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モミの木の形態変化

帰宅困難区域のモミの木について、主幹が欠損した二股様の形態変化が多く観察されたという研究結果を報道していました。 47newsによれば http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015082801002062.html 「調査は環境省の依頼で実施。環境省は事故後、約80種類の野生動植物で放射線の影響を調査しているが、実際に影響がうかがわれる事例が確認されたのは初めて。」 何故その80種類を調べようと思ったのかという調査対象生物の選定行動、そして、同一種であっても私たちの顔が異なるように生物の形態にはある程度の多様性があるのでどの程度の変化を異常と判断するのかという基準によって結論は大きく変わりますが、このような公的な情報は少ないものなので、貴重なデータとして頭に叩き入れなければなりません。 …ただ、裁判等で何かの因果関係を証明する資料とはなりえないとは思いますが。 朝日新聞の記事を読むと http://www.asahi.com/articles/ASH8X55ZLH8XULBJ00M.html?ref=chiezou 「空間線量が最も高い大熊町で9割以上が変化、浪江町では4割強、3割弱と変化率が減少するものの、北茨城市でも1割弱で変化があった」 ということで まずは調査の大前提を確認しましょう。 放射線は生物の形態変化を起こしうる そう思っていたからこそ時間とお金をかけて調査をしたわけですね。 原発事故以来この辺りまでが揺らいでいるような錯覚を一般人はおこさせられていますのでね、ここはきちんと押さえなければいけません。 放射線は形態変化を起こしうるという言葉は言い換えれば、 放射線は細胞内の小器官を破壊し細胞を破壊しうるものであり (だからそもそもガンの放射線治療というものがある) 遺伝子の変化を起こしうるということです。 遺伝子は動物も植物も人間もみんな同じ「DNA」というものから出来ています。 生き物の種類によって持っている遺伝子の量というか数は異なりますが、 DNAには違いない。DNAという「物質」ですね。 DNAというものはデオキシリボ核酸という「物質」ですから 人間のDNAだけが特別だとか、頑丈に出来ているとか、変化を起こしにくいというものではありませんよ、念のため。 ですから人間の遺伝子も放射線によって壊...

刈り取るべき実を刈り取ることになる

 以前、どこかで書いたような気がしますが、 「苦しみ」の原因やきっかけはこのヨブのようなケースもありましょうが、たいていの場合は「自分の罪がもたらした結果の刈り取り」もしくは「他人の罪に巻き込まれたゆえ」そして「両者の混合」なのではないかと思っています。 しかし、私は全てのことに神さまのご計画があり、神さまがご存じないところで物事が勝手に起こってしまうことはないという信仰を持っていますから、苦しみの中にある方に対して、もしくは苦しみを得た方の周辺の方々に対する「神さまからの期待」が込められた教育、訓練としての苦難、つまりは意味のあることであると思っています。  しかし、いずれにしても、苦しみの渦中にあるときに「なぜ」と問うたところでわかることはほぼ無く、数年から数十年という時を経て、それぞれの苦難の持つ意味を「ふと」気付くことになると思いますし、ヨブのように徹底的に苦しんだからこそ、砕かれ、主と真に出会う事が出来る、そんなふうにも思います。  ただ、黙示録を読んでいると、もはや後々になって意味がわかるということもない「手遅れな」苦しみというものがあるのだと知ります。もうそれは最後の最後でありますから「その後」はない。 だからその一歩手前にあるこんな場面にも私たちは気付かねばなりません。 すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。ヨハネの黙示録16章2節b  黙示録には、人々がその罪のゆえにどうなっていくのかということがたくさん記述されています。読んだことのない方に豆知識としてお伝えしておくならば、聖書には、この書だけでなくあちこちにそのような類の預言とでも申しましょうか、厳しいことが書かれているのです。いつどこでどうなるのかという具体的なことは伏せられてはいますが。 しかし、伏せられているとは言え、神さまは偽りのないお方であるという信仰を持っている自分は、いつどういうかたちであったとしても「そういうことが起こる」のだという、現実に直結した問題であるととらえています。  さて、このみ言葉には悪性のはれものが出来るという苦しみが書かれております。御使いが鉢を地に向けてぶちまけた結果こうなるというふうに書かれているだけでありますから、天使がいったい何をぶちまけるのか、とか、いつそんなことになるのかということは神のみぞ知ることとし...

主に拠り頼む

今日はⅡ歴代誌15章と16章が通読の箇所でした。 久々に、聖書を読んで思ったことについて書こうと思います。 アサは、神の霊が臨んだオデデの子アザルヤからこう言われました。 あなたがたが 主 とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。歴代誌第二15章2節 この言葉を受けて、アサは 主 とともに いることを選び、実際、 主 は守って下さり平和と繁栄が与えられます。 しかし、アサの治世の第三十六年、彼の心に変化が起こります。(この第三十六年という年の問題はとりあえず今日は無視します)イスラエルの王バシャがユダに上ってきたときのことです。その際、アサが主に拠り頼むことよりもアラムの王に拠り頼んだ、というのです。 実は、ここを読んだとき、思ったのです。たかだかその程度のことで…と。 スイマセン、落ちこぼれなもので、浅い理解で軽ーく 主 に文句を言い放ってしまう傾向があります。でもね、アラムの王に拠り頼んだって言ったってねえ、クリスチャンの人たちだってよくやってるじゃないですか、有名人に広告塔になってもらうとか。(ちょっと違うかな) それに、アサ王がそれまでやってきたことの大きさに比べたら、ちょっと失敗しちゃったみたいに読めなくはない。うっかり、ちょこっと、と。 でも、読み返してみると、実はそうではないのではないかということに気付きます。16章10節に見られる予見者に対する彼の態度を見ると、彼の心の中はかなり悪い状態だったように思えます。 行間を想像するに、もしかしたらここに書かれていないようなちょっとしたきっかけで 主 から心がわずかに離れたのもしれません。で、そのときさほど不都合を感じなかったので(アダムとエバのごとく目が開かれとでも表現しましょうか)、まあいいかまあいいかと繰り返すうちに、アサの心は 主 からかなりの距離まで離れてしまったのかもしれません。王という立場で、実績も上げ、人々からおだてられ、尊敬されるうち、人間の弱さというか罪深さというか、自分の知恵と力で事はどうにでもなるんじゃないかと勘違いを始め、主がなさせて下さった、という大切なことを忘れてしまったのかもしれません。 ふと、詩篇1篇のみ言葉...

振り返らない

「そういえば、練り物をしばらく食べてないねえ」と昨日主人と話しました。 ずいぶん長い間口にしていません。材料を吟味してごくたまに購入することはあるのですが、三度の食事のこと、確認作業が面倒なので、特別なとき以外は確認不要な食品だけで生活を送っています。 まあ考えてみれば、日本で生まれ育ち日本で所帯を持っておりますから、手に入って当たり前食べて当たり前なものというものがいろいろあって、それが無いというのはなんとなーくつまらないことではあります。そして、いったん「無い」と気付くと無性に欲しくなるというのが人間の本能なのかもしれませんが 「肉が食べたーい」と荒れ野でつぶやいたイスラエルを思い出しました。 何も食べられずに餓死しそうだというのではない。要は舌から喉ごしまでの欲求!なのです。しかし、「どうしてもあれが食べたい」という思いになる人間。そして、食べ物のことだけではありません。「あの頃は良かった」そういう思いは自制しないで放っておくといくらでもわき上がってくるのです。 戻すことの出来る過去を振り返り、自分や世界を過去のよりよかった一瞬に戻そうと努力することは価値のあることでしょう。しかし、いくら振り返ったところで、変えることの出来ない過去は振り返ったところで不幸しか生まないと思います。 (ただし、加害者と被害者がいる「過去」はきちんと精算する時を経て、振り返ることと決別すべきですね) 「振り返る」ということを考えていましたら、創世記に登場するロトの妻のことを思い出しました。せっかく神さまが救いの手をさしのべて下さったのに、「振り返るな」とのことばを守りきらず、塩の柱になってしまった。ロトの妻は、神さまによる救い、「差し迫った生死に関わること」=「命」よりも、生活していたあの土地に残してきた財産に未練を持って振り返ったのではないかと私には思えるんですが、とにかく振り返ったために塩の柱になってしまったわけです。 まあ、場所が場所だけに塩の柱なのか、とも思いますしよくはわかりませんが、要するに彼女は命を失ってしまったわけです。肉体の命だけでなくそれ以上のものも失ってしまった。 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」マタイ16:26(新共同訳) それでも振り返るのが人間なのでしょうか。そ...

福島原発のメルトダウンはチェルノブイリよりひどかった、という動画2本

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「記者の目:内部被ばく量のデータ=斗ケ沢秀俊」を読んで

元の記事 http://mainichi.jp/opinion/news/20120608k0000m070113000c4.html リンク切れ 以下 黒い文字が「記事」から 緑色 が私の文 昨年9月まで市内の一部が緊急時避難準備区域に指定されていた同県南相馬市にある同市立総合病院によると、昨年9月から今年3月までにWBC検査を受けた9502人中、検出限界以下が6668人、原発事故で放出された放射性物質のセシウム137が体重1キロあたり20ベクレル以上あったのは182人だった。1月以降に測定を受けた中学生以下の子どもの99%は検出限界以下で内部被ばく量が着実に低下していることを示した。 つまり、昨年9月から今年3月までにWBC検査を受けた9502人中2874人は検出限界を超えていた。 放射性セシウム137が体重1キロあたり20ベクレル以上あったのは182人。 1月以降に測定を受けた中学生以下の子どもの1%はいまだ検出限界以上の値を示しているということ。 同県は3月までに県内で実施されたWBC検査(受診者計3万1622人)をもとに生涯の内部被ばく量を推計したところ、26人以外は1ミリシーベルト以下だった。厚生労働省は内部被ばくを年間1ミリシーベルト以下に抑えることを目標にしている。 つまり、WBC検査(受診者計3万1622人)をもとに生涯の内部被ばく量を推計したところ、26人は1ミリシーベルトを超えていた。 福島市の生活協同組合「コープふくしま」は、食事を1食分多く作り、それを検査する「陰膳」方式による放射性物質測定をした。100家庭中、食事1キロあたり1ベクレル以上のセシウムが検出されたのは10家庭。最多でも11.7ベクレルで、自然界に存在して日常的に摂取している放射性カリウムの含有量(1キロあたり15〜58ベクレル)の4分の1程度だった。 つまり、「コープふくしま」の調査によれば、10軒に1軒の割合で食事1キロあたり1ベクレル以上のセシウムが検出された。 最も多かった家庭では、放射性カリウムの分1キロあたり15〜58ベクレルと放射性セシウムの分11.7ベクレルを合わせて摂取していたことになる。 ちなみに、我が家ではお米を一人1か月に約5㎏消費、それにプラスおかずを食べている。 1957年生まれの私やその前後の年齢の人は、大気圏内核実験で発生した放射性物...

野生鳥獣肉の放射性物質測定結果を見て

 群馬県内で捕獲した野生鳥獣肉の放射性物質を測定した結果、新基準値(100ベクレル/kg)を超えたものが36検体確認されたのだそうだ。 http://www.pref.gunma.jp/houdou/e2400022.html リンク切れ この群馬県の発表についていろいろな感想を持つ方がおられると思う。 たとえば、 「あー500ベクレルは超えてないじゃない。よかったね。」 「でも新基準だと商品にできなくなっちゃうんだ。」 今朝の日テレの番組(ZIP)を見ていても漁業従事者の方が新基準値のせいで出荷できなくなってしまった…と、あたかも新基準値が悪いような口調で言っておりましたし。 まあ、誰が何と言おうと言論の自由。そうです、ここは日本です。 3.11以降何となく言論の自由に暗雲が立ちこめている気はいたしますが、 日本国憲法では言論の自由が保障されていますからね。 ということで私もひとこと。 もしも私が、捕獲されたイノシシのように、 上のリンク先に書かれている「その辺りで自然に育ち収穫された物」によって 私の空腹の全てを満たしていたならば、 そして、フガフガと空気を吸い、 何にも考えないでノドを潤していたならば 今ごろ私の肉も100ベクレルは超えてるってことなんだ