【調べ学習】マシアとメレク
Strong's Hebrew 4899 מָשִׁיחַ mashiach(マシア)
この「マシア」とはいわゆる「メシア」のことです。聖書には39回登場します。
このヘブライ語はよく知られている通り「油を注がれた者」という意味で、
Strong's Lexiconによると「油を注がれた者」というのは、
「特定の役割または職務への献身を意味し、ヘブライ語聖書では、神の任命の一環として油を注がれた祭司、王、および時には預言者を表すために使用されている」とあります。
口語訳聖書からמָשִׁיחַ マシアという語を含む箇所を引用してみます。
すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば、彼はその犯した罪のために雄の全き子牛を罪祭として主にささげなければならない。
レビ記4:3
油注がれた祭司は、その子牛の血を取って、それを会見の幕屋に携え入り、
レビ記4:5
そして、油注がれた祭司は、その子牛の血を会見の幕屋に携え入り、
レビ記4:16
彼の子たちのうち、油注がれて彼についで祭司となる者は、これをささげなければならない。これは永久に主に帰する分として、全く焼きつくすべきものである。
レビ記6:22
主と争うものは粉々に砕かれるであろう、
主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、
地のはてまでもさばき、
王に力を与え、
油そそがれた者の力を強くされるであろう」。
サムエル記上2:10
わたしは自分のために、ひとりの忠実な祭司を起す。その人はわたしの心と思いとに従って行うであろう。わたしはその家を確立しよう。その人はわたしが油そそいだ者の前につねに歩むであろう。
サムエル記上2:35
わたしはここにいる。主の前と、その油そそがれた者の前に、わたしを訴えよ。わたしが、だれの牛を取ったか。だれのろばを取ったか。だれを欺いたか。だれをしえたげたか。だれの手から、まいないを取って、自分の目をくらましたか。もしそのようなことがあれば、わたしはそれを、あなたがたに償おう」。
サムエル記上12:3
サムエルは彼らに言った、「あなたがたが、わたしの手のうちに、なんの不正をも見いださないことを、主はあなたがたにあかしされる。その油そそがれた者も、きょうそれをあかしする」。彼らは言った、「あかしされます」。
サムエル記上12:5
彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。
サムエル記上16:6
ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。
サムエル記上24:6
あなたは、この日、自分の目で、主があなたをきょう、ほら穴の中でわたしの手に渡されたのをごらんになりました。人々はわたしにあなたを殺すことを勧めたのですが、わたしは殺しませんでした。『わが君は主が油を注がれた方であるから、これに敵して手をのべることはしない』とわたしは言いました。
サムエル記上24:10
しかしダビデはアビシャイに言った、「彼を殺してはならない。主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか」。
サムエル記上26:9
主が油を注がれた者に向かって、わたしが手をのべることを主は禁じられる。しかし今、そのまくらもとにあるやりと水のびんを取りなさい。そしてわれわれは去ろう」。
サムエル記上26:11
あなたがしたこの事は良くない。主は生きておられる。あなたがたは、まさに死に値する。主が油をそそがれた、あなたの主君を守らなかったからだ。いま王のやりがどこにあるか。その枕もとにあった水のびんがどこにあるかを見なさい」。
サムエル記上26:16
主は人おのおのにその義と真実とに従って報いられます。主がきょう、あなたをわたしの手に渡されたのに、わたしは主が油を注がれた者に向かって、手をのべることをしなかったのです。
サムエル記上26:23
ダビデはまた彼に言った、「どうしてあなたは手を伸べて主の油を注がれた者を殺すことを恐れなかったのですか」。
サムエル記下1:14
ダビデは彼に言った、「あなたの流した血の責めはあなたに帰する。あなたが自分の口から、『わたしは主の油を注がれた者を殺した』と言って、自身にむかって証拠を立てたからである」。
サムエル記下1:16
ギルボアの山よ、
露はおまえの上におりるな。死の野よ、
雨もおまえの上に降るな。その所に勇士たちの盾は捨てられ、
サウルの盾は油を塗らずに捨てられた。
サムエル記下 1:21
ゼルヤの子アビシャイは答えて言った、「シメイは主が油を注がれた者をのろったので、そのために殺されるべきではありませんか」。
サムエル記下19:21
主はその王に大いなる勝利を与え、
油を注がれた者に、ダビデとその子孫とに、
とこしえに、いつくしみを施される」。
サムエル記下22:51
これはダビデの最後の言葉である。エッサイの子ダビデの託宣、
すなわち高く挙げられた人、
ヤコブの神に油を注がれた人、
イスラエルの良き歌びとの託宣。
サムエル記下23:1
言われた、「わが油そそがれた者たちに
さわってはならない。わが預言者たちに害を加えてはならない」と。
歴代志上16:22
主なる神よ、どうぞあなたの油そそがれた者の顔を
退けないでください。あなたのしもべダビデに示されたいつくしみを
覚えて下さい」。
歴代志下6:42
地のもろもろの王は立ち構え、
もろもろのつかさはともに、はかり、
主とその油そそがれた者とに逆らって言う、
詩篇2:2
主はその王に大いなる勝利を与え、
その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、
とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。詩篇18:50
今わたしは知る、
主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって
その聖なる天から彼に答えられるであろう。
詩篇20:6
主はその民の力、
その油そそがれた者の救のとりでである。詩篇28:8
神よ、われらの盾をみそなわし、
あなたの油そそがれた者の顔をかえりみてください。
詩篇84:9
しかしあなたは、あなたの油そそがれた者を
捨ててしりぞけ、
彼に対して激しく怒られました。
詩篇89:38
主よ、あなたのしもべがうけるはずかしめを
みこころにとめてください。主よ、あなたのもろもろの敵はわたしをそしり、
あなたの油そそがれた者の足跡をそしります。わたしはもろもろの民のそしりを
わたしのふところにいだいているのです。
詩篇89:50(聖書によっては51節)
言われた、「わが油そそがれた者たちに
さわってはならない、
わが預言者たちに害を加えてはならない」と。
詩篇105:15
あなたのしもべダビデのために、
あなたの油そそがれた者の顔を、
しりぞけないでください。
詩篇132:10
わたしはダビデのために
そこに一つの角をはえさせる。わたしはわが油そそがれた者のために
一つのともしびを備えた。
詩篇132:17
わたしはわが受膏者クロスの
右の手をとって、
もろもろの国をその前に従わせ、
もろもろの王の腰を解き、
とびらをその前に開かせて、
門を閉じさせない、と言われる主は
その受膏者クロスにこう言われる、
イザヤ書45:1(二度めの受膏者という言葉は口語訳聖書翻訳者の補足でしょうか。受膏者=油注がれた者 という言葉は一度しかありません)
われわれが鼻の息とたのんだ者、
主に油そそがれた者は、彼らの落し穴で捕えられた。彼はわれわれが「異邦人の中でも
その陰に生きるであろう」と思った者である。
哀歌4:20
それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
ダニエル書9:25
(聖書協会共同訳ではメシヤとは訳さず「油注がれた者」と訳されている)
その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
ダニエル書9:26
(聖書協会共同訳ではメシヤとは訳さず「油注がれた者」と訳されている)
あなたはあなたの民を救うため、
あなたの油そそいだ者を救うために出て行かれた。あなたは悪しき者の頭を砕き、
彼を腰から首まで裸にされた。〔セラ
ハバクク書3:13
ところで、
ヘブライ語聖書にはもう一つ王という言葉があります。
Strong's Hebrew 4428
מֶלֶךְ メレク
聖書には2523回登場する言葉です。
上のマシアのところで引用したサムエル記上2章10節には
メレクも同時に登場しています。
主と争うものは粉々に砕かれるであろう、
主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、
地のはてまでもさばき、
王に力を与え、
油そそがれた者の力を強くされるであろう」。
サムエル記上2:10
「王」と訳されているところがメレクで
「油注がれた者」と訳されているのがマシアです。
同じように上で引用した詩篇18篇50節でも
主はその王に大いなる勝利を与え、
その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、
とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。詩篇18:50
「王」と訳されているところがメレクで
「油注がれた者」と訳されているのがマシアです。
詩篇2篇2節においても
地のもろもろの王は立ち構え、
もろもろのつかさはともに、はかり、
主とその油そそがれた者とに逆らって言う、
詩篇2:2
「王」と訳されているところがメレクで
「油注がれた者」と訳されているのがマシアですが、
ここに描かれる「王」と「油注がれた者」は読んだ通り対立関係です。
ヘブライ語聖書における王とは、究極的には神さまご自身ですから、
「王」と呼ばれる人は
神さまと一体のものであるべき…というか、本当はそうであるはずだし、そうでないということはあり得ないし、あってはいけない
つまり、人間の「王」は、
神さまの言葉であるトーラーによって国を治める責任があるわけですが、
今も昔もそうではない者が「王」として権力を握っています。
詩篇2篇6節には
「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた」
と書いてありますが、
この「王」もメレクです。(「わが王」なのでマルキというかたちになっていますが)
そして、具体的な単語としてここには現れていませんが
このメレクはマシアですね。
ところで、
私たちがよく知るよく聞く言葉として
「偽キリスト」ということばがあるわけですが、
ヘブライ語で考えるとこれは偽のメシア(マシア)ということです。
つまり、メシアは宗教のリーダーとは限らないということですね。
だからなんだということはありませんがちょっと言ってみました。