創世記2章6節 私訳

 

創世記2章6節私訳


これまで学んできたあれやこれやを考えながらインスタ用の画像をつくったことがありました。ただ、インスタはツユクサの変異専用にしたのでこれは没画像です。

既存の聖書の訳には少ない「水蒸気」という訳語をあてたのは、ここに使われているヘブライ語Strong's108番אֵדが、BIBLE HUBのStrong's Exhaustive Concordanceではミストとか蒸気と定義されていたからです。

108番は、聖書ではもう一か所ヨブ記36章27節にしか登場しないレアな言葉です。で、そのヨブ記36章27節はよく言われるように地球における「水の循環」に関する記述となっているわけです。

彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせて雨とされる。
ヨブ記36章27節(口語訳)


ただ、ここで問題なのは、ヨブ記36章27節の言葉を語った人はどうしてそのような「水の循環」などという高度な科学的な知見を語れたのか、ということです。
地球上で水が循環しているという考え方は16世紀以降の知見です。にもかかわらず、これが当然のこと、みんなが知ってる真理だよねと言わんばかり、断定的に語られているのはなぜなのか、という疑問が生まれます。
で、この疑問には二つの答えが予想できるわけですが、
一つはヨブ記の当時、すでに水の循環に関して断定的に語れるような共通認識があったから、ということで
もう一つは、聖書の書かれた時期が嘘だから(-_-;)
でも、極力!極力!後者は排除したいと思いますし、いくらなんでもここまで嘘ってことはないだろうと思いますので答えは前者ということで話を進めます。

で、前者であると仮定すると、たぶん、「トーラーにあることだから真理」だとみんな信じていた、ということではないか、と。
ならばそれはトーラーのどこにあったのか考えながらヨブ記36章27節をもう一度読んでみると、創世記2章6節の内容にリンクしている部分のあることに気づきます。

口語訳聖書から二つの文を引用し並べてみます。

しかし地から泉がわきあがって 土の全面を潤していた。
創世記2章6節

彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせてされる。ヨブ記36章27節

細かい表現に違いはありますが、要するに「水が上にあがり、あがったら地表に注がれる」ということであるわけです。

口語訳の創世記の表現だとなんとなく間欠泉とか噴水みたいなシステムで水がまかれ、土を潤している雰囲気でなんかやはりこれは科学誌ではないからなあ、とか思う人が多いかもしれませんが、ヨブ記を読みますとね、多くの方が称賛するくらいすごいことがあっさりと断定的に書いてあるわけです。
そう、27節の前半、「水」のしたたりと言っておきながら、後半では「霧」をしたたらせると言っているあたりのことについて
前半のニュアンスは川や海や水たまりのような切れ目のない水の集合体から「したたり」=しずく つまり、その水の集合体から小さく切り取られた「部分」、海全体でも川全体でもなく「その一部」を上に引きあげ、引きあげられたものは上に行くと霧となり、そこからしたたる、つまりぽつぽつと雨が落ちてくる、と言っている。現代人の知識に当てはめてざっくり言えば、地表にある水の表面から一部「蒸発」したものが雲となり、そこから雨が落ちてくるということです。

で、話を元に戻しますが、

ヨブ記の言葉がトーラー(創世記)由来だと仮定した場合、

否、仮定もなにも、ヨブ記のこの個所と創世記2章6節に共通して登場する、しかもこの二か所にしか登場しない言葉Strong's108番אֵדが存在しているわけですから、本当はこの二か所の関連を否定する方がおかしいのだろうと思うわけですが、

だとすれば、創世記2章6節とヨブ記36章27節は同じことを述べているはずで、

そうなると、Strong's108番אֵדはどう訳すのが適切であるかと考えれば、BIBLE HUBのStrong's Exhaustive Concordanceが言うようにmistとか vaporと訳すのがいいのではないかと。
そして、現代の日本人として神さまの定められた物理法則(トーラー)を考えるならば水蒸気という言葉が良いのではないか、と思ったわけです。


「過不足なく」という言葉は、Strong's 853番אתに訳を充ててみたもので、なぜそういう訳にしたいと考えたのかということについては2022年に書いた記事をご覧ください。

ヨハネの黙示録22章とאת

https://kyudochu.blogspot.com/2022/02/22.html

過不足がない、というのは、人間にとって大変重要なことです。雨は、降りすぎても降らな過ぎても困る。

א神さまがת完成されたルールもシステムも

創世記の初めから今に至るまで変更なく、当然のこととしてなくなるはずもなく完璧に運用され続けています。

もしも変更されたり無くなったならどうなるかと言えばあれもこれもひっちゃかめっちゃか・・・創造の前の無秩序に戻る。

私は地を見た。そこは混沌であり天には光がなかった。
エレミヤ書4章23節(聖書協会共同訳)


(関連する過去の記事)

「人間に求められていたこと」 
https://kyudochu.blogspot.com/2021/01/blog-post_1.html

 →「【調べ学習】地は溶け去る」
https://kyudochu.blogspot.com/2022/08/blog-post.html