2023年9月19日火曜日

マルコによる福音書1章24節 ナザレのイエス

 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。マルコによる福音書1章9節

「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。マルコによる福音書1章24節


ナザレのイエス

ナザレの住民のイエス、ナザレ人のイエス

マルコ1章24節におけるナザレという言葉は3479番で、

 Strong's Greek 3479 Ναζαρηνός 

3479番はほかに

ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。マルコ10:47

 ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。マルコ 14:67

 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。マルコ 16:6

 「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。ルカ 4:34

 「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、ルカ 24:19

 

そして、マルコによる福音書1章9節のようなナザレという地名
ΝαζαρέτはStrong's Greek 3478でマルコ1章9節のほか

ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。マタイ2:23

そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。マタイ4:13

そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。マタイ 21:11

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。 ルカ 1:26

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。ルカ 2:4

両親は主の律法どおりすべての事をすませたので、ガリラヤへむかい、自分の町ナザレに帰った。 ルカ 2:39

それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。ルカ 2:51

それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。ルカ 4:16

このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ヨハネ1:45

ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。ヨハネ1:46

神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。使徒 10:38


 

ヘブライ語で書かれている新約聖書を見ると、ナザレのイエスというところにはこう書いてあります。

ישוע הנצרי

日本語ではナザレと呼びますがこれはギリシャ語に由来する音で、

ヘブライ語ではザにあたる部分がツァという音になっています。

ツァという音のところにはצツァディという文字が使われています。


צツァディという文字は
メルキゼデクのゼデクのゼにあたる文字です。

メルキとは王様のこと、ゼデクというのはヘブライ語ではツェデクと発音し「義」という意味です。その「ツェ」という音の部分に使われている文字צツァディ


そのצツァディという文字がナザレのザというところに使われているので


ナザレのザの部分は本当はツァと読むのだと思います。


さて、ご承知のように、旧約聖書に地名としてのナザレは登場しません。

が、いつものように、ナザレという地名と同じנצרという文字列からその地名の意味を推測することができると私は考えておりますのでそのあたりのことを調べてみました。

נצר

読み方は違うけれども同じ文字列を持つ単語が二つありました。

一つはStrong's Hebrew 5341 נָצַר ナツァル

to watch, guard, keepという意味を持つ言葉です。

旧約聖書には61回登場します。
例えば箴言22章12節の「守る」というところに使われている言葉です。

主の目は知識ある者を守る、しかし主は不信実な者の言葉を敗られる。箴言22章12節


そしてもう一つはStrong's Hebrew 5342 נֵצֶר ネツェル

5342番のネツェルは5341番ナツァルの派生語という事になっていますが

聖書の中にはイザヤ書に3回、ダニエル書に1回 計4回登場するだけのレア語です。そしてこの言葉は「若枝、子、芽」と訳されています。

有名なイザヤ書11章1節の御言葉にある「若枝」という言葉はこのネツェルという言葉です。


エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、イザヤ11:1


しかしあなたは忌みきらわれる月足らぬのように墓のそとに捨てられ、つるぎで刺し殺された者でおおわれ、踏みつけられる死体のように穴の石に下る。イザヤ14:19


あなたの民はことごとく正しい者となって、とこしえに地を所有する。彼らはわたしの植えた若枝、わが手のわざ、わが栄光をあらわすものとなる。イザヤ 60:21


そのころ、この女の根から、一つのが起って彼に代り、北の王の軍勢にむかってきて、その城に討ち入り、これを攻めて勝つでしょう。ダニエル 11:7


 


 人々が「ナザレの」イエスと言ってイエスさまのことを語っているとき、


その人々は5342番のネツェルや5341番のナツァルのことなど全く考えずに単なる地名として語っているのかもしれません。

それはちょうど日本語を話す私たちが、警告メッセージのように付けられた「地名」をそうだと認識できずにいるように。

けれども、もしかすると福音書の記者たちは

私たちが思っているよりももっともっと深いところを

そしてもっともっとたくさんのメッセージを

書き残そうとしていたのかもしれません。