また、私はあなたがたの命である血が流された場合、その血の償いを求める。あらゆる獣に償いを求める。人に、その兄弟に、命の償いを求める。
人の血を流す者は
人によってその血を流される。
神は人を神のかたちに造られたからである。
創世記9章5、6節(聖書協会共同訳)
שפך דם האדם באדם דמו ישפך כי בצלם אלהים עשה את האדם׃
一時間くらい6節を眺め続けておりましたが
דםという二文字が心をとらえました。
דםはblood血液です。なぜדםがblood血液なのだろう。
「人」という意味のアダムאדםは土という意味のヘブライ語に由来しているはずなのだけれども、דםという二文字はアダムにも土にも含まれているわけです。
דםとはなんだ?
ד daletはウィキペディアによれば「扉」という意味のある文字です。
だとすると、扉の向こうにם mem=「水」
扉の向こうに水がある・・・とすると、水は外には出ない。つまり、中に水があるということでしょうか?そうか、血液は身体の中に入っている水だからそうなるのか。(個人の見解です)
そういう観点でאדםという語を見ると、
確かに土も水を保っていますね。砂ではなく土だから。
あ、新約のたとえ話を思い出しました。よい土にまかれた種はたくさん実を結ぶ。
אという「神さまマーク」がついている良いもので、中に水がはいっている「土と人間」。
中の水は人間であれば「血液」だということか。(勝手に納得=個人の見解ですw)
ところで以前、BIBLE HUBでStrong's Exhaustive Concordanceのヘブライ語を1番から眺めていた時に気付いたことですが、1番はאָבでabと読み、意味はfatherお父さんなのですね。
で、そこにדという文字が付いたאָבַדという単語が6番にありましてabadと読むそうですが、たった一文字くっついただけで恐ろしい意味になってしまうのです。
Strong's ConcordanceのDefinitionでは to perish滅びる!
NAS Exhaustive Concordanceではannihilate(絶滅させる)、destroy(破壊する)、utterly destroy(完全に破壊する)
ちなみに、ヨハネの黙示録9章11節のアバドンは
אֲבַדּוֹן abaddonです。
ばったは、底なしの淵の天使を王として戴いている。その名は、ヘブライ語でアバドンと言い、ギリシア語ではアポリオンと言う。
ヨハネの黙示録9章11節(聖書協会共同訳)
そういえば黙示録でヨハネが言っていたラオデキア教会の話。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
ヨハネの黙示録3章20節(口語訳)
דという文字が扉であるとすると、אָבabの向こうに扉があるということです。אָבが締め出されている状態。
黙示録3章20節の光景ではありませんか。
昔、この黙示録3章20節のみことばを未信者の方々へのメッセージのために引用していた方がいたことをおぼえておりますが、
ラオデキア教会は教会ですから信者について書かれているのです。信者が神さまを扉の外に閉め出しているというお話です。
さて、もう一度創世記9章6節
人の血を流す者は
人によってその血を流される。
神は人を神のかたちに造られたからである。
直接手を下さなかったとしても、責任は問われると思います。
昨今のアレ。
アレのことを書いて引越しを余儀なくされましたからアレと書きますが
なんと罪深いことでしょうか!