あの日からずっと心にあったみ言葉
今朝は月桂樹の剪定をしました。ヘクソカズラが絡みついていて大変でした。
3.11以降、この木(ゲッケイジュ)も他の木同様いろいろありましたが
なんとか生きつづけています。
さて、
ムラサキツユクサの花の変異を初めて目にしたとき思い浮かんだのは
エゼキエル書33章のみ言葉でした。
このブログではなくあのブログをずっと公開し続けてきたのは、
エゼキエル書33章4~6節のみ言葉のゆえです。
責任は果たさねば、と。
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しかし人がラッパの音を聞いても、みずから警戒せず、ついにつるぎが来て、その人を殺したなら、その血は彼のこうべに帰する。
彼はラッパの音を聞いて、みずから警戒しなかったのであるから、その血は彼自身に帰する。しかしその人が、みずから警戒したなら、その命は救われる。
しかし見守る者が、つるぎの臨むのを見ても、ラッパを吹かず、そのため民が、みずから警戒しないでいるうちに、つるぎが臨み、彼らの中のひとりを失うならば、その人は、自分の罪のために殺されるが、わたしはその血の責任を、見守る者の手に求める。
エゼキエル書33章4~6節(口語訳)
画像は2015年12月10日6時34分の朝焼けを背景にしています。
その朝、空を見上げて、うわ~😖と思い、その時同時に頭の中に浮かんできたエゼキエル書33章4~6節を文字にして、上に貼ったような画像となりました。
全然関係ない話ですが、
自由研究をまだやっていないお友達は今日から二週間、毎日同じ時間の同じ場所から空の写真を撮ってみたらどうでしょう?
大人もね、あまり空なんて見上げない毎日かもしれませんが同じ空は二度とありません。
神さまのつくられた大空
朝も昼も夜も、とってもきれいですよ。

