年賀状で、美しいミルトス(ギンバイカ)の花の写真を見せてくださった方がいらっしゃいました。大嫌いな生き物の絵ばかり並ぶ中、本当にうれしく感謝いたしました。
そこで今日はタイトルに書きましたように、
ミルトス(ギンバイカ)について調べてみようと思います。そして、エステル記にもちょっと言及する予定です。
まずはウィキペディアでギンバイカ
シュメールでは豊穣と愛と美と性と戦争の女神イナンナの聖花とされた。 古代ギリシアでは豊穣の女神デーメーテールと愛と美と性の女神アプロディーテーに捧げる花とされた。古代ローマでは愛と美の女神ウェヌスに捧げる花とされ、結婚式に用いられる他、ウェヌスを祀るウェネラリア祭では女性たちがギンバイカの花冠を頭に被って公共浴場で入浴した。その後も結婚式などの祝い事に使われ、愛や不死、純潔を象徴するともされて花嫁のブーケに使われる。
ユダヤ教ではハダス(ヘブライ語:הדס)と呼び、「仮庵の祭り」で新年初めての降雨を祈願する儀式に用いる四種の植物の1つとされる。ユダヤ教の神秘学カバラでは男性原理を表すとされ、新床に入る花婿にギンバイカの枝を与えることがあった。生命の樹の第六のセフィラであるティファレトや、エデンの園とその香りの象徴ともされる。
要するに、あの辺(地中海沿岸)の常緑の植物で、おしべがたくさんあって美しい白い花を咲かせることから「純潔」「結婚」「豊穣」そして「女神」や「エデン」というワードや「命」
そして以下の聖書引用からもわかるような「荒廃したものが再生する」イメージに結び付くわけですね。
ミルトス(ギンバイカ)はヘブライ語でהדס
Strong's Hebrew 1918 הֲדַס ハダス
1918番は聖書の中に6回登場していてます。
まずはネヘミヤ記8章のところ。仮庵を作るための材料としてミルトスが登場します。
(以下、口語訳聖書から引用させていただきます。)
15節
またすべての町々およびエルサレムにのべ伝えて、「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、なつめやし、および茂った木の枝を取ってきて、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」と言ってあるのを見いだした。
次はイザヤ書41章19節、荒れ野になった地に主が植えて下さる樹木の名前が記されていて、そこに登場します。
19節
わたしは荒野に香柏、アカシヤ、
ミルトスおよびオリブの木を植え、
さばくに、いとすぎ、すずかけ、
からまつをともに置く。
イザヤ書についてはもう一箇所55章のところにミルトスが登場します。
13節
いとすぎは、いばらに代って生え、
ミルトスの木は、おどろに代って生える。これは主の記念となり、
また、とこしえのしるしとなって、
絶えることはない」。
そして、ゼカリヤ書の1章には3回登場します。
8節
「わたしは夜、見ていると、ひとりの人が赤馬に乗って、谷間にあるミルトスの木の中に立ち、その後に赤馬、栗毛の馬、白馬がいた。
10節
すると、ミルトスの木の中に立っている人が答えて、『これらは地を見回らせるために、主がつかわされた者です』と言うと、
11節
彼らは答えて、ミルトスの中に立っている主の使に言った、『われわれは地を見回ったが、全地はすべて平穏です』。
1918番 הֲדַס ハダス から派生した言葉として
Strong's Hebrew 1919 הֲדַסָּה ハダッサ があり、これは
ハダスの語尾にהヘー
(アブラムがアブラハムになったときのハであり、
神聖四文字のうちの二文字である文字)
が付く形ですが、
これが付くと「女性」形
・・・文法書を使ってきちんと学んでいらっしゃる方は反射的に「そういうもんだ」と考えるのだと思いますが、
アブラハムや神さまのお名前、そして
היה ハヤ 「存在する」という言葉を思うと、
女性が子供を産むという、新しい命を生み出すその様子からהヘーが付くと女性を表すのかなと私は思っています。
いずれにせよ、この1919番の הֲדַסָּה ハダッサ は女性形
と言うか女性の名まえで、この単語は聖書中にたった一箇所、それはエステル記2章7節に登場します。
彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた。彼女には父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。(口語訳)
ちなみに、エステルという名前は
ウィクショナリーによれば古代ギリシャ語Ἐσθήρだそうで、
聖書ヘブライ語の אֶסְתֵּר ( ʾestēr )から、
古代ペルシア語の 𐎠𐎿𐎫𐎼 ( astr /star-/、「星」)から、
イラン祖語のHstā́またはアッカド語の Ištar ( 「イシュタル」)から。
と書いてありました。エスタ「星」。
英語圏の方でエスター(Esther, Ester)さんという女性の方がいらっしゃって
ラテン語の「ステラ(stella)」に由来していて星という意味だと聞いた事がありましたが
エステルという名前は「星」であり、輝くものなのですね。
ただ、日本語のウィキペディアによれば「エステルという女性が実在したことを示す歴史的資料はまだ発見されていない」と書いてあり、それゆえエステル記は「実話ではないストーリー」であると考える方もいるようです。
英語版のウィキペディアでBook of Esther
https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Esther
たしかに聖書では
אסתר エステルも הֲדַסָּה ハダッサも
このエステル記にだけ登場する名前であり、
新約でもἘσθήρの名前は見当たらないわけで
また捏造のたぐいか・・・
という気分になったのは否めないのでありますが
ヘブライ語版のウィキペディアでהֲדַסָּהハダッサを調べたり
https://he.wikipedia.org/wiki/%D7%90%D7%A1%D7%AA%D7%A8
「エステルとモルデカイの墓」という項目を読んだりするうちに
また、去年8月のように
ヴィア・ドロローサを怯えながら眺めるタイムスリップした私であるような気分になってきたのでした。
そしてそんな風に思った瞬間
同じエステル記1章1節と8章9節に
הֹדוּホッドゥという言葉があることに気付きました。
これはペルシャ語から派生したヘブライ語で「インド」を表すわけですが、
ミルトスを意味するハダスも
エステルのヘブライ名ハダッサも
このホッドゥと同じように
הדという二文字から始まる言葉だ、という事に気が付きました。
ベレシートと冒頭に書かれているトーラー そして「聖」という記事でも書いた事ですが
הדという文字列は
הヘーをドアで締め出すような言葉だ、と思いました。
אבアブ(アバ)=父なる神さま を
דダレト=扉 の外に追いやるような
אבדアバドという単語が「破滅、滅び」を表すように
הヘー、つまりアブラムがアブラハムになったときのה「ハ」であり、
どうせ良くない意味が込められているに違いありません。
ちょうど、SNS等でיִשְׂרָאֵלイスラエルという単語を記述するときに、שׂと書くべき所をשׂではなく、罪とか棘とかを想起させる文字であるסサメフを入れて書く悪意ある者がいるように、
悪と悪意は世のあらゆるところにあり、あたかも悪が正義のように、義が悪のように語られることはあり、
そのうえ今は創世記で創造された線引きや秩序が壊され、
あらゆることがごちゃごちゃにまざってしまって混乱し、わけがわからなくなってしまっている時代ですから
私たちは慎重に慎重に
注意して本当の羊飼いの御声を探さなければならないのです。
הדという二文字から始まる言葉はほかにもあって、
例えばהֲדַרְעֶזֶר ハダデゼル サムエル下8章等々
הֲדַדְרִמּוֹן ハダドリモン ゼカリヤ書12:11
הֲדַד ハダド エドム出身の複数の人物
それぞれの箇所をチェックしたわけですが
ハダドに至っては…二重の扉をהの向こうに置いているだけのことはあり…ヤダヤダ👎👎
そういう文化の中にあるהֲדַסָּהハダッサ、エステルの書であるわけです。
そういう文化の中であーじゃないこーじゃないということが当然あって、それでも今日までその書は読まれ続けている。
そう、彼女の名はהֲדַסָּהハダッサなのです。הֲדַסハダスではない、
הדのあとに罪を想起させるסサメフをつけただけの、「異教の女神」を思わせるような名前で終わってはいないのです。
הֲדַסハダスの向こうにהヘー(アブラムがアブラハムになったときのハであり、
神聖四文字のうちの二文字である文字)があるのです。
罪で死で終わってはいない。ドアの向こうにはהヘーがある、神さまがいらっしゃる。
הֲדַסハダスにしてもそうです。
ミルトスを異教の女神にどうのこうの、という花に、
つまり、ミルトスという美しい花に悪い者たちが「間違った役割」を与えてしまったかのようでしたが、
ゼカリヤ書1章8節でミルトスの間に立っているのは義人です!
そしてそのミルトスは
הַהֲדַסִּ֖יםと書かれている。
הֲדַסִּ֖には「神さまの支配に置かれた印」הヘーが頭につけられ、
語尾にはיםイム
エロヒムのיםイムでありタミムのיםイムである
יםイムがつけられている!
もっと言えば
ゼカリヤ書の義人を想起させるかのように
「ミルトス」という名前そのものを持っていたエステル。
悪者が彼女に対して悪意を持って「סサメフ」でおとしめても
主は彼女を救い、力を与えられ、
彼女を通して大きなわざを成してくださった!
ところで
ハマンの名前
המןって書いてあるんですよ、おそろしい!
הヘーが頭につけられたמןマン
מןマンとは出エジプト記で神さまが与えてくださった「マナ」のことですよ!!
ふざけんなよ。
おそらくハマンはハムの子孫。הヘーではなく、חヘット
ハムが頭に付いたハマンだと思います!
でも結局そういうことです。
対立するものには悪い名前が付けられているわけです。
そういう危うい世界の中にこの書は置かれていたのです。
そして現代社会に生きるクリスチャンである私たちは
古代とは比べ物にならないほど狭くなった地球の上で
そう、こんなに遠く離れた極東に住んでいても
エステルに「סサメフ」の文字を与え、ハマンをהמןと書いて讃えるような世界がすぐそこにある
そういう危うい世界の中に生きているのです。
そして、クリスチャンであっても社会における諸々について何もかも一つの意見、一つの考え方に集約できないというか、そうやって個々人が試される時代になりました。
神さまの細く小さな御声を聞き逃さぬようにしたいものです。
そう、神さまの御声はかぼそく小さいのです。
קול דממה דקה 列王記上19章12節より
קול コウル 声
דממה ダママ 沈黙
単に音がないことではなく、反省、瞑想、そして神を体験できる状態
דק 押しつぶされた、小さい、薄い
古代イスラエルでは、「薄さ」や「繊細さ」という概念は、純粋さと洗練さに関連付けられることが多く、天から降ってきたマナの形状の描写にもこのダクという言葉が使われています。
「大きな声」には注意しましょう!