創世記1章14節から19節までを口語訳聖書から引用します。
神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 夕となり、また朝となった。第四日である。
神さまが太陽と月を造られたという箇所です。
神さまはいったい何のために太陽と月を造られたのかというと
まずは分けること。「昼と夜とを分け」と書いてあります。
分けるため、というところにはלהבדילという言葉があります。
元の単語はבדלバダル(分けてわかれさせる、区別する)という言葉です。
להבדיל lə-haḇ-dîl という形では聖書にトータル3回登場していて
この創世記1章14節以外にはレビ記11章47節とエゼキエル書42章20節にあります。
これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。レビ記11章46,47節
このように、四方を測ったが、その周囲に、長さ五百キュビト、幅五百キュビトのかきがあって、聖所と、俗の所との隔てをなしていた。エゼキエル書42章20節
בדלバダル この言葉こそがトーラーを表していると私は思っています。
トーラーをギリシャ語のノモスであると勘違いし、律法と訳し、がんじがらめに縛るものだという認識で長い間居りましたが、トーラーは縛るものなのではないのです。
20年以上前、私の娘は新築の家に引っ越した2週間後にアトピーを発症しました。また、その後の経緯からも、シックハウス症候群(化学物質過敏症)の疑いを持たざるを得ませんでした。
どんなものであれ病気になると、私たちはそれまでの生活をそのまま続けることができなくなるわけですが、化学物質に過敏であると判断した私がまず行ったことは
家中のよろしくなさそうな揮発性化学物質が使用されているという疑いのあるものをすべて撤去することでした。(家の引っ越しは金銭的な問題で不可能でした)
結果、わが家では木製の家具やクローゼット、押し入れがすべて使えなくなり、布団も衣類もすべてのものが収納庫の外に出されることとなりました。
イメージしてください。あなたの家の収納庫が無くなった状態を。収納庫に収納されていたすべてのものが目の前にごちゃごちゃに積まれている状況を。
トーラーが無い状態というのは、そういう状態のことだと思います。
神さまに似たものとして造られた私たちは、ごちゃごちゃに積まれているものをまず用途に応じて分けないでしょうか。
例えば目覚まし時計は玄関ではなく寝室に。部屋全体を照らす照明器具はテーブルの下ではなく天井に取り付ける。
そして、そういう表に出しておいて使うものとタンスや押し入れなどにしまっておくものも分けるわけです。(しまうときにも自分なりのルールで物を分けるでしょう?)
しかしタンスやクローゼットや押し入れなど一切が使えなくなった時、
目覚まし時計は寝室に、照明器具は天井に取り付けることまでは可能なのですが、表に出したままにしておくものと必要になるまで見えない場所にしまうものの区別ができないという混乱に陥りました。
トーラーは秩序を与えるものです。
縛り付けるのではなく、分けるためのルールです。
生物学の土台となるような分類学という学問がありますが、
神さまが一番初めにアダムにやらせた「名前を付ける」という行為はまさに分類です。
神さまが造られたたくさんの生き物が名前を持たない状態で存在していた時に
神さまは生き物をアダムのところに連れてきて名前を付けさせるわけですね。
名前を付けるために最も重要なことは、これとそれには何らかの違いがあると気付くことです。空を飛んでいるものと飛べないものという違い、陸を歩いているものと水中にいるものという違い、初めはそういう大雑把なところから入り
やがて空を飛んでいるものの中にも大きさが違うとか色が違うとかくちばしの形が違うとか食べ物が違うとかいろいろな違いが見いだせるようになるはずです。
どういう「違い」があるのか、その「違い」に基づいて名前を付ける
そうやって人は「違い」を意識し、その違いに基づいて「名前」で呼ぶことができるようになる。
神さまはアダムに「違い」の存在を意識させ、教育しているのです。
私たちも小さな子供にまずは「名前」を教えますね。りんご、みかん、犬、鳥・・・
動物と人間、他者と自己、
分けるという行為、区別するという行為
それがトーラーです。上にレビ記11章46節47節をלהבדיל lə-haḇ-dîl という言葉が使われている箇所として引用しましたが
これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。レビ記11章46,47節
違いを「分かる」ことによって食べられるものか食べられないかという具体物の区別ができるようになります。
具体物の区別ができるようになったら次は抽象的なことがらを区別していく、私たちが子供たちを教育するときに行うことと同じ、それがトーラーです。
律法について悪い評価をする人々に考えてほしいのは、「縛る」と言われるようなルールは「トーラー自体」なのか「解釈段階での問題」なのか、
そして、「そのルールを守らねばならないのは誰なのか」ということです。
上に引用したレビ記は誰のためのルールでしょうか。レビ記の初めにはこう書いてあります。
主はモーセを呼び、会見の幕屋からこれに告げて言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、レビ記1章1,2節
主は、モーセを呼んで「イスラエルの人々に言いなさい」とおっしゃっています。
ですからイスラエルの人々が聴くべき守るべきルールであるということです。
律法の一点一画は滅びないのですから、イスラエルはイスラエル、それ以外はそれ以外ということに変化はないはずです。
置換神学のせいでイスラエルを「真のイスラエルであるクリスチャン」などと「読み替える」ようなことをするからおかしなことになるわけで、
神さまは筋の通った何の変更もないお方なのですから
ごちゃまぜにしてはいけないのです。
混ぜるからおかしくなるのです。神の言葉に混ぜ物をしてはいけないのです。
イスラエルは申命記14章2節に書かれているような民です。
あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。
だから大変なのです。だからイスラエルは大変。責任が重いのです。
さて、超絶前置きが長くなりましたが、
今日は前回の記事に関連して太陽と月の役割の話です。
トーラーである創世記で、神さまは太陽と月の区別と役割について語られています。
神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 夕となり、また朝となった。第四日である。
創世記1章14節から19節までを再度引用しましたが
わずかこれだけのところに重要な秩序、区別、ルールともいうべきことが書かれています。
「天のおおぞらに」日本語で読むと読み流してしまいがちですがヘブライ語では「天」と「おおぞら」は別の単語できちんと区別されています。
言い換えます。天(シャマイム)と空(ラキア)は別物。ラキアのところに光があります。
で、ラキアのところにある光は
昼と夜を להבדיל 区別し、
לאתת しるしとなり、
למועדים 季節のため(直訳すると「定められた時」のため)
לימים ושנים 日のため年のため にあるというのです。
そして、ラキアのところにあって、地を
להאיר 照らす
למאורת 光となれ
そして大きい光に
昼をלממשלת つかさどらせ
小さい光に
夜をלממשלת つかさどらせ
星も造られ
神はこれらをラキアに置いて
地をלהאיר 照らさせ、
昼と夜とをלמשל つかさどらせ、
光とやみとをלהבדיל 分けさせられた。
לラメドという文字がそれぞれ言葉の頭に付いています。色と大きさを変えて書きましたが、聖書の本文ではそんなふうにはなっていません。ご了承ください。
לラメドという文字は、ウィキペディアによれば、「牛を追うための突き棒」からできた文字だそうです。また、לラメドという「文字の名前」と同じ文字列である
למד という単語には「学ぶ」という意味があります。
ヘブライ語聖書を見ると、1章14節から19節までのこれほどの箇所の言葉の頭にそれぞれלラメドがわざわざつけられていて
(私はヘブライ語に関する参考書や文法書を見たことがありませんのできれいな一対一対応の日本語ですっきりと表現することはできませんが)
לラメドが言葉の頭につけられているときには、それはちょうど「牛が牛飼いに追われる」ときのように、神さまから「神さまのお決めになったまっとうな道」をあゆませられる、すなわち個々の被造物独自の役割、使命がלラメド以降の言葉で表現されているように感じます。
そして、これがトーラーに書かれた決まり事、ルールです。
確かに細かいかもしれません。
しかし、このルールのどれが取り去られたとしても世の中は大混乱となるでしょう。
実際、
トーラーで定められていたルールを
破壊しようとして、もしくは壊した結果いろいろな混乱が起きています。
トーラーで定められた「普遍的なルール」は取り去ってはいけない。
(ex.元素の構成する粒子や元素の持つ性質は神さまの定められたルール、DNAの塩基配列は神さまの定められたルール)
トーラーに定められたものを破壊するものは神さまの敵
クリスチャン用語でいえば反キリストです。
破壊すればどうなるか。
エレミヤ書4章23節記されたような創造前の混沌、茫漠となるのです。
イザヤ書30章26節カテゴリ 一覧
イザヤ書30章26節の解釈(2)出来事の順番がおかしいと思うのは私だけ?
イザヤ書30章26節の解釈(4)新約聖書で「太陽」と「月」という言葉を探してみた
イザヤ書30章26節の解釈(7)よくわからないのでもうしばらく考えます
イザヤ書30章26節の解釈(8)主は激怒しておられる・・・と思うのは私だけ?
イザヤ書30章26節の解釈(9)bind saddled rule しかし gives relief
イザヤ書30章26節の解釈(13)引き続き「七日(間)の光」について
イザヤ書30章26節の解釈(14)「太陽のような月」それは偽物だ!
イザヤ書30章26節の解釈(15)本物の夜明けはやってくる、必ず