シャロームという言葉

シャロームという言葉。

これはヘブライ語で、クリスチャンの間では普通「平和」と訳されたりしている言葉だが、その「言葉自体の持つ意味の良さ」と、日本語に「しゃれた」という音の「比較的良い意味の言葉」があったからなのか、音自体の心地良さとおぼえやすさで、どこの言葉であるかは特に意識することもないままに頻度高く使っていた時代があった。

聖書のヘブライ語を少しずつ学ぶようになって、シャロームという言葉はשׁלוםと書き、Definition(定義)としては、 completeness=完全, soundness=健全, welfare幸福、繁栄、(福祉), peace=平和

であるということを知った。

 

イエスさまはこう語られた。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。マタイによる福音書5章9節(口語訳)

現在進行形で戦争が起こっている今日この頃にこの言葉を聴くと、そういった国と国との争いのない状態についてイメージする言葉であるが

シャロームの持つ「完全」という意味を考えると、
そういう「戦争をしていない」という「最低ライン」ではないもっともっと質の高いもの、アダムとエバが罪を犯す以前の「完全さ」を求められているような気がする。

創世記で、創造主たる神さまが人間を創造された後に発せられるטובトーブという言葉と同じような意味であるのかもしれない。

トーブとシャロームの違いは
文字列を見て考えるなら

トーブは空っぽの容器の中に神さまが満たして作り上げてくださる「(完璧な)良さ素晴らしさ」で、
シャロームは人間が意志を持って黙り静まり、神さまと交わりを持つことよって与えられる「完全」のような気がする。

そしてシャロームとはイエスさまがおっしゃったように、人間に「作り出せる」ことなのだとしたら、
五つのパンと二匹の魚を差し出すことで、
神さまがその場の必要量に完成してくださるというようなニュアンスを読み取れるかもしれない。

 

 

シャロームという言葉に続く単語にはどんなものがあるのか辞書で調べたところ、

綴りは全く同じשׁלוםだけれども読み方が違う(母音が違う)
シルムという単語があって、それには「報復、報い」という意味があった。

シャロームからוヴァヴを取り除いたשׁלםという単語があって
シャレムと読むものは「完全にそろっていること」を意味し、
同じ綴りだけれどもシレムと読むものには「賠償金を支払う、償う、弁償する」という意味があった。

さらに、שׁלםのあとにהヘーが付いてשׁלמהとなると
包装紙、表面を包む物、マント(ゆったりとした袖なしの外套(がいとう)のことを表すという。

 

こんなふうに辞書を眺めているとヘブライ語聖書を読んでいる世界の人々がどのように考えているのか、わずかだけれどもイメージできるような気がする。

 

そういえば、シャロームからいくつか先に行ったところにこんな単語があった。

 Strong's Hebrew 7975 שִׁלֻּחָה Shiloach 

エルサレムにある貯水池。ネヘミヤ3章15節とイザヤ書8章6節の二か所に登場する。

泉の門はミヅパの区域の知事コロホゼの子シャルンがこれを修理し、これを建て直して、おおいを施し、そのとびらと横木と貫の木とを設けた。彼はまた王の園のほとりのシラの池に沿った石がきを修理して、ダビデの町から下る階段にまで及んだ。
ネヘミヤ3章15節(口語訳)

 

主はまた重ねてわたしに言われた、「この民はゆるやかに流れるシロアの水を捨てて、レヂンとレマリヤの子の前に恐れくじける。それゆえ見よ、主は勢いたけく、みなぎりわたる大川の水を彼らにむかってせき入れられる。これはアッスリヤの王と、そのもろもろの威勢とであって、そのすべての支流にはびこり、すべての岸を越え、ユダに流れ入り、あふれみなぎって、首にまで及ぶ。インマヌエルよ、その広げた翼はあまねく、あなたの国に満ちわたる」。
イザヤ8章5~8節(口語訳)

 

今年ももうすぐ仮庵の祭りがやってくる。

 

 

祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。 
ヨハネによる福音書7章38節(口語訳)

 

 

暑い暑い長い長い夏がもうすぐ終わる。