信仰を持った当初、私はリビングバイブルが大好きでした。
とても分かりやすく、読みやすかったからです。
しかし、聖書をきちんと読まなければ、と思い書店で口語訳聖書を購入。
その後、「正統的な教会」に通う皆さんが使っていた新改訳聖書を購入。
そして、同時期に知ったことは、いわゆるキリスト教の異端と呼ばれる人々はおかしな聖書を使っているらしいということでした。
プロテスタントの信者ですし、万人祭司を強く主張する教派に所属しておりましたし、
とにかく聖書の言葉は大切だったので、一字一句丁寧に読みました。
教会から落ちこぼれたあともその気持ちに変化はなく、
およそ40年の信仰生活を送っておりました。
ところが、ある夜のこと・・・
→秋の夜長に聖書の比較
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