今日は、創世記のどういう場面「祝福」という言葉が使われているか調べてみました。
その結果、
祝福という言葉に「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがあると考えると理解しやすいかと思います。
と前回の記事までで言っていた内容を考え直さないといけない状況になりました。
今日は、まず、「日本語の聖書」さまのサイトの口語訳聖書で創世記を開き、
ブラウザのページ内検索で「祝福」という熟語を調べまして、
77回あるということがわかりました。
で、次に、一つ一つ読み、だれが何を祝福しているのかということを調べました。
まず、天地創造の場面では、神さまがおつくりになられたものを祝福しておられるわけですが、
神さまは造られたすべてのものを祝福されたわけではなく、「動物と人間」に限られていました。
神さまは動物と人間を祝福され、生めよ増えよ満ちよという言葉と
そのほか、人間についてはその「役割」を語られ、
また、5章の人類創造の場面においては、祝福の後にアダムと「名前」をつけられたことが書かれています。
1:21神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。 1:22神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。
1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
5:2彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。
祝福の対象は動物と人間、ノアもアブラムもイサクもヤコブもヨセフも・・・
9:1神はノアとその子らとを祝福して・・・
12:2わたしはあなた(アブラム)を大いなる国民とし、あなたを祝福し・・・
と思ったわけですが、
それは間違いで、
2:2神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 2:3神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
これは第七日を祝福されているのです。
とすると祝福が一番にすると同義ではないということになります。第七日ですから!
第七日を一番にしたら第七でなくなってしまう。
そして、第七日は生んだり増えたりするわけないのでそんなことをお命じになるわけではなく
神さまは第七日を「祝福」し「聖別」されたわけです。
第七日を「聖」ということになさった、「聖」として分けられた、ということですよね。
この第七日の「祝福」を踏まえ、人間と動物のことも考えると、
祝福とは順位を決めるということではなく、
神さまが「これは特別なもの」と決定されるということでしょうか。
神さまが「~」を祝福する(される)、と表現するときには
神さまご自身がその「~」を数あるいろいろなものの中から選び、いろいろなものとごちゃ混ぜにしないで特別なものとして分けるというような意味で、
人間が「~」を祝福する、という場合には、神さまの代理として神さまがなさるようなことを執行すること?
そうそう、忘れないうちに書いておこうと思いますが
上で私は、口語訳聖書には「祝福」という言葉が77回あると書きましたが
24:21その間その人は主が彼の旅の祝福されるか、どうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。(口語訳)
ヘブライ語聖書で確認したところそこには「祝福」ということばはつかわれてはいませんでした。
聖書協会共同訳でこの箇所は
僕は、主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうと、黙って彼女を見ていた。
こうなっています。
さて、創世記には「第七日」のほか、もう一か所、人でも動物でもないものを
神さまが祝福された、とする箇所がありました。
27: 27彼が近寄って口づけした時、イサクはその着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った、「ああ、わが子のかおりは、主が祝福された野のかおりのようだ。
「主が祝福された野のかおり」
ここはヘブライ語でこう書かれていて、
ויגש וישק לו וירח את ריח בגדיו ויברכהו ויאמר ראה ריח בני כריח שדה אשר ברכו יהוה׃
コロン直前の二つのかたまりは神聖四文字と祝福するという意味のברכ
で、その前にある三文字אשרが関係代名詞みたいなもので、
ペールブルーでマークしてあるのが「香り」という意味の単語です。
前の方の香りריחのすぐ後にあるבני は「息子」、後の方の香りכריחのすぐ後にあるשדהが「野」
創世記の中では第七日とここだけが、祝福の対象が人や動物ではなく「物」なので、何となく気になります。
ここまでのところをまとめると
1.創世記において、祝福の対象はほとんどが人間と動物だった
2.創世記において、祝福とは受けた側に何かしらの特別なものを感ずるけれども「1番」であるとは限らない
しかし日本語の創世記を調べた限りにおいては
「祝福」という言葉について(1)
に書いたような、ユダヤ教徒の人が行う「人間が神さまを祝福する」という話がどこにも出てきていないわけです。
そんなわけで、日本語で調べるのはあきらめ、おなじみのBIBLE HUBで、上の創世記1章のところにでてくる「祝福」という言葉であるStrong's Hebrew 1288のバラクという言葉をコンコルダンスで調べ、「ユダヤ教徒は神さまを祝福する」ということに関係ありそうなみ言葉を探しました。
するといとも簡単に発見することができました。
創世記24章27節。26節から続けて引用します。
24:26その人は頭を下げ、主を拝して、 24:27言った、「主人アブラハムの神、主はほむべきかな。主はわたしの主人にいつくしみと、まこととを惜しまれなかった。そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」。
ヘブライ語の聖書では人が神さまを祝福していました!
ところで、実は今
コトバンクを見ていたら目を疑うような説明が「祝福」という項目につけられていました。
祝福
しゅくふく
benedictio; blessing
祝別ともいう。広い意味では,人から神への賛美と同時に,神から人への恵み,罰の免除などの意味を含む。旧約聖書では,族長ヤコブ,占者バラム,モーセなどによる祝福について語られている。ユダヤ教では家長による祝福がある。一方,キリスト教典礼上,人や物を聖とする祈りとその儀式も祝福,または祝別と呼ばれ,それらのうえに神の恵みをもたらすものとしてとり行われる。カトリック教会では祝別者は司祭以上の聖職者で,教皇,司教に留保されている一部のものを除いてすべての司祭が祝別する権利をもつ。ローマ定式書によると,祝別は対象物を恒久化せず,人に益する使用のための場所,物もその対象となる。信徒でなくても受けられるが,規定された祝別文によることが必要である。
知りませんでした~~~賛美も「祝福」って言うんですね~~???
こんなに長くキリスト教徒やってるのに~~~
百科事典に書いてあることすら知らないとは。
祝福という言葉について(1)でこんなこと言ってましたが
「ユダヤ教徒の方からすればいったい私が何に困惑しているのかおわかりいただけないと思うのですが、
おそらくキリスト教徒の方ならば理解していただけるかと思います。
そう、クリスチャンは「神さまから祝福していただく」ことはあっても、
「神さまを祝福する」などということはないのです。
「などということはない」と書いたのは、心の中に「滅相もない!」という気分があるからです。
こんなこと思うのはもしかしたら世界中のクリスチャンの中で私だけ???
ま、でも、
これで人並みになった。
とか言いながらBIBLE HUBのバラクのページみておりましたら
Definitionとして to kneel, blessって書いてありました。
そして、人だけでなく「物も」祝福=バラクされているようです。
出エジプト記23:25あなたがたの神、主に仕えなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたのパンと水を祝し、あなたがたのうちから病を除き去るであろう。
え、だとすると、祝福という言葉について(1)で引用した、神さまは「物」は祝福しないギリシャ語の誤訳と書かれていたあの本の記述が間違っているということでしょうか。