箴言30章1節の訳「ウカル」について
ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。賢い者はこれを聞いて学に進み、さとい者は指導を得る。人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。
箴言1章1~6節(口語訳)
箴言1章1~6節を読んで思いました。
聖書にあるソロモンの箴言は、私たちを教え導いてくれるものであって、迷宮の中に閉じ込めるものではない。だから、箴言によって混乱してしまうのはおかしい、と。
だから、箴言30章の冒頭の一文も読めばきっとなにかの役に立つ言葉だろうと。
混乱するのは何か勘違いをしているからにちがいない、と。
そんなわけで、前回書いたときから1年経った今でも引き続き考えているのですが、
今日は、経過というか、BIBLE HUBの辞書を眺めたりして思ったことを記録として書きのこしておこうと思います。
どうもね…ウカルがね…よくわからないんですよね…
箴言30章1節のウカルはStrong's Hebrew では401番に分類されている単語で、
ウカルとはストロングの辞書によれば
אֻכָל という単語の前にヴァヴが付いた וְאֻכָֽלであると考えられています。
Topical Lexiconによると、
「ユダヤ教の伝承では、イティエルとウカルは弟子同士だという説がある」そうで、それに基づき、「キリスト教の注釈者の中には、アグルという人が二人の熱心な生徒に語りかける教師と見なす者もいる」のだそうです。
あ・・・一応書いておかねば。
Topical Lexiconからの引用に「伝承」という言葉がありましたね?プロテスタントの皆さんは基本的には「伝承」をスルーしなければなりません。「聖書のみ」ですからね。有益な伝承は利用するという話はありますけれども(ご都合主義かw)、有益か無益か有害か、そんなのこれだけでは判断つかないですからね、伝承と書いてあるものは参考にはなさらぬようお気を付けください。('◇')ゞ
Topical Lexiconからの引用を続けます。
「ヘブライ語の子音は短い祈り(「神よ、私は疲れ果て、疲れ果てています」)と解釈できると指摘する者もいるが、マソラ本文の母音表記とベレア標準訳聖書はいずれもウカルを固有名詞としている。」
引用は以上です。
(どうやったら疲れ果ててるって解釈できるのか知りたい気がしますがそこまでは書いてなかった・・・)
さて、
聖書の中に固有名詞が出てくる場合、
聖書と限らず固有名詞というものは、
その固有名詞であらわされている人の人生に意味があり、書く価値があり、注目させるために書いているはずです。ですから、ここでなぜイティエルとウカルという固有名詞が登場するのか、ということが改めて気になります。
アグルが二人の弟子に話しかけているという可能性があるとして、そもそもアグルとは誰なのかということをしっかり押さえられない状況下で弟子の名前が出される意味がわからない。
ヤケの子アグルがソロモンだったとして、
その場合、それは以前書いた通りニックネームですから
ソロモンがニックネームなのに弟子が本名ということはないでしょう。
אִֽיתִיאֵ֖לイティエルという名がこの箴言30章のほかにネヘミヤ記11章7節にあるとEnglishman's Concordanceには書かれているのですが、ネヘミヤ記に出てくる名前と箴言が関係あるとは思えません。
イティエルとウカルにアグルが教えているというのであればイティエルとウカルと言えばよいものを、なぜ、
לְאִֽיתִיאֵ֑ל לְאִֽיתִיאֵ֑ל と二度も言ったあとで、しかも二度のイティエルに二度ともラメドをくっつけて、そのあとに思い出したかのようにウカルという名前を付けくわえたのでしょう。
ウカルという人名はヴァヴを取り除いた
אכלという形でstrongの辞書には載っています。
箴言30章1節のところではואכלとなっています。
このאכלと同じ文字列を持つ単語は398,399,400番にあります。
398番と399番は動詞、そして400番は名詞です。
私たちが通常の外国語を学ぶ時のように考えるなら、ヴァヴをאכלにくっつけたものがואכלであり、ヴァヴとは英語でいうところのandのようなものだから…と考えて意味を推察するのが妥当だと考えられ、だから二つ目のラメド付きのイティエルにウカルが接続した、つまりラメド付きイティエルandウカルだ、と、固有名詞が並列しているようにとらえ、アグル先生が弟子の二人に←ラメドを「に」と訳す
重い託宣の言葉を語ったという話になるようではあるのですが、
辞書を眺めていて気付いたんです。
動詞である398番と399番にはヴァヴの付いた形である
ואכלという言葉が存在しているけれども、名詞である400番にはヴァヴの付いた形は存在しないようだということに。
まあ、400番の「名詞」にヴァヴが付いていないからと言って401番の固有名詞には、何しろ読み方が400番のようにオケルではなく「ウカル」なんですからね、ヴァヴが付いてよいのかもしれませんが、
そもそも「ウカル」はこの箴言30章1節にしか出てこない言葉ですからね、いずれにしても、特別なので・・・特別なこともアリなのかもしれません。
でも、ちょっと待てよ、と思うわけです。原点に立ち返ってみた場合に、「箴言」は私たちを迷宮に陥れる書物ではないはずでしたよね。迷宮に陥れないということであるなら、そんな特殊な固有名詞なんて使うのはおかしい。「一般的」な言葉を使わなければみんなで迷宮に入り込んでしまいます。「人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る」って言っておきながらそんな特殊な言葉を使うでしょうか。
いや、固有名詞なんだから使うだろ、と考える方がいらっしゃるかもしれませんが、いきなりさほど有名でもない人の名前出されても分かるはずはないですからね、固有名詞なのだとしたら超有名人のはずですし、そうでないとすれば、聖書ヘブライ語の写し間違いとか読み間違いとか、そもそも勘違いとかそういうことかもしれません。
いや、ヤケの子アグルがソロモンのニックネームとして周知されていたのなら、イティエルは今回はスルーしますがウカルという言葉が本当に固有名詞なのだったとしたら食べるくん?食べ物くん?ですかね。よく知られた大食漢の弟子がいたのかしら。
・・・またはホセア書のところのようなネーミングでしょうか。
そうなんですよ、
聖書の中に出てくる名前ってみんな意味がありますよね?
しかも箴言です。はじめに引用した箴言1章の冒頭部分を思い出してください。箴言はこれを読んだら迷宮に入り込むのではなく、悟ることができるはずなのです。だとしたら、無駄に固有名詞など入れてないような気がするのです。
そんなことを考えながらあちこちにある
אכלにヴァヴがくっついたものを読んでいたのですが、
エゼキエル書43章8節にこんな箇所をみつけました。
וָאֲכַ֥ל
読み方はウカルではなくて wā·’ă·ḵal
HEB: אֲשֶׁ֣ר עָשׂ֔וּ וָאֲכַ֥ל אֹתָ֖ם בְּאַפִּֽי׃
INT: which have committed burn up my anger
彼らはその敷居を、わが敷居のかたわらに設け、その門柱を、わが門柱のかたわらに設けたので、わたしと彼らとの間には、わずかに壁があるのみである。そして彼らは、その犯した憎むべき事をもって、わが聖なる名を汚したので、わたしは怒りをもって、これを滅ぼした。(口語訳)
口語訳聖書でいうと 「わたしは怒りをもって、これを滅ぼした」のあたりの言葉なのですが、
実はこの箇所、398番のところに分類されてはいるのですが、3615番という考え方もあるようなのです。 (←それぞれBIBLE HUBの該当箇所にリンクを入れてあります。こういうのをクリックするのが怖い方は、エゼキエル書43章8節をヘブライ語聖書でご確認ください。)
3615番というのはכָּלָהです。To complete, finish, accomplish, consume, destroyという意味があります。
もしもこのエゼキエル書のみ言葉をヒントにしてよいのであれば、
つまりTo complete, finish, accomplish, consume, destroyという意味の
ואכלウカル
これをここに適用してよいのならば、私にはしっくりくるのです。
1年前、私は
https://kyudochu.blogspot.com/2025/05/3016.html
という記事に箴言30章1節のところの訳としてこんなことを書いたのです。
ヤケの子アグル
(すなわち トーラーを良く学び知識が豊富で人々にトーラーを教えるソロモン)による
重い預言の言葉
勇敢で強じんな男
自分を完全無欠な王だと考えている者ウカル
または自分を完全無欠な王だと考えている者とウカルに対して:
しかし、もし、ウカルを固有名詞ではなく
אכלにヴァヴがくっついたものとしてではなく
エゼキエル書のように3615番כָּלָה
3615番はトーラーでも多用されている言葉なのですが、
その3615番を、意味を考えて変形した単語であると考えるなら、
非常に滑らかな訳文となるのです。
ヤケの子アグル
(すなわち トーラーを良く学び知識が豊富で人々にトーラーを教えるソロモン)による
重い預言の言葉
勇敢で強じんな男
自分を完全無欠な王だと考えている者は「滅びる」
1年後に続く(笑)