箴言30章の1節の謎の解決のために箴言30章を眺めることにしたのですが、
案の定、当初の目標を忘れてしまった気がするアラ還おば(あ)さん(;´Д`A ```
どういうところに着目しようとしていたのか
すっかり忘れましたが・・・確認する気も無くなってしまい・・・←このあたりのことについては近いうちに書く予定です
とにかく箴言30章5節が気になるので、
本日は5節のところを眺めてみようと思います。
כל אמרת אלוה צרופה מגן הוא לחסים בו׃
すごく短い箇所です。8個しか単語が無い。
でも、こんなに短い箇所なのに、しっかりと謎ワードが一つ含まれているのです。
בו😩
謎ワードとは、辞書に載ってないとか意味不明とされている単語のことです。
אתみたいに、謎ワードでもとりあえず辞書に載っているものは、どんな感じでとらえられてるのかがコンコルダンスでさぐれたるわけですが、
完全にスルーされてる単語はどうすりゃいいの?
聖書なんだから、一字一句丁寧に扱いたい。
そのためにド素人がヘブライ語まで読んでるのに
ここでスルーするとかありえない。
検索しても、「シエラレオネの都市 ボー」
って書いてあるし。
そりゃそうです、辞書に載ってない言葉がそう簡単にヒットするわけがありません。
なので今回は一次関数的な発想でチャレンジしてみようかと思います。なにかしら見いだせるに違いない。(まあ、見いだせないかもしれないし的外れなことをするかもしれませんが、ずっとこんなふうにして私はヘブライ語を読んでいます。素人はこうやって苦戦しているの、という様子をご覧くださいませ。(;´Д`A ```)
一次関数的な発想とは
בוに何らかの文字を足した時に現れる「意味や定義の変化」からבו自体の意味を見出すという方法です。辞書でבוに近い文字列の単語を探し(そんなことをできるのはBIBLE HUBのおかげ)意味を確認していきます。
בּוֹא 行く、来る
בּוּז 軽蔑する
בּוּךְ 注ぎだす、空(から)にする
בּוּל 生産する
בּוּל 雨期の始まりの月(8月)
בּוּס 恥ずかしい、屈辱を感じる
בּוּץ 漂白する、または白くなるという意味の使われていない語根から派生した単語で上質な白い布である亜麻布を指し、清浄、富、高貴さを象徴する
בּוֹצֵץ キラリと光る、輝く
בּוּקָה 空虚
בּוּר 水をためるための穴を掘る、井戸
בּוּשׁ はずかしい
בּוּת 仮小屋、一時的な避難所
頭から順番にもれなく考えるようなことをするとドツボにはまりますので、わかりやすそうな特徴的なところだけ考えます。
まずはこの二つ
בּוּץとבּוֹצֵץ 漂白する、キラリと光る、輝く
メルキツェデクのツェでおなじみのצツァディが1つ付いているものと2つ付いているものです。(ץはツァディソフィート 単語の最後に付くときにצツァディはこの形になります)
1つ付いているものは漂白をおこなって白くなった上質の亜麻布を表し、
2つ付いているものは白いどころではなく、いわゆる「数を二つにすることによる強調」ということらしく「輝いている」というわけです。
メルキツェデク、すなわち義の王でおなじみのצツァディは「正しさ、義」という意味ですから、この単語でבוは、צツァディに「する」というような意味、
もう少し丁寧に言うと、
בは創世記1章1節のבראのような無からクリエイトするというような意味でのニュアンスを感じさせるものであり、
וヴァヴはペグとしてクリエイトしたものを動かないように固定するというようなニュアンスを感じさせつつ
צツァディに(義)に「する」
で、צツァディ一つで白くなり、צツァディ二つで輝く。
続きまして
בּוּת 仮小屋、一時的な避難所
これは、וヴァヴの代わりにיヨッドが入っていると
ベツレヘムでおなじみのביתベイト(日本語ではベツレヘムのベツ)で家という意味があります。
ヨッドは神さまの御手なのでしっかり?作り上げられている感じがしますが(個人の感想です)
וヴァヴは幕屋の幕を留めるペグなので、ペグで留めたような
בベート 作った仮小屋という感じでしょうか。
בּוּז 軽蔑する
זザインという文字にはどういう意味があるのかという事を考えるためにזザインを含む単語の検討をします。(単語の途中に入っている言葉は見つけるのが大変なので、זザインが先頭にある単語を考えます)
זָנָב ザナブ これには、軍隊の隊列の後方を攻撃するという意味があります。
古代の戦争では、軍隊はしばしば長い縦隊を組んで進軍し、隊列の後方が攻撃に対して脆弱でした。このような戦術は、高齢者、女性、子供など、集団の中で最も弱く無防備な構成員を標的とするため、不名誉な行為とみなされていました。この攻撃方法は、直接的で名誉ある戦闘を重んじるイスラエル文化において特に軽蔑されていました。
で、このザナブの派生語でジンネブという言葉があり
זָנַב ジンネブ これは イスラエル人をアマレク人が攻撃したという文脈で使われている広報を攻撃するということばです。
そしてもう一つは狼を表す単語
זְאֵב ゼエブ 狼は羊を襲う獣なので、辞書によるとマタイによる福音書7:15などで用いられている狼と同じように、弱者を食い物にする偽預言者や指導者という文脈で使われるとのことでした。
זザインという文字は「武器」の形由来だということは知っていたのですが、
「ザイン」というヘブライ語の三文字の単語を検索すると、あまり良い意味ではないヘブライ語のスラングが出てきてしまうのでזザインが使われている単語を調べることにしたのですが、単語の様子と変なスラングでわかるように、
זザインという文字自体には良くない意味があるのでしょうか。
確認のために、זザインから始まる単語で、語尾にדダレトがくっついた単語の意味を調べてみます。
なぜそんなことをするのかというと、トーラーを読んでいて気付いた事なのですが、
אבアブはお父さんで、父なる神さまで、アブラハムのアブなのですが、
דダレトをくっつけたאבדアバドは滅びること。
他にもそういう感じの単語があったので、
後ろにדダレトをくっついた単語がどういう意味を持っているのか、確かめてみましょう。
זַָבַד ザバド 「与える」または「授ける」という意味で、多くの場合、寛大な、あるいは重要な贈り物という意味
同じ綴りでゼベドと読む単語は「賜物」という意味で、
神から与えられたもの、特に祝福や子供といった文脈で用いるようです。
דダレトをくっつけたらいい意味になりました!(笑)
確かめたというほどの数ではないのでまたあとで時間があったらやってみようと思いますが、
זザインはなにか残酷な感じで、
あまりよろしくない意味を持つ「武器」
なのかもしれません。
だとするとבּוּזという言葉の意味が「軽蔑する」なのは
残酷でよろしくないזザインをבとוがセットになって「馬鹿にして、小さいものにしてしまう」ということでしょうか。
とすると、同じように悪い意味を持つסサメフのくっついている
בּוּס 恥ずかしい、屈辱を感じる
これはבּוּזと同じようなシステムで、
בとוでסサメフを「馬鹿にして、小さいものにしてしまう」感じ?
少なくともבוは「神さま側」に立っている文字列で、その二文字がセットで何かをしている
でもそうなるとこれはなぜ悪い意味になるのか。
בּוּשׁ はずかしい
エレミヤ書6章15節
彼らは忌むべきことをして恥をさらした。それを少しも恥ずかしいと思わず屈辱に気付きもしない。それゆえ、彼らは倒れる者と共に倒れ
私が彼らを罰するとき、彼らはよろめき倒れる――主は言われる。
太字のところがבּוּשׁです。
あ、これはアレか良いとか悪いとかそういうことではなく、
בוによってשׁにさせられちゃうということなのかな。
שׁという文字はイエスさまのお名前だったりモーセの名前だったりセム族だったりに使われているという意味では「よい文字」という分類に入りそうですが
良いとか悪いとかそういうことに関係ない文字の形の「雰囲気」ゆえに使われることのある文字で、
それは、太陽という単語ですけれども
שׁמשׁ
いかにもキラキラしている感じ。
この単語を考えると
太陽はキラキラと同時に熱いわけですから、熱いという意味でשׁを使っているのかも。
恥ずかしいと顔が赤くなるし、熱くなるし。(かなり強引な推測と感想ですw)
というわけで、かなり端折ってしまった気はしますが、
בוは「神さま側」に立っている文字列で、その二文字がセットで何かをする
という、わかったようなわからないような結論に至りました。
そんなこんなで、また本日も最後の単語から長々と考察してしまいましたが
そしてその考察があっているのかどうかわかりませんが
頭から読んでみたいと思います。
כל אמרת אלוה צרופה מגן הוא לחסים בו׃
כל カル すべて
אמרת אלוה イムラト エロヴァㇵ 神さまの言葉
צרופה ツェルファㇵ 精錬された (精錬や火による試練を通して不純物を取り除かれた)ここにもצツァディがありますね
מגן マゲン 盾 (戦闘において敵の攻撃から戦士を守るための防具。より広い意味では、聖書では神さまが民を守り、保護することを表す表現)
הוא フー それ(彼)
לחסים ラコスィム 身を寄せる者たち(神さまに信頼し、保護を求めている人たち)
בו 神さまが行ってくださる
つまり箴言30章5節は
すべて 神さまの言葉 精錬された(不純物はない)
盾 それ(or 彼) 身を寄せる者たち 神さまがおこなってくださる。
もう少し滑らかな言葉にすると
神さまのすべての言葉は精錬されている。(不純物が無い)
それ(or 彼=神さまの言葉)は 神さまに保護を求める者たちの盾となってくださる。
4節のところにもさりげなくイエスさまが登場されていましたが
5節も最後のところの「それ」は「彼」と読み替えることも可能なので、
神さまの言葉 というところをヨハネが福音書の冒頭で語るように
「イエスさま」であると読み替えるなら
「それ」と訳さず「彼」と読み替えて
神さまの御子による「福音」が見えてくるような気がします。
なんか面白くなってきた
(個人の感想です)😸