それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。
マルコによる福音書1章21節(口語訳)
カペナウムはヘブライ語でכפר נחום クファル・ナフームというそうですが、カペナウムという地名は旧約聖書では見る事が出来ません。
ただ、クファル・ナフームという地名の持つ意味については、いつものように同じ文字列の言葉を探すことによって大まかではあってもつかみ取ることができると思います。
今回もまずはそういう視点でカペナウムについて考えます。
ヘブライ語聖書にはクファルと同じ綴り(文字列)の言葉があります。
כָּפַר
Strong's Hebrew 3722 kaphar
「覆う」とか「なだめる」という意味があります。
覆うのとなだめるのがなぜ同じ言葉で表されるのかということですが、Brown-Driver-Briggsによれば、怒っている人の顔を覆ってしまえば罪が見えなくなるのでなだめることになるという発想があるようです。
3722番は旧約聖書には104回登場する言葉で、一番初めに出てくるのはノアの箱舟のところでした。箱舟にアスファルトを塗って「覆う」という意味で3722番が登場します。
そして二回目の登場は創世記32章20節で、太字にした「なだめ」というところに3722番が使われています。
『あなたのしもべヤコブもわれわれのうしろにおります』と言いなさい」。ヤコブは、「わたしがさきに送る贈り物をもってまず彼をなだめ、それから、彼の顔を見よう。そうすれば、彼はわたしを迎えてくれるであろう」と思ったからである。」創世記32章20節
そして、3722番はレビ記1章4節にも使われていました。太字にした「あがない」というところに使われています。
彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。
次にנחוםナフームについて
この文字列を追いかけてみたところ、
ナホム書のナホムとナフームが同じ綴りנחוםでした。
ナホム書の「ナホム」という言葉(人名)はナホム書1章1節に一度だけ登場する言葉で、Strong's Hebrewでは5151番とされています。
また、נחוםという文字列を持つ単語にはほかに5150番というものがあり
Strong's Hebrew 5150 נִחוּם
「なぐさめ」という意味があります。
5150番は聖書の中に3回登場。以下太字にした部分に5150番が見られます。
わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。
イザヤ書57:18
エフライムよ、どうして、あなたを捨てることができようか。イスラエルよ、どうしてあなたを渡すことができようか。どうしてあなたをアデマのようにすることができようか。どうしてあなたをゼボイムのように扱うことができようか。わたしの心は、わたしのうちに変り、わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。
ホセア書11:8
主はわたしと語る天の使に、ねんごろな慰めの言葉をもって答えられた。
ゼカリヤ書1:13