「聖書信仰から」という言葉を入れてこの件に関して書くことについてはためらっておりましたが、
聖書の御言葉を読み、また、子育て経験の中で遭遇した薬害被害や接種事故経験、等々による「自分自身にしか語れない言葉」があるにもかかわらず黙り続けていることが正しいのかどうか祈り続け、思案し続け、
書かなければいけないと確信いたしました。
1.あなたの聴いている声はどこから来ているのか
まず申し上げたいことは、
地位を失う覚悟を持って、語り続けておられる「権力側に立っていない」研究者の方々の「危惧」というものに、まず、私たちは耳を傾けるべきだ、ということです。
なぜなら、私たちの主のおられるところは、まだ権力(この世の王)の中枢であるはずはないからです。
かすかな細い声で語られる神さまです。
神さまの弟子は、この時代の権力者の「大きな声で語られる言葉」を聴くときには十分に、いや、十二分に慎重であるべきです。
2.それは御心なのか
私たちがこの地上で、何かを行うべきか否かを判断しなければならない時、
第一とすべきことは
ということです。
あるクリスチャンは、日曜礼拝を守るために*を行わなければならないと言いました。
またある方は福音宣教のため、そして人々の健康と幸せのためには*はどうしても必要だ、と言いました。
たしかにおっしゃることはクリスチャンとして正しいことのように思えます。
が、おそらく、このように語っている方々は*というものについて、私たちがこれまでに何度も何度も経験してよく知っている「従来から存在している製品と同じようなものだ」と勘違いされているのです。
従来行われてきたことは、
「疫病の病原体自体を無毒化または弱毒化して人体に感作させる」というものでした。
つまり、「起こりうる危険を具体的に」あらかじめ身体に学習させていたわけです。
それで、私たちはこの世に生を受けて少し経った頃から、国の規則に基づいて、「覚えるべきもの」を具体的に身体の中に入れて学習させるということ何度も何度も行い、恐ろしい疫病からまもられてきました。
これまで行われてきたこととは異なる「2段階システム」となっていて
創造主であられる神を冒涜(ぼうとく)する
非常に危険な行為である、と考えています。3.冒涜(ぼうとく)だと考える理由
私たちの身体にはあちこちにたくさん「タンパク質製造工場」があります。
その工場では、
神さまがお決めになった設計図(遺伝子)を読み取っていろいろなものを作っています。
お母さんのおなかの中では、お母さんの栄養を使って
小さな小さな卵の中にある「タンパク質製造工場」がフル稼働。
小さな小さな卵はその「タンパク質製造工場」の生産のおかげで、どんどん複雑な形となっていきます。
工場では、神さまがお決めになった設計図に基づいて
様々なものが作られ、
ふさわしい時にふさわしい場所に配置されていきます。
小さな小さな卵を育てる側のお母さんの身体の方でも、
赤ちゃんが気持ちよく育つような環境となるようにと、
「タンパク質製造工場」がフル稼働です。
工場では、神さまがお決めになった設計図に基づいて
様々なものが作られ、
ふさわしい時にふさわしい場所に配置されていきます。
赤ちゃんがこの世界に生まれ出て、だんだん大きくなるときにも
「タンパク質製造工場」はフル稼働。
私たちの身体は、小さな小さな卵の時から最後の時を迎えるまで、
神さまが与えてくださった設計図(遺伝子=DNA)を
神さまが与えてくださった伝令使のようなメッセンジャーRNAが読み取っては
せっせとタンパク質製造工場に情報を与え
そして
タンパク質製造工場は
神さまの設計された通りに
ちょうど良いタイミングで、
過不足なく、
私たちの身体が
神さまの設計された通りに生き続ける事が出来るよう、
せっせと生産を続けているのです。
そうやって私たちは
自分たちの意志とは関係なく
神さまのご計画と憐みによって
「生かされて」います。
工場は勝手気ままに動いているのではありません。
私たちの身体に備えられたすべてのタンパク質製造工場は、神さまの御心の通り
神さまの御心を実現するために生産しているのです。
しかし、これから行われようとしている*は、
神さまの設計図には存在していないものを
タンパク質製造工場に作らせようとしているのです。
4.自分が語れる言葉
やってみなければわからないのだそうです。
どうぞどうぞと招き入れてしまうこと
・・・非科学的な愚かなババアだとあざけられるんだろうな、と思っています。
しかし
私には非科学的と言われてもそうならざるを得ない忌まわしい経験が二つあります。
一つは日常的に使っていたアレルギーの内服薬の副作用による恐ろしい被害
そしてもう一つはBCGによってもたらされた被害
医師を信頼し医学を信頼し従順におこなって失敗してしまった!
我が子をあんな目に遭わせてしまった!
あの日、あのとき、どうして、私はああいう判断をしてしまったのか
どんなに後悔しても時間を戻すことはできません。
そして
つくづく実感させられたのは
何らかの被害に遭うということが
被害による苦しみ悲しみだけでは済まないということ。
被害に遭ったその日から
来る日も来る日も
目覚めれば敵ではなかった人々を敵として闘わなければならない
そして
それまでの人生で学んだことや論理的な思考をすべて否定され
そして
おまえが無知だったのだ、おまえは無力だとブレインウオッシュされ
そして
孤立、徹底的な孤独。
そして
私は
心も身体も
ぼろぼろになり
・・・今・・・
慎重に、慎重に、
自分の頭でしっかり考えて
三度目の被害には絶対遭いたくない遭わせたくないと心の底から思います。
それで今
私は書いています。
小さな小さな一錠
ごく少量の薬液
数秒間に起こったことが
人の一生をめちゃくちゃにしてしまうことがある
本当に本当に大変ですよ、被害に遭うと。

「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」 イザヤ書30章15節(口語訳)