の音のまま」残される、「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」や「インマヌエル」という言葉がある一方、 「この民はゆるやかに流れるシロアの水を拒み レツィンとレマルヤの子のゆえにくずおれる。」 イザヤ書8章6節 (新共同訳) 「シロア」(新改訳聖書では「シロアハ」) この言葉はヨハネによる福音書9章7節、11節に出てくる「シロアム」でもあるわけですが、(シロアに水という意味のある文字メムが付いてシロアム?でしょうか?) ヨハネによる福音書9章には「シロアム」という言葉について「遣わされた者」という意味だ、とわざわざ書いてあるのです。   旧約聖書中にはここにしか登場しない「シロア」という池、 しかしその名前が福音書に登場した時にはわざわざ意味まで書き添えられている。   シロアשלח は、Strong's Hebrew 7975で、 上ではここにしか登場しないと書きましたが、本当はネヘミヤ記3章15節と、このイザヤ書8章6節の二箇所に登場している言葉です。 ただ、同じ言葉ではありますが、ネヘミヤ記のところにある 口語訳でシラの池、新改訳ではシェラフの池というのはイザヤ8:6のシロア(シロアハ)の水のことではないようです。最新の翻訳聖書でもあえて別の音を充てて翻...

秋の夜長に聖書の比較

イメージ
使徒18章21節を読み比べました。   ΠΡΑΞΕΙΣ 18:21 Greek NT: Nestle 1904← Nestleが編集し、1904 年に英国外国聖書協会によって発行されたギリシャ語の新約聖書 ἀλλὰ ἀποταξάμενος καὶ εἰπών Πάλιν ἀνακάμψω πρὸς ὑμᾶς τοῦ Θεοῦ θέλοντος, ἀνήχθη ἀπὸ τῆς Ἐφέσου,   ΠΡΑΞΕΙΣ 18:21 Greek NT: Westcott and Hort 1881 ἀλλὰ ἀποταξάμενος καὶ εἰπών Πάλιν ἀνακάμψω πρὸς ὑμᾶς τοῦ θεοῦ θέλοντος ἀνήχθη ἀπὸ τῆς Ἐφέσου,     ΠΡΑΞΕΙΣ 18:21 Greek NT: Westcott and Hort / [NA27 and UBS4 variants] ἀλλὰ ἀποταξάμενος καὶ εἰπών Πάλιν ἀνακάμψω πρὸς ὑμᾶς τοῦ θεοῦ θέλοντος ἀνήχθη ἀπὸ τῆς Ἐφέσου,   ΠΡΑΞΕΙΣ 18:21 Greek NT: RP Byzantine Majority Text 2005 ἀλλ’ ἀπετάξατο αὐτοῖς εἰπών, Δεῖ με πάντως τὴν ἑορτὴν τὴν ἐρχομένην ποιῆσαι εἰς Ἱεροσόλυμα · πάλιν δὲ ἀνακάμψω πρὸς ὑμᾶς, τοῦ θεοῦ θέλοντος. Ἀνήχθη ἀπὸ τῆς Ἐφέσου,     ΠΡΑΞΕΙΣ 18:21 Greek NT: Greek Orthodox Church←ビザンティンテキストから作成された ἀλλὰ ἀποτάξατο αὐτοῖς εἰπών· Δεῖ με πάντως τὴν ἑορτὴν τὴν ἐρχομένην ποιῆσαι εἰς Ἱεροσόλυμα , πάλιν δὲ ἀνακάμψω πρὸς ὑμᾶς τοῦ Θεοῦ θέλοντος. καὶ ἀνή...