投稿

2月, 2023の投稿を表示しています

バベルの塔とハルマゲドン(3)隠れたミグドル

出エジプト記14章2節にミグドルという地名が登場します。 「イスラエルの人々に告げ、引き返して、 ミグドル と海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない。 ・・・(口語訳) ミグドルという言葉は Strong's Hebrew 4024 מִגְדּוֹל  聖書の中に6回登場する言葉で、 この出エジプト記14章2節のほかに 民数記33章7節エタムを出立してバアル・ゼポンの前にあるピハヒロテに引き返して ミグドル の前に宿営し、 エレミヤ書44章1節エジプトの地に住んでいるユダヤ人すなわち ミグドル 、タパネス、メンピス、パテロスの地に住む者の事についてエレミヤに臨んだ言葉、 エレミヤ書46章14節「エジプトで宣べ、 ミグドル で告げ示し、 またメンピスとタパネスに告げ示して言え、 『堅く立って、備えせよ、 つるぎがあなたの周囲を、滅ぼし尽すからだ』。 エゼキエル書29章10節見よ、わたしはあなたとあなたの川々の敵となって、エジプトの地を ミグドル からスエネまで、エチオピヤの境に至るまで、ことごとく荒し、むなしくする。 エゼキエル書30章6節主はこう言われる、 エジプトを助ける者は倒れ、 その誇る力はうせる。 ミグドル からスエネまで、 人々はつるぎによってそのうちに倒れると 主なる神が言われる。   この6か所については 地名 としての ミグドル ですが   実は 地名ではなく 「塔」 という意味での ミグドル という単語がサムエル記下22章51節にあります。 で、サムエル記下22章のところはダビデの詩でありまして、詩篇18篇と共通するものなので、詩編18編51節にもミグドルという言葉があります。 しかし、日本語の聖書ではミグドルという言葉、つまり「塔」という言葉を「塔」とは訳さず、ミグドルのもととなった言葉だとされるgadal Strong's Hebrew 1431の持つgreatというような意味を充てています。 それはおそらく מגדיל מִגְדּ֖וֹל のどちらであるかはっきりしていないからなのだ、とは思うのですが 日本語の聖書ではサムエル記下22章を読んでも詩篇18編を読んでもミグドルを見出すことはできません。...

イザヤ書8章20節 絶望の淵から

ずっとイザヤ書8章20節を考え続けていました。 לתורה ולתעודה אם לא יאמרו כדבר הזה אשר אין לו שחר׃ 何が気になっていたのかというと Strong's Hebrew 8584  תְּעוּדָה  です。 旧約聖書にはわずか3回しか登場しないこの言葉 Definitionでは testimony, attestationとされるこの言葉をどう受け止めればよいのだろうか、と思ったからです。 לתורה ולתעודה torahとteudah torahはtorahですからそれでよいのですがteudahとは? それによらなければ שחר にならないとイザヤは言っている。 שחר は夜明けです。見事な「絵画」のような単語です。 ש ח ר שחר ר 地平線に真っ赤な真っ直ぐな光が走る ח やがて太陽がわずかに顔をのぞかせる ש そしてまばゆいばかりの光が地全体を照らす   闇の世にはどうしたら夜明けが訪れるのか ל תורה ו ל תעודה  torahとteudah  torahとteudahの前にはそれぞれラメド ל が付いています。 ラメドとは何だろうと考えるときに思い浮かぶ二つの単語   ל מד は教えられて学ぶということ、 ל קח は与えられたものを受け取ること     תורה ת ע ו ד ה  torahとteudahという単語をじっと眺めているとteudahという単語は ת と ו のあいだに ע が入りこみ ר が ד に入れ替わっているのだということに気付きました それはまるでイザヤが、「 torah」という言葉を土台にして「teudah」という単語を造語したのでなはないかと思わせるような類似性だと私は思いました。 両者共通の文字 ת はヘブライ文字の最後の文字ですから「これより後はない=完成され何も付け加えなくてよい」という意味を持つものです。 そして ו は、創世記の各節の頭についている途切れることのないことを表現すると同時に神さま י が天から地に下ってきたことを表す文字でもあります。  torahという語の ת と ו の間に ע が入り込んで...