2023年12月11日月曜日

イザヤ書30章26節の解釈(11)いったんまとめます

今日は、イザヤ書30章26節について「いったん」まとめようと思っています。
まだ「7日分の光」という言葉について納得できていないので、今後も調べ学習は継続していこうと思っておりますが、とりあえず現段階ではどんな理解に至ったのか、という事を記録しておこうと思います。


とその前に、今朝創世記16章を読みながら少々思ったことがあったのでその話から。

口語訳聖書の創世記16章を「日本語の聖書」様サイトより引用させていただきます。

16:1アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。 16:2サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。 16:3アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。 16:4彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。 16:5そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下さげます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。 16:6アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。
16:7主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、 16:8そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。 16:9主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。 16:10主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。 16:11主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。 16:12彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。 16:13そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。 16:14それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた。これはカデシとベレデの間にある。
16:15ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。 16:16ハガルがイシマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは八十六歳であった。

創世記16章(口語訳)

創世記という書には、この世界の根本、土台、そもそも、という事が書かれています。

良いか悪いか、読者の納得がいこうがいくまいが、誰がどんな評価をすることになろうがそんなことにはおかまいなく、書かれているわけです。

そしてこの創世記の16章もそう割り切って読まないとやっていられないストーリーの一つだと私は思っています。

このくだりさえなければ、と思わない日はないわけです。

 

しかし「要するに」
人間というものは、年齢も経験も立場もへったくれもなく、

もっと言えば創造主との関係性や距離感にも関係なく

欲に駆られて創造主の言葉を改変したり曲解したり無視したりという罪を犯し

罪を犯せば必ずトラブルが起こって、
遅かれ早かれ、経路はともかく「死」に至る。

が、創造主が愛であったゆえに
完全な滅びに至る前に
最適なタイミングで軌道を正され今日の世界がある。

 

 

だとすれば、イザヤ書30章26節もそうであるということです。

 

まずは25節から読んでいきます。
「大虐殺」というキーワードがまずあるわけですが
これは主が容認されているからこそ起こり得たことです。
言い換えると、
イスラエルは、契約のとおりであればいずれそうなるだろうとわかっているにもかかわらず欲に駆られて創造主の言葉を改変したり曲解したり無視したりという罪を犯したので報いとしての「死」がもたらされた、ということです。

そしてそれは、敵の剣による場合もあるし、疫病である場合もあるし、
いずれにしても、神の民は壊れてボロボロになっているわけです。

 

しかし、同時に、「塔」も倒れるのです。
イスラエルが頼りにした神さま以外の国や物、
より頼んでも何の助けにもならない「塔」もすべて倒れてしまう。
30章の初めから読むとそのあたりのことが読み取れます。

そして、大虐殺と塔のすべてが倒れる事態の前後関係は

当然のこととして、塔=要塞が倒れたからそれに守られていた人々が死に至るはずで、
要するに、イスラエルがより頼んでいたものは何の役にも立たなかったということです。

イザヤは「月」という語にバベルの塔建設のために使ったれんがと同じ文字列の語を使うことで、ここにおける「塔」という言葉と「バベルの塔」に関係があることを読者に伝えます。

「ユダヤ古代史」によると、バベルの塔建設をさせたリーダー、ハムの孫のニムロデ(ニムロド)は、彼らの繁栄が
創造主のおかげではなく、
彼ら自身の剛勇(アレテー)によることを納得させたとありますが、


Strong's Hebrewで、(バベルの)塔=ミグドルの前後の単語(文字列の似ている単語)に目を留めてみると
  
4022. meged מֶגֶד excellence 優秀
4023. Mgiddown מְגִדּוֹן a tower 塔
4023a. migdol a tower 
4023b. Megiddon or Megiddo a place in Manasseh 

ミグドルの一つ前には同じく塔を表すミギドウン、そしてもう一つ前には人間の優秀さを意味するメゲドがあり、

ミグドルの一つ後にはヨハネの黙示録に現れるハルマゲドンに含まれる地名であるメギドン(メギド)があります。

つまり、ヨハネが黙示録に置いて言及したハルマゲドンとはイザヤ書30章26節に由来するものであり、ハルマゲドンとは第一義的にはイスラエルが
創造主である神さまにより頼むことなく大国や人間が手で作ったものにより頼むことによってはじまりもたらされる大量死、大虐殺のことです。
従って、イスラエルが頼りにしたもの「塔という塔は」倒れてしまうことになります。

 

そして26節「月の光が日の光のようになる」という言葉について

月は月です。日ではないのです。

月には月の役割そして能力というものがあります。
しかもここで言う「月」は神さまが創造された「月」ではなく、人工物であるれんがです。バベルの塔を作り上げたうちの一つのれんがです。(れんがは単数形である)

その発する光を「日の光」のようにするとすれば、

月は恒星ではありませんから日の光を反射して光っているわけで、

「日の光」をれんが一つに照射するという事になります。

ここで言う「日(太陽)」は「激怒」という意味を持つ単語と文字列が同じものなので、

「激怒」の光をれんがに向かって照射するという事になります。

激怒ではないただの光だったとしても、れんがの一つに過ぎないものに太陽のエネルギーは完全にキャパオーバーです。
そう、太陽一つ分の光であっても受け止めきれないでしょうに、日の光は7倍になるという事ですから

ただの土の塊であったれんがは

焼き尽くされて跡形もなくなってしまう。

 

 

大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる時、すべてのそびえたつ山と、すべての高い丘に水の流れる川がある。
さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。

イザヤ書30章25、26節

 

 





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