虹は「雲」の中に

神はノアおよび共にいる子らに言われた、「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。
創世記9章8~17節 (口語訳)

日本語の聖書でこの箇所を読むとき、私の頭の中では勝手な要約が行われていたということに最近気づきました。

・肉なるものは洪水で滅ぼされることはない
・その契約のしるしは虹

そして、そんなふうに要約をしながら、目線は常に「虹」に行っておりました。

(もっとも、要約してしまうのは、ここの箇所に限ったことではなく、あらすじと教訓めいたものを覚えて実生活に適用するのがクリスチャン生活だと思っておりました。)


2020.11.23朝 @わが家の上



しかしヘブライ語聖書でこの箇所を読んでみて
今回は(次回はまた次回で視点が変わるかもしれませんが)
「虹」という言葉より「雲」という言葉がとても気になりました。

 

「すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。」

この御言葉の中に登場する「雲」という言葉は

עָנָן   Strong's Hebrew  6051 aw-nawn'です。
https://biblehub.com/hebrew/6051.htm

עアインというヘブライ文字は目の形が変化してできたものだということですが、
木のことをעֵץと言ったり、空を飛ぶ鳥のことをעוֹףと言ったりするので、
目は身体の高い位置にあるから「高いところにある」ものに使われる文字なのかな?だから雲もעから始まるのかな?とか思うわけですけれども(個人の感想です)

空の高いところに見える「雲」をあらわす単語עָנָןは、

Englishman's Concordanceによると
創世記9章13、14、16節に登場したあと、次に現れるのは出エジプト記13章21節22節なのです。

主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。

 

まあ、雲は雲で同一の単語表現だからこそ雲と訳されているはずですからあれも雲、それも雲で当然ではあるのですが、出エジプト記13章と同一の「雲」という言葉が大洪水の後の「虹」の箇所にあるということなど全く考えたこともありませんでしたし、この創世記の箇所では、上で言った通り毎度毎度「虹」ばかりに気持ちが行っておりましたからちょっと驚きました

 

で、いつものようにStrong's Hebrew  6051の前後にある似た綴りを持つ単語を調べてみたところ、このようなものを見つけました。

6031 עָנָה to be bowed down or afflicted ひれ伏す、または苦しむ
6032 עֲנָה to answer 答える
6033 עֲנָה poor 貧しい

6035 עָנָו poor, afflicted, humble, meek 貧しい、苦しんでいる、謙遜な、柔和な
6037 עַנְוָה gentleness, meekness やさしさ、柔和さ

6040 עֱנִי affliction, poverty 苦しみ、貧困
6041 עָנִי poor, afflicted, humble 貧しい、苦しんでいる、謙虚な

6045 עִנְיָן occupation, task ←コヘレト1:13ほねおらせられる苦しい仕事

6059 עָנַק to serve as a necklace ←申命記15:14惜しみなく与える、詩編73:6首飾

 

 

これまで、出エジプト記の「雲の柱」という言葉を読んでも、「ああ、雲の柱か」程度の感想を持つだけで、深く考えたことはなかったのですが、
すべてのものをお造りなられた全知全能の神さまが、イスラエルのそばを片時も離れることなく、そこに在られ、イスラエルを導かれる、
その時に民の目に見えるのが「雲」なのですから
ヘブライ語で「雲」表す語の周辺に「貧しい、謙虚、柔和、苦しみ」というような意味を表す言葉が並んでいるのは、
民とともにあるために貧しくなってくださった神さまであり、
高いところに在って知らんぷりするような神さまではなく
謙虚になってくださった神さまであり、
柔和な神さまである、
からこその周辺ワードかもしれない、と思ったのです。(個人の感想です)

そしてそれはまさに十字架の主ご自身み姿ではありませんか!
目には見えない全知全能の神さまが、
人が見上げたらはっきりと見える「雲の柱」を見せてくださったこと、
そして契約のしるしである虹を「雲」の中に置いてくださったこと、
トーラーの初めの初めからイエスさまご自身が見える!

 

わたしは雲の中に、にじを置く。 

これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 

わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。

 

 


主はイスラエルを愛し、インマヌエルであり、永遠の契約を結んでくださった。
そのしるしである「虹」は
主が地上に雲を起こされるとき、雲の中に現れる。

「雲」という言葉の周辺にある言葉を思いながら
「主が地上に雲を起こされる」という言葉の意味をもう一度考えつつ
イエスさまがはじめに来られた時のことを思い浮かべつつ

また、物理的にあり得ないわ~と思いながら繰り返し読んでいたマタイによる福音書24章30節についても考えつつ

雲について静かに思いをめぐらした本日。

そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
マタイによる福音書24章30節