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箴言30章3節を読んでみた

ここまでの流れで、 箴言30章の1節2節とはこんな感じの意味だと、 自分としてはとらえることになったわけですが↓↓ 箴言30章1節 https://kyudochu.blogspot.com/2025/02/301.html ヤケの子アグル (すなわち トーラーを良く学び知識が豊富で人々にトーラーを教えるソロモン)による 重い預言の言葉 勇敢で強じんな男 自分を完全無欠な王だと考えている者ウカル または  自分を完全無欠な王だと考えている者とウカル に対して: 箴言30章2節 https://kyudochu.blogspot.com/2025/03/302.html 私は必ずあなたを火によって男の中から取り除く 完璧な理解力がありながら御手のみわざを学ばない人間 そもそも、なんでこんなことをしているのかと言えば、 2022年のこと、 プロテスタント信仰を続けられるか否かの崖っぷちに立たされた ことがきっかけです。 今もなお火曜サスペンス劇場のように崖っぷちに立っているのか 既に転落したのか それとも水平に移動したのか 知らんけど(;´Д`A ``` さてとそれでは本日は 3節を眺めることにいたしましょう。 ולא למדתי חכמה ודעת קדשים אדע׃ ולא  ヴェ・ロー 昨日も登場しましたが、 十戒のところに登場したりして禁止もしくは否定の意味がある לא の前に ו ヴァヴが付いた形です。一体今日は何が否定されているのでしょうか。  למדתי  ラマドティ  ל ラメドの意味を表しているような単語です。 ל ラメドは牛追いの棒で牛に教えるニュアンスがありますが、 למד ラマドには 学ぶ、教える、指示するという意味があります。 トーラーを教え、学ぶ、それが למד ラマド。 で、その למד ラマドのうしろに תי が付いています。文法書とかを持っている人ならああこれは「ナントカ形(けい)」だ、ということになるのでしょうが、私はそういうことが分からないのでトーラーを読み続けている中での自分の思うところを述べます。 完成とか完全を表す ת タブの右か左に י ヨッドが付いていることがあるのですが、 右についていると「すでに神さまがそのことを終えられている」ことが多く、左についていると、「今後そのことを必ず完了する」という預言的な断言のよ...

箴言30章2節を読んでみた 

 כי בער אנכי מאיש ולא בינת אדם לי׃ 箴言30章2節を眺めようと思います。(本日も日本語の聖書は特に断らないときは口語訳聖書から引用しています。) まず出だしの כי キ 自分にとって、この言葉を一番印象深く記憶させられたのは創世記。 たびたび出てくる כי טוב キ トウブという言葉です。 神さまがご自身でお造りになられたものをご覧になって「はなはだ良い」とおっしゃっているあのところが כי טוב キ トウブで、何度も何度も繰り返し現れるこのセリフ、何度も何度も眺めているうちに、私の脳内ではエクスクラメーションマーク付きの喜びに満ちた「キィ~ト~ブ」という声になっていきました。そして、やがては「マジでこれいいじゃん最高~!」という日本語の感情が心の中に現れるようになり・・・ という כי キが二節の頭にあります。 そして 二つ目の単語はこれです。 בער バアル 昨日の記事には見落としゆえに書いてありませんがバアルですから[au]という音を持っている単語です。これはバアル神のバアルではありません。バアル神のバアルは בעל と書き、最後の文字が ר レーシュではなく ל ラメドです。 そうそう、 ר レーシュという言葉を書いて思い出したのですが、 かなり昔、YouTubeの動画か何かでとある講演会の様子を見たことがあったのですが、そのなかで講演者が「文語訳のエゼキエル書の38章にはロシアが出てくる」と話されていて なんだなんだ?と思ったので文語の聖書を見たらエゼキエル書38章の2節と3節にこう書いてあったわけです。 38:2 人の子よロシ、メセクおよびトバルの君たるマゴグの地の王ゴグに汝の面をむけ之にむかひて預言し 38:3 言べし主ヱホバかく言たまふロシ、メセク、トバルの君ゴグよ視よ我なんぢを罰せん ロシというのがロシアだとその講演者は言っていたのです。 で、ヘブライ語聖書にアクセスできる今となり、この箇所をヘブライ語で見ると ロシはこう書いてあって ראש ロシュ BIBLE HUBでStrong'sの辞書を見ると Usage:  ヘブライ語の「ロシュ」は、主に人や動物の「頭」を意味しますが、比喩的にグループの「長」や「リーダー」、山の「頂上」や「頂上」、一連のものの「始まり」や「最初」を意味することもあり...

箴言30章1節 ヤケの子アグルがソロモンであるなら

賢者が語る通りヤケの子アグルがソロモンのことだとすると・・・というあたりから 今朝ちょっと思いついた事があったので、書こうと思います。 ヤケの子アグルについて以前書いた事を前提条件として話を進めたいので、以前書いた記事から一部引用します。 (参照)箴言30章1節 ヤケの子アグル https://kyudochu.blogspot.com/2024/08/blog-post_8.html 賢者たちは、「アグル・ベン・ヤケ(ヤケの子アグル)」はソロモン王自身のニックネームであると解釈しました。「アグル」は、ソロモンの別のニックネームである「ケハラット・ベン・ダビデ(ダビデの子ケハラット)"קהלת בן דוד"」と同様に、収集するという意味の言葉です。「ヤケ」は吐き出すという意味の言葉です。したがって、「アグル・ベン・ヤケ」とは、知恵の言葉を集め、それを他の人に教える人のことです。   ごくごく基本的なことから書くと、箴言30章の1節はどう見ても表題なのです。 דברי אגור בן יקה המשא נאם הגבר לאיתיאל לאיתיאל ואכל׃ דברי  一番初めに書かれている四文字、これは「言葉」という意味があります。 אגור בן יקה  そしてその次にあるのがアグル・ベン・ヤケです。 で、アグル・ベン・ヤケという言葉は בן ベンという言葉がある限りアグルもヤケも収集するとか吐き出すという動詞にはなり得ないわけです。なぜなら בן ベンとは「息子」という意味だからです。「吐き出すの息子の集める」と訳してもよいとは思いますが、息子だと言っている以上、それは人について言っているのです。 で、それはソロモンのニックネームだという事らしいのでそれはそれでよかったのですが、 なぜ、あえてそんな名前がここに書かれているのか、と少々疑問に感じたわけです。 ソロモンの言葉であるのなら、はっきりとそう書けばよいものを、そう書かないでわざわざアグル・ベン・ヤケ、と書いているのは、もしかすると、これから語ろうとしている二節以降の言葉が、「吐く」とか「収集する」という言葉に関連するという事なのではないか、と。 詩人のような言葉遊びというか、・・・まあ、重い宣告を書こうとしているのに遊んでいるとは思いませんが、聖書を読んでだれもが気付いている...

Strong's Hebrew 853番の用例検討(2)

ויעש אלהים את שני המארת הגדלים את המאור הגדל לממשלת היום ו את המאור הקטן לממשלת הלילה ו את הכוכבים׃ 創世記1章16節を引用します。 今日は  ואת に注目して見ようと思います。 創世記1章1節における ואת は「天と地」というところの「地」の前に用いられていました。 Englishman's Concordanceを見ると、 ואת という言葉が1章1節の次に現れるのは1章16節であると書いてありました。 את が二回、そして ואת が二回あることがわかります。 口語訳聖書の1章16節を引用してみます。 創世記1章16節 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 次に私自身のこれまでの学びによる独自解釈を加えて直訳したものを書きます。   ויעש אלהים  ויעש そして 造られた אלהים神さま (すなわち創造主であり支配者であり命をお与えになる最高のお方)   את  שני המארת הגדלים  את  שני 二つ המארת (神さまの支配下に置かれそこに存在するものとして完成されている完璧な) 光 הגדלים (神さまの支配下に置かれている) 大きい (複数もしくは強調)   את  המאור הגדל לממשלת היום את המאור (神さまの支配下に置かれ そこにまちがいなく存在する ) 光 הגדל (神さまの支配下に置かれている) 大きい לממשלת  支配 させるということを神さまがお決めになられた   היום (神さまの支配下に置かれている) 昼 ו את  המאור הקטן לממשלת הלילה ו そして את המאור (神さまの支配下に置かれそこにまちがいなく存在する) 光 הקטן (神さまの支配下に置かれている) 小さい לממשלת  支配 させるということを神さまがお決めになられた   הלילה (神さまの支配下に置かれている) 夜 ו את  הכוכבים ו そして את הכוכבים (神さまの支配下に置かれている) 星 (複数) ו...

いつも同じように

この時代を生きていくために 特別なことは考えなくてよいのだと「今は」思っています。 (考えても仕方がない、どうにもできないとも思っています) かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 ヨハネによる福音書14章でイエスさまがこう語っておられますが 主はあの日も今も行方不明なのではなく、 遠い遠い天の果てにいらっしゃるわけでもなく 今ここに、私とともにいてくださる神さまです。 いつになっても王が迎えに来てくれない捨てられた民ではなく、 私のように仲間もいない孤独な羊のように見えても全く孤独ではないのです。 なぜなら 神さまはいつも私が見るのと同じものをご覧になり、 神さまはいつも私が聴くのと同じ言葉をお聴きになり、 神さまはいつも私の悲しみを私の苦しみを そして私の喜びを一緒に味わってくださるお方だからです。 神さまが共にいてくださるのですから どんなことが起ころうとも いつもと同じように過ごせるのがクリスチャンだと思います。 ダニエル書というところにこんな言葉があります。 ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。ダニエル書6章10節 ここに書かれている「文書」というのは、 ダニエルのことをねたむ者たちによって編み出された彼の命を奪うことを正当化するための禁令の文書で「もしも王以外のなにものかに願い事をするならば獅子の穴に投げ入れる」というもの。 ダニエルはまことの神さまを礼拝する人でありましたから、王以外のなにものかに願い事をするのは当然で、そこを狙った文書だったわけです。 ああ、 ホーリネス弾圧事件 を思い出します。 結局、聖書の中においても、どの時代、どの国においても、ことのまんなかにあるのは、 まことの神さまとそうでないものたちの闘いであるのです。 私たちは弱い。けれども私たちの真ん中に住まわれる方は最上にして最強のお方ですから 最終的な勝利をおさめるのは まことの神さまでありますけれども、 そこに至るまでの間はダニエルが経験したような事態が起こりうる。 けれどもダニエルは私たちに大切なお手本をのこしてくれました。 こんな局面にあっても彼は 「...

853番と同じ音の言葉がある

 853番と 同じ音 の単語があります。 ただ一応確認しておきたいのは853番の一文字目 א アレフについて 神さまを表すその文字には音がないことになっているので この件に関して日本語のウィキペディアから引用しますと 本来は 声門破裂音 を表す。現代ヘブライ語では ע (アイン)と同音になり、また多くの場合には無音になった。語末では決して発音されず、語頭でも発音されることはまれである。 もうひとつ、声門破裂音についても日本語のウィキペディアから引用します 声門破裂音とは 閉じた声門が開放されて起こる破裂音(閉鎖音)。国際音声字母で [ʔ] と記述される。声門を完全に閉じた後、呼気とともに急に声門を開いたときに出る音。言い換えれば声門を閉じた状態からすかさず何らかの母音を発音すれば、子音部分がこの音となる。咳をするときには特に強い声門破裂音が聞こえる。 声門を閉じたまま声帯を振動させることはできないので、理論的に有声の声門破裂音は存在し得ない。 なので、同じ音の単語が別の文字であるはずはないのですが、上の引用にあるように 現代ヘブライ語ではע(アイン)と同音になっているということもあるからなのか、 אתもעתもエトという発音であるとして辞書に載っています。 Strong's Hebrew 6256  עת それはコヘレト3章に登場する「時」 עת Strong's Lexicon の Cultural and Historical Background によると この単語「エト」の概念は、 人生はさまざまな定められた時間で構成され、それぞれに目的と意義があるという理解を反映している。 ということで、コヘレト3章そのもの。ギリシャ語で言えばカイロス。 את との関係はわかりませんが、 ע アインと א アレフの文字の違いから何か読み取る事が出来るかもしれません。

Strong's Hebrew853番の用例を少しだけ 創世記1章1~4節

Strong's Hebrew853番 את の登場する場所を眺めようと思います。 ヘブライ語聖書の創世記1章1~4節を引用します。 1節 בראשית ברא אלהים  את  השמים ו את  הארץ׃ 2節 ו הארץ היתה תהו ובהו וחשך על פני תהום ורוח אלהים מרחפת על פני המים׃ 3節 ויאמר אלהים יהי אור ויהי אור ׃ 4節 וירא אלהים  את  ה אור כי טוב ויבדל אלהים בין ה אור ובין החשך׃ 1章1節で二度登場した את は、2節と3節には無く、次に現れるのは4節だという事がわかります。 次に創世記1章1節から4節までのところの日本語の大体の意味を確認したいので創世記1章1~4節までを口語訳聖書から引用します。そして、 את が入っていると考えられる場所に ● 印を入れてみます。 わりとすんなり ● 印を入れられましたが、 言葉が整いすぎている翻訳聖書の中に ● を入れるのは難しいと思います。 整いすぎている、というか、 例えばイザヤ書30章25節などは ヘブライ語を直接訳していないような印象 を受けました。 創世記1章1節から4節(口語訳) 1節 はじめに神は ● 天 と ● 地とを創造された。 2節 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 3節 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 4節 神は ● その光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 前の記事 の繰り返しになりますが すくなくとも1章1節にある ו את の את は、 ו ヴァヴと הארץ ハ・アレツの間にあって、 直後の הארץ ハ・アレツ「地」に、悪い意味をもたらすものではなく、且つ ו ヴァヴと הארץ ハ・アレツの間に変な隙間をもたらさない何かであると考えられます。 そして同時に את は「天」の前にもあってもおかしくない言葉。 そういうことを考えながら2節の言葉を読むと הארץ ハ・アレツ「地」という言葉が在りますが、その הארץ ハ・アレツ「地」には ו ヴァヴが直接ついています。 つまり、 האר...

創世記1章1節(6)ואת

 בראשית ברא אלהים את השמים ואת הארץ 今日もまた創世記1章1節を眺めておりました。 今日はシャマイムの次にある ו ヴァヴの付いたStrong's Hebrew853番 את ואת に目が行きました。 そして思ったのは、なぜ ו ヴァヴが853番 את についているのか。 את は該当するような外国語が無いし、それをスルーしたからといって取り立ててどうのこうのと目くじらを立てるほどの言葉たいした意味はなく・・・ん~例えるなら、「マジで~」が「めっちゃ~」に変わったところでそれほど気にしなくてもいいのと同じ?ような 私たち異邦人が知らなくてもよい言葉なのであったとするならば 創世記の著者は ו ヴァヴを הארץ ハ・アレツ つまり「地」という単語の前に直接付けただろう、と思ったのです。 この状態こそが日本語で言えば、翻訳聖書の言っている通りの「天と地」になります。 しかし、そうではなくて ואת つまり、日本語でこれを忠実にあらわすと、少なくとも「と地」というところは「と地」ではなくてこうなっているわけです「と את 地」 分かりにくいので、もう少しきちんと言いますね。 創世記の著者は בראשית ברא אלהים 「初めに 作った 神さまが」 と、ここまで書いたあとに    את השמים  ואת  הארץ これで 「天と地」 という意味として私たちは翻訳聖書で読んでいるわけですが、 「天השמיםと地הארץ」 の 「と」 に当たる部分が ו ヴァヴなので ヴァヴの後にある את に何か意味がないとおかしなことになります。「と」と「地」の間に意味のない謎の隙間ができてしまう。 翻訳された「天と地」という日本語を読んだ私たちに残る印象は、 ただ単に二つのものがそこにあるという印象を残す「パンと牛乳」というものとは異なり、 自分は大地に立ち、そこから見える大空、 歩いても歩いても夜の空に輝く月が追いかけてくるように、自分を取り囲み自分から離れることのない大空、 右を見ても左を見ても前を見ても後ろを見てもそこにあり、上を見れば、地にあるすべてのものを覆いつくす大空、 晴れた昼には青く、時として雲が現れて水を降らせ、新月の夜には地にあるすべてのものを闇で覆ってしまう という まさに ו...

創世記1章1節(5)シャマイムのシャ

 בראשית ברא אלהים את ה שמים ואת הארץ 今朝は台所で  שמים シャマイム 天  という単語を眺めていました。 シャマイムの中に מים マイム=水 右から読んでも左から読んでもマイムである「水」 が入っていることはカタカナで書いても気づくわけですが、 じゃあ ש シャは何なのか。 ש は「歯の形」から出来た文字だということになっているので、 「歯」だから「食べること」に関係するとか、 「食べること」だから「親しく交わること」だというような そういう話はよく聞きます。 あとは、 שׁרץ シャラツという単語があって、 これは創世記の中にたくさん登場する言葉なのですが、「群がるとか増殖する」という意味があるわけです。 で、この שׁרץ シャラツのニュアンスを感じる単語が、一般論ではなく個人的な意見と言うか気分としてありまして それは שׁ (sh音)ではなく שׂ (s音)の方ではあるのですが עשׂב エセブ これは「草」。草と言えばなんといっても除草が大変!(笑)という個人的な感想がありまして、 שׁרץ シャラツと עשׂב エセブ このあたりから推測するならば、「いっぱいある、たくさんある」というニュアンスも ש の文字にはあるような気がします。「歯」もたくさんありますもんね。 その辺りの考え方をとるとシャマイムとは「水がたくさんある」という意味になるでしょうか。 それから、 עשׂב エセブについて Strong's Lexiconを見ますと語源として Derived from an unused root meaning to glisten or be greenと書いてあり、glistenというのは「明るく輝く」というような意味があるわけですが、 だとするとこれはこれは以前 666について書いた記事 の中でも取り上げた שׁמשׁ シェメシュ これは創世記15章12節に初めて現れる言葉で、「日」「太陽」という意味ですが 日 の入るころ、アブラムが深い眠りにおそわれた時、大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ。 שׁמשׁ シェメシュの ש 、「天」に見えるものとして שׁמשׁ シェメシュの ש はありそうですね。 水がたくさんあり太陽が輝いている天、だから שמים シャマイムというのありそうです。(個人の感想ですw) そしてその前に ...