2025年4月5日土曜日

ふとアボダーを考えた朝

 神さまの御心とは、そして神さまの御計画とは、

ヨナ書のような神さまが下そうとしていた災いを思いなおされるというような場合を除いて

必ず実現されるものです。


神さまを軽く見ているニムロドのような高慢な者はおりますが、

神さまを主と告白する私たちは信じています
神さまの御計画は揺るぐことなく実現されるものであると。

こんな言葉が黙示録にありますが

(口語訳聖書から引用します)

あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。

神は御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである

あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。

ヨハネの黙示録17章16~18節


「神は・・・・彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである」という言葉からわかるように

神さまは、とにかくありとあらゆる「すべてのこと」を、究極的な勝利、最後の瞬間に至らせるためにお用いになります。

もう少し丁寧に語るなら、

神さまはこれだけたくさんいる地上の人間たちの「自由」なふるまいのすべてを、
今この時の一瞬の後(のち)から、それぞれが死に至る瞬間までのすべてをご存じであり、

黙示録17章17節のことのみならず
「ある時代」の「ある場所」における「ある人間」
というようなピンポイントで「介入」をなさって、
「最終到達点」に導くことがおできになる
バグも無駄も一切無い、「完全なお方」であるわけです。

そして「最終到達点」とは、

神さまご自身の変わることのない御心
トーラーが支配する御国のことであり

聖書に記録されている「ある時代」の「ある場所」における「ある人間」との契約や
語られ続けてきた預言が間違いなく遂行されたことについて
誰もが理解できる状態になることなのだ、と私は信じています。

そこに到達することも含む永遠から永遠までを貫く
一本の直線

今朝は、台所のベレシートの1章1節の中の御言葉
הארץハ・アレツの中に

その一本の直線とともにそれを途切れさせることなくつないでいる
否、
直線を中央に据えてそれを取り囲む三次元空間を埋め尽くす無数の点が
見えるような気がしました。

(アボダー・・・)

アボダーとはこう書きます。

עבדה

עアインは目

בベートはברא創造するという言葉の頭文字

そういう二つのヘブライ文字から始まる単語「アボダー」。

ע 人間が地上を歩み、見る。
見るとは視覚だけのことではなく、歩んでいる中で何かに「出くわし」、
ב そして人間は知恵を用いてクリエイトする。
問題解決のために考えて考えて
神さまに求めて求めて探して探して乗り越えていく。

すると、
ある日、
閉ざされ続けていたדダレト(扉)が開き
הヘー に至る。

הヘーとはつまり、

神さまのお名前である神聖四文字を構成する四文字中の二文字であり、
アブラムがアブラハムとなった時のハであり、
息であり、風であり、「命」であるהヘー。


アボダーという言葉がハ・アレツの文字の中に見えるような気がしました。

הארץハ・アレツ 
א主が造られた地球

א主をר第一とし

ר出くわす問題を主の教えトーラーを土台としてしっかり考えて
ץ義を行う

神の国と神の義をまず第一にすること

本来はそういうことが期待されているהארץハ・アレツ 


すべての時代のすべての国に置かれたすべての人がהארץハ・アレツの上で(地上で)

「アボダー」を続け

もちろん、人間の中には神さまに反逆するような考えを持っている者もおりますけれども

それさえもお用いになって「最終到達点」に至るのだ、という

三次元のイメージが思い浮かんでくるのでした。


そんなことを考えたとき、

「役に立たない人間」「存在自体が迷惑」だと
言われている自分も

神さまにとってはきっとまったくそうではないのだ、と思えた朝でした。

これが私の担当

神さまはきっとキ・トウブと言ってくださる。



アボダーとは

Strong's Lexiconにはこう書いてあります。

ヘブライ語の「ʿabodah」はおもに仕事や奉仕を意味します。肉体労働から宗教的な奉仕まで、さまざまな活動が含まれます。旧約聖書の文脈では、それはしばしば幕屋や神殿におけるレビ人の奉仕、およびイスラエル人のさまざまな立場での労働を意味します。
神への奉仕は礼拝の一形態と見なされるため、礼拝を意味することもあります。



20250404