マルコによる福音書1章17節 「イエスは彼らに言われた」

イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。マルコによる福音書1章17節

今日は、マルコによる福音書1章17節のカギカッコの前の言葉を見たいと思います。

イエスは彼らに言われた」という言葉。

日本語の新約聖書を読んでいるとき、わたしたちはどうしてもカギカッコの中にある

「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」

という言葉に注目しがちですし、当然、それでよいとは思うのですが、ヘブライ語のトーラーに親しみつつギリシャ語で書かれたマルコによる福音書を読んでみると、どうしても文頭のκαὶ(英語では「and」という意味)

そしてλέγωνまたはεἶπεν(ともにStrong's Greek 3004で「言う」という意味がある)に目が行ってしまうのです。

そして、その言葉とほぼ同じ意味でありヘブライ語の創世記でよく見かけるוַיֹּ֥אמֶר という言葉を思い出さずにはいられないからです。

וַיֹּ֥אמֶרという表現は、Englishman's Concordanceによると旧約聖書には1948箇所もあり、ありふれた表現に過ぎないともいえるのですが

創世記の冒頭、言い換えますと「神さまの律法」と日本語に翻訳されている「トーラー」の「はじめの書」のはじめに、こういう頻度でこういう場所に現れます。

 

創世記 1:3
HEB: וַיֹּ֥אמֶר אֱלֹהִ֖ים יְהִ֣י
KJV: And God said, Let there be light:
口語訳:神は「光あれ」と言われた

 

創世記 1:6
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֔ים יְהִ֥י
KJV: And God said, Let there be a firmament
口語訳:神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。

 

創世記 1:9
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֗ים יִקָּו֨וּ
KJV: And God said, Let the waters
口語訳:神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。

 

創世記 1:11
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֗ים תַּֽדְשֵׁ֤א
KJV: And God said, Let the earth
口語訳:神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。

 

創世記 1:14
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֗ים יְהִ֤י
KJV: And God said, Let there be lights
口語訳:神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、

 

創世記 1:20
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֔ים יִשְׁרְצ֣וּ
KJV: And God said, Let the waters
口語訳:神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。

 

創世記 1:24
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֗ים תּוֹצֵ֨א
KJV: And God said, Let the earth
口語訳:神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。

 

創世記 1:26
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֔ים נַֽעֲשֶׂ֥ה
KJV: And God said, Let us make man
口語訳:神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 

 

創世記 1:28
HEB: אֹתָם֮ אֱלֹהִים֒ וַיֹּ֨אמֶר לָהֶ֜ם אֱלֹהִ֗ים
KJV: them, and God said unto them, Be fruitful,
口語訳:神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

 

創世記 1:29
HEB: וַיֹּ֣אמֶר אֱלֹהִ֗ים הִנֵּה֩
KJV: And God said, Behold, I have given
口語訳:神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 

 

創世記 2:18
HEB: וַיֹּ֙אמֶר֙ יְהוָ֣ה אֱלֹהִ֔ים
KJV: God said, [It is] not good
口語訳:また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

 

 

この2章18節までの箇所におけるוַיֹּ֙אמֶר֙は、way·yō·mer と読みますけれどもこれはギリシャ語のκαὶと同じような意味であるוヴァヴに、

יヨッドと Strong's Hebrew 559אָמַר が合わさってできた言葉です。 

このway·yō·merという表現は創世記1章のところであれば、

1章28節を除いて必ず文頭にあり、

創世記のこれらの箇所にוַיֹּ֙אמֶר֙と書いてあると、

そのあとには「神の御心」「神さまの御意思」「神さまの御命令」が示され、
次々とそれが実現していくわけです。

そして、例えば1章3節のところにおいては

「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」ということで

その言葉が発せられる前には無かったものが、言葉のあとには存在するようになる。

無が有となり、混沌としたところに秩序が現れていくのです。

ヘブライ語のトーラーはギリシャ語のノモス(律法)とイコールではない、と以前書いた事がありますけれども 、それはこういうことで、

トーラーとは人間生活や社会生活の規範だけではなく、

創造に際しての神さまの御意志や、それを実現させるための物理法則等々までをも含んでいるとかんがえられるからです。

 

さて、

 

イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。マルコによる福音書1章17節

もしもマルコによる福音書の著者が、私が推理したような創世記の記述を意識して書いているとするならば

それゆえにマルコによる福音書は短いのかもしれないのではないか、と思います。

トーラーやネビイームに小さいころから親しんでいた人なら

単語ひとつ文ひとつ文体ひとつでマルコの信仰、マルコが言わんとしていることの深い部分が伝わるからです。

実際、ヘブライ語聖書初心者の自分にすら、そのような彼の信仰が伝わってくるような気がします。
マルコは

イエスさまは間違いなく創造主と同一のお方なのだと
そして預言されていた救い主なのだと

そうした自分の信仰を、少ない言葉の中で証ししているような気がしてなりません。

だからこそ「新しく」て「最も大切」な十字架と復活の場面に重きを置いた文書になっている

そんな気がする今日この頃。