reveal (2)

書いたことをすっかり忘れておりましたし、公開しておりませんでしたが、10年前(2016年の5月)に書いた文章がありました。読み返してみたら、revealだったので前回の文章との絡みで公開することにしました。



その瞬間の選択 2016年5月14日


東亜建設工業による滑走路工事における施工不良隠蔽問題、三菱自動車の燃費データ不正、東洋ゴムの免震装置ゴムの性能データ改ざん、旭化成建材らによるくい打ち工事のデータ改ざん、東芝の不適切会計、フォルクスワーゲンの排出ガス規制に関わる不正、FIFAの汚職、ロシアのドーピング問題…

 

2015年から2016年に明るみに出た自分の記憶に残っている不正を挙げてみました。(順不同)

 

 

なぜ、わざわざ「不正」などというものを列挙したかと言いますと、

 

今日は通読でマタイの福音書の14章の前半部分(国主ヘロデがバプテスマのヨハネの首をはねる経緯等)を読んだのですが、おそらくは軽い気持ちで行ったであろう不倫に始まり最後は殺人に至るヘロデの物語を読みながら、この頃やけに多く感じる不正の、顛末を一つ見たような気がしたからです。

 

ヘロデ大王の息子で、バプテスマのヨハネがいた時代にガリラヤとペレヤの国主をしていたヘロデ・アンテパスは、異母兄であるヘロデ・ピリポの妻であるヘロデヤと不倫関係にあり

そのことについてバプテスマのヨハネがヘロデに対し、「あなたが彼女をめとるのは不法です。」と非難したのですね。

で、

「ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。」(マタイ14章5節)

非難されて頭に来て殺意を抱くのだけれど…人気を失いたくないので思いとどまり、

 

また、マルコの福音書6章を見るとこう書いてあります。

「ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」

 

ヘロデは、正しい聖なる人だと「知って」、ヨハネを恐れ、ヨハネという神に選ばれた特別な人物をヘロデヤの手から保護していたと。そして、当惑はしても、喜んで神の言葉に耳を傾けていたというわけです。

 

しかし事態は突然動きます。

ヘロデの誕生祝いの席。ヘロデヤの娘の舞いに浮かれたヘロデ。

「願う物は何でも必ず上げる」とヘロデがヘロデヤの娘に言ったところ、

「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」とヘロデヤの娘が言い

引っ込みのつかないヘロデがヨハネの首を切らせた。

 

自分の体面を保つためにはヨハネ(神さま)などどうでも良い。

自分の体面さえ保てるのであれば他人なんてどうでも良い。

殺してしまったってかまわない!

 

 

 

ヘロデの一連の行動を見ていると、

マタイの福音書13章にある「種蒔きのたとえ」が思い出されます。

土の薄い岩地に落ちた…すぐ芽を出した…根がないために枯れてしまった。いばらの中に落ちた…いばらが伸びて、ふさいでしまった…いばらはこの世の心づかいと富の惑わし…

バプテスマのヨハネの言葉を喜んで聞いているようであったのに、根もはらず、あっという間に枯れてしまった種。

 

 

 

ここで、創世記3章の1~5節より一部を引用します。

 

蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。

そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

 

 

この創世記の箇所は、

聖書で教えるところの「罪(原罪)」が人間に入るに至る直前の蛇(サタン、悪魔、惑わすもの)と女(人類の始めの人アダムのあばら骨から造られた女性、アダムの妻であるエバ)とのやりとりです。

 

人は、創造主である神さまからこう言われていました。

「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

 

 

なぜこの創世記の箇所を引用したのかと言いますと、

「罪」は死をもたらすものだ、ということが言いたかったからです。

 

 

蛇(サタン)は言います。

罪を犯しても「あなたがたは決して死にません」と。

死ぬのではなくて、目が開けるのであり、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになるのだ、と。

しかしそれは偽りです。

罪は熟して死をもたらすものです。

罪から来る報酬は死です。

 

それにしてもなんで、人間はそんなヤツの言うことなんて聞いてしまうのか。

蛇ですよ、蛇。くだらない、自分たちを養ってくれるわけでもない、守ってくれるわけでもない変なヤツの言葉ですよ。

どうして神さまとの約束を、自分たちを愛し、守り、養ってくださる大切な父なる神さまとの約束を、そんなくだらんヤツの言葉によって破ってしまうのか。

 

しかし、いつでもそうなのです。創世記に始まり、今に至るまで、人は同じ過ちを繰り返し続けているのです。

 

 

神の言葉を放り出し

神の代わりに蛇に聴く。

蛇の言葉を人生の土台に据える。

 

すると、私たちは神さまが求めておられるのと逆の人生を歩むことになります。

神を神としない、愛し合わない、へりくだらない。

 

「オレが神だー!愛し合うなんてクソくらえだ!オレに逆らうヤツは皆殺しだ!」

 

 

神の言葉を放り出し、蛇の言葉を聞く「罪」。

 

この「罪」は

 

蛇(サタン、神に反逆する、世の中を破壊する方向に持っていこうとする悪、しばしば人間の人生において悪への誘惑をしてくる)の言葉を人生の土台に据えていたことをしっかりと悔い改め、

創造主である、私たちを愛し、命まで投げ出してくださった神さまの言葉で心を満たす以外に解決はない。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ人への手紙6章23節

罪は、そうしない限りずーっと人間とともにあり、

罪は罪を生み出し、悪はさらなる悪の深みへ。

人が気付こうと気付くまいと、

否、気付いたときには既に手遅れというような深みに沈んでいくのです。

 

 

 

 

 

ヘロデの人生にはいくつもの悔い改めることの出来そうな場面がありました。

あの時誘惑、

しかし、誘惑に負けて失敗をしてしまったとしてもあの時に、

また、どうしようと迷ったあの時に、

 

岐路に立ち、ああ、どうしようと迷ったその時、それは神さまの与えてくださったチャンス。

 

 

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そしてそこから入っていく者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。マタイ7章13、14節

 

岐路に立ったその瞬間、

その小さな狭い門を選んで進むなら、その先には救いが、いのちがあるとイエスさまは語ります。

 

おそらくは広い門の入り口には大きな文字で書いてあるのです。反射的に手が出るような人間の欲求を満たす目に麗しい言葉が並んでいるのでしょう。だからそこに入る人は多い。

しかし入らないという選択肢は確かにある。人はひねくれ者だと言うかもしれません。しかしそうではなくて、神の言葉にそうあるからという意味で現れる選択肢です。

つまり神の言葉を知る人にしかその門は選べない。

神の言葉を人生の土台に据えているから見いだすことの出来る選択肢なのです。

そして、もっと言えば神の言葉を知っていてもその通りに行わないならその門は選べない。

知っていても、神を信頼しきれないから行わない、

神を信じきれないから行えないということはいくらでもあるからです。

 

 

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。マタイの福音書7章21節

 

 

 

 

さて、いろいろな不正が明るみに出されている昨今であります。

 

不正していること、公にするのを憚られるよろしくない事柄を「墓場まで」持っていくという表現を聞くことがありますが、

墓場で事が終わるならそれでよろしいのかもしれませんけれども

ことは墓場のさらにその先まで続いていくのだ、と私は考えております。

 

 

 

ある意味、諸々の不正についての清算の時を地上で迎えることのできた人々は幸いかもしれません。悔い改めることが出来ますからね。

 

何かをお持ちの方々が、悔い改めずに地上の生涯を終えることがないようにと

そんな思いを持って報道を見ている今日この頃であります。