2023年12月7日木曜日

イザヤ書30章26節の解釈(9)bind saddled rule しかし gives relief

「光」という言葉が何を言っているのかずっと考え続けているのですが、どうもよくわからないので、先に
Strong's Hebrew 2280 חָבַשׁ 
について書きたいと思います。
Definitionとしては to bind, bind on, bind upと書かれているこの言葉、どこに書いてあるかというと

イザヤ書30章26節
さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。

bind upということなので、包帯をしっかり巻くというような意味なのだとは思うのですが、聖書のほかの箇所で調べてみるとなんとなくイメージが違う。

まず、聖書の中で一番初めに2280番が登場するのは創世記で

 創世記22:3
アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

太字にしましたが「ろばにくらを置き」というところが該当箇所です。

2280番は聖書の中に33回登場するのですが、

で、この「ろばにくらを置き」という翻訳がつけられているのは全部で13回。

民数記 22:21

士師記 19:10

サムエル記下 16:1

サムエル記下  17:23

サムエル記下  19:26

列王記上 2:40

列王記上 13:13(2回)

列王記上 13:23

列王記上 13:27(2回)

列王記下 4:24

そして、ろばにくらを置く以外の翻訳としては

 出エジプト記29:9
彼ら、すなわちアロンとその子たちに帯を締めさせ、ずきんをかぶらせなければならない。祭司の職は永久の定めによって彼らに帰するであろう。あなたはこうして、アロンとその子たちを職に任じなければならない。

「帯を締めさせ」の方が2280番のように考えがちですが、帯を締めるという単語は別にあって、2296番חָגַר英語でもgirdというbindではない単語が使われています。

で、ここまでのことを踏まえて2280番の意味を考えると、

bindという英語を聞いてまず思うであろう「ひもでしっかり縛る」というニュアンスよりも「かぶせる」というニュアンスがあり、

もう少し踏み込むと、「ろばにくらを置く」とかアロンとその子たちに「頭巾をかぶせる」という行為は、
所有者、使用者が、そのものをそのものの使命や立場にふさわしく、くらを置いたり頭巾を「かぶせて整える」というようなことなのかもしれないと思います。
(書きながら、かぶりものについて書かれている第一コリント11章のところを思い出したのですが、ユダヤ人の男性のキッパーのことを考えると一コリント11章がなんだかよくわからない
。。。と言えてしまう今日この頃。Wikipediaによると「キッパー」は神に対して頭を隠すことで神に対しての謙遜の意思を表す意味があるそうです。)

 

2280番חָבַשׁの話に戻ります。

2280番の言葉は、NASB(New American Standard Version)  の翻訳語として以下のような語がカッコ内の数字の頻度で充てられているそうです。

bandage (1), bandaged (1), bind (5), binds (2), bound (3), dams (1), gives relief (1), healer (1), rule (1), saddle (3), saddled (10), wound (1), wrapped (3).

最も多いのがsaddle(d)であるということはお分かりいただけると思うのですが、
面白いのは

gives relief (安心を与える) healer(いやす人)というような単語と並んで
rule(ルール、治める、統治する)という単語があることです。

 

以前詩篇23篇に登場する「杖」ついて書いた事がありますが


「羊飼いが見た詩篇23篇」
W・フィリップ・ケラー 著/ 舟喜順一 訳
という本の110ページから123ページ、
「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」という項で

羊が「所有者の支配と権威の下に入る」ということは
「所有者である彼の注意深い、細かい、直接の検査を受けるということ」
だと学ばせていただいたことがあります。

 

悪王に支配されるということは締め付けられる負の要素しかありませんが

善王の支配に入るということは安心を得られることです。

 

 

さて、口語訳聖書のイザヤ書30章26節において、2280番は以下のような太字の箇所だと書きましたが、

イザヤ書30章26節
さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり、七つの日の光のようになる。


「さらに主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日には、」
と訳されているところを単語の順に並べるとこうなります。


「その日」

「包む」←2280番

「主(神聖四文字)」

אֶת

「壊れている、破滅状態、(クラッシュしている)」

「彼の民」

「そしてひどく傷ついている(砕け散っている)」

「虐殺、疫病、刃物や銃による傷」

「完全にいやす」

 

翻訳者は、日本語話者の理解しやすさと「宗教の教典」ゆえの品位を第一に考えて訳したのだろうなあと察するわけですが

イザヤが語っている場面は相当ひどい状態のようです。

 





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