(1)では、
ユダヤ教徒は人間が神さまを「祝福」するらしいがキリスト教徒(自分)はしたことがないし滅相もない気がする。
ということを書きました。
(2)では、
ヘブライ文字の意味を考えると、「祝福」という言葉には「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがある気がした。
ということを書きました。
(3)では、
(2)を受けて、マタイ6章33節Seek ye first the kingdom of Godを思い出した話
を書きました。
そして(4)では、
創世記で「祝福」という言葉を調べたら、祝福の対象はほとんどが「人間と動物」だったが「もの」という場合もあること、そして、神さまが第七日を祝福している事実から、祝福には「1番のものとする」という意味はないような気がする。という話、さらには、百科事典には「祝福」という言葉の意味は「人から神への賛美と同時に,神から人への恵み」とあり、そもそも(1)で抱いた自分の疑問が「常識知らず」だったようだ
という話を書きました。
で、本日は祝福という言葉が「たたえる」という意味を持つということについて調べたことを書きます。
Strong's Hebrew 1288 בָרַךְ
https://biblehub.com/hebrew/1288.htm
バラクという単語が祝福するという意味のヘブライ語です。
あ、バラクバラクと言っていると人名のバラクを思い出す方がいると思いますが、人名のバラクは、民数記22章2節とヨシュア記24章9節、ミカ書6章5節のバラクはבלקという綴り、士師記4章6節のバラクはברקで
祝福するという意味のברךとは全く異なるものです。
そうなんですよ、だからカタカナで書かない方がいいんですよね、ヘブライ語は。
いや、ヘブライ語と限らず英語もそうですね。エルの音とアールの音をラ行で書いてしまいがちですがエルとアールでは全く違うものになっちゃいますよね、ライスとかww。
ただ、カタカナでないと読みにくいしタイピングもちょこっと面倒なのでバラクと書いてしまっております。
で、祝福するという意味のバラクはEnglishman's Concordanceで330回カウントされています。
今日はまず、創世記の中でバラクがつかわれている箇所の翻訳がどうなっているのか確認してみました。
バラクという語が含まれている創世記の箇所は以下の通りでした。
そして、ペールブルーやペールイエローでマークした箇所の日本語聖書には祝福以外の訳が充てられていました。
マークの色の違いについては下の方に書きます。
マークしていないものはすべて「祝福」という語が充てられています。
(2回)とか(3回)と書いてあるところは、一つの節にその回数バラクという単語が入っていた、という意味です。
(ボケ孤羊な今日この頃ゆえ、落ちがあるかもしれませんので、この件について正確に知りたい方は、上でリンクしたBIBLE HUBのサイトをご訪問いただき、是非ご自身の聖書でチェックしてみてください)
創世記
1章 22節、28節、
2章 3節、
5章 2節、
9章 1節、26節、
12章 2節、3節(3回)、
14章 19節(2回)、20節、
17章 16節、20節、
18章 18節、
22章 17節(2回)、18節、
24章 1節、11節、27節、31節、35節、48節、60節、
25章 11節、
26章 3節、4節、12節、24節、29節、
27章 4節、7節、10節、19節、23節、25節、27節(2回)、29節(2回)、30節、31節、33節(2回)、34節、38節、41節、
28章 1節、3節、6節(2回)、14節、
30章 27節、30節、
31章 55節、
32章 26節、29節、
35章 9節、
39章 5節、
47章 7節、10節、
48章 3節、9節、15節、16節、20節(2回)、
49章 25節、28節(2回)、
マークの色の説明
ペールブルーでマークしているところは
「神さまがたたえられますように」と訳されていたところです。
ペールイエローでマークしているところは
ラクダを休ませている=ラクダが膝をついている と訳されています
ちなみに、創世記で「祝福」と訳されている単語はほかにもあります。
Strong's Hebrew 1293 בְּרָכָה
ベラカ です。
この単語はバラク(動詞)から派生した単語(名詞)のようです。
この言葉が初めて現れるのは創世記12章2節で、アブラムの召命のところです。
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
「あなたを祝福し」の「祝福し」が1288バラクの方で、「祝福の基」の「祝福」が1293のベラカです。
その次に出てくるのはヤコブの祝福のあたりで、「祝福」が物の授受のような感じで語られているあのあたりです。
Englishman's Concordanceでは1293ベラカは69回カウントされています。
創世記では以下の箇所に登場します。
12章2節、27章12節、27章35節、27章36節(2回)、27章41節、28章4節、33章11節、39章5節、49章25節(3回)、49章26節、49章28節
33章11節では「おくりもの」というような訳が充てられていました。
さて、動詞である1288バラクの話に戻ります。
創世記以降の各書でも創世記と同様に、神さまをたたえるという翻訳が充てられていた箇所がありました。
申命記33章20節、ヨシュア記22章33節、士師記5章2節、9節、ルツ記4章14節、サムエル記上25章32節、39節など
そして、「たたえる」という翻訳になっていたのは
神さまに対する場合ではなく、人に対しても、「祝福」という言葉ではなく「たたえる」という言葉が選ばれ充てられている箇所もありました。例えば列王記上1章47節(新共同訳)
実は、「たたえる」という翻訳の部分を自分の聖書を開いてひたすらチェックするうちに、ルカによる福音書のひとつのみ言葉が心に浮かんできました。それは、以前ブログで書いた事がありましたが「マリアの賛歌」の中にある言葉「わたしの魂は主をあがめ」というものです。
記事から引用します。
イエスさまのお母さんであるマリアが神さまをほめたたえる「マリアの賛歌(マグニフィカート)」ルカ1章46節。マリアの最初の言葉「わたしの魂は主をあがめ」というのはラテン語で、マグニフィカティオ=大きくする
神を大きく大きくする
自分は小さく、ますます小さくなっていく
賛美とは本来そういうものなのですね。
賛美とは
神を大きく大きくする
自分は小さく、ますます小さくなっていく
ということ。
BIBLE HUBのバラクのページみておりましたら
…なんでここでも見落としてるんでしょうか私。
Definitionとして to kneel, blessって書いてありました。
そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、
https://kyudochu.blogspot.com/2016/06/blog-post_36.html
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
マタイによる福音書18章4節