2023年9月18日月曜日

マルコによる福音書1章17節「人間をとる漁師」とヘブライ語「צדק」

イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
マルコによる福音書1章17、18節(口語訳)

 

 

日本語に訳された聖書の創世記、詩編、ルカによる福音書、ヘブライ人への手紙に登場する「メルキゼデク」という名

メルキゼデクはヘブライ語聖書にはこう書かれています。

מַלְכִּי צֶדֶק 

この名前はメルキ(メレク)とゼデク(ツェデク)という二つの単語からできています。

 

מַלְכִּי メレクは Strong's Hebrew 4428 מלך melekで、「王さま」という意味があります。

 

צֶדֶק ツェデクはtsedeqは Strong's Hebrew 6664 צדק tsedeqで「義」と訳されることが多い言葉です。


メルキゼデクではなくツェデクという単語だけに着目すると、この言葉単独では旧約に118回も登場する言葉ですが

日本語の聖書で読んでいるとその存在に気付きにくい場合もあります。

例えばイザヤ書41章2節ヘブライ語の聖書にはこうあり6664番が含まれています。

מי העיר ממזרח צדק יקראהו לרגלו יתן לפניו גוים ומלכים ירד יתן כעפר חרבו כקש נדף קשתו׃

英語の聖書でも例えばKing James Bibleを見るとrighteousという語を見出せて

Who raised up the righteous man from the east, called him to his foot, gave the nations before him, and made him rule over kings? he gave them as the dust to his sword, and as driven stubble to his bow.

このKJBを直訳すると

誰が東から人を起こし、彼の足元に呼び寄せ、彼の前に諸国民を与え、そして彼に王たちを統治させただろうか。彼は彼らを彼の剣の塵のように、そして弓に打ち抜かれた刈り株(麦などを刈ったあとの株)のように与えた。

というように「義」を無視することはできない感じになりますが

口語訳聖書で同じ個所を見ると「義」は見いだせず

だれが東から人を起したか。
彼はその行く所で勝利をもって迎えられ、
もろもろの国を征服し、
もろもろの王を足の下に踏みつけ、
そのつるぎをもって彼らをちりのようにし、
その弓をもって吹き去られる、わらのようにする。(イザヤ41:2 口語訳聖書)

最新の聖書協会共同訳でもこう書いてあって

誰が東から勝利を奮い起こし
足元に呼び寄せたのか。
彼の前に諸国民を渡し
王たちを踏みにじらせ
その剣で彼らを塵のように
その弓で吹き払われたわらのようにする。

Strong's Hebrew 6664 צֶדֶק tsedeq「義」がみあたらない・・・


今日ここに書きたかったのはצֶדֶקという単語の文字構成に関することです。

この単語を見ていたらマルコによる福音書1章17節の「人間をとる漁師」という言葉が思い出された、という話をしたかったのです。

צדקという単語はצツァディדダレトקクフの3文字から成る単語ですが、その1文字めのצツァディは釣り針(hook)の形からできた文字という説があるのです。
で、צדקツェデクは、צツァディとקクフの間にדダレトがあるという構成になっているわけですがדダレトは扉ですから、文字の順番として、
釣り針の向こうに扉があって、その向こうにקクフがある、というふうに考えられるような気がしたのです。

釣り針は魚を釣る道具です。だとすると、魚を釣ったら扉があって扉の向こうにקクフがあると考えられるのではないか、と。
オルブライト先生の説ではדダレトは魚を描いた文字が起源ということらしいので、オルブライト先生の説をここに導入するともっとわかりやすい。
釣り針で魚を釣ったらקクフというストーリーが見えてくる。

 

で、קクフはサンプソン先生はサルの頭を描いた文字に由来とか言っているわけですが、私はフェニキア文字の𐤒コフが「針の穴」起源であるから「קクフも針の穴」というのを勝手に採用していて、
というのは「聖別された」「神聖さ」いう意味である

קֹדֶשׁ qodesh  Strong's Hebrew 6944
という単語の先頭にあるのはקクフという文字であるということだったり

イエスさまが、ラクダが「針の穴」を通ると表現されたことを意識しているからなのですが

そういう文字であるקクフがדダレトの次に来るのだ、と考えると

 

「釣り針で魚を釣ったら聖となる」ということがצדק「義」

 

 

いつものように
素人主婦の一考察ということでお楽しみいただければ幸いですw