2022年11月10日木曜日

「祝福」という言葉について(2)申命記28章 祝福と呪い

申命記28章は3つの大きな部分に分けられます。
 
そしてその3つうち最も重要なのは一つめの部分であり、
さらに言うと、この章の先頭である1節にその最も大切な中心となる言葉があります。
 
 
 
もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。申命記28章1節(口語訳)
 
「もしあなたが」という書き出しで始まっていますが「あなた」とはだれの事でしょうか。
申命記のここまでの流れ、そして直前の27章のところから考えるとイスラエルのすべての人々ということになりますが、
またモーセとレビびとたる祭司たちとは、イスラエルのすべての人々に言った、「イスラエルよ、静かに聞きなさい。あなたは、きょう、あなたの神、主の民となった。それゆえ、あなたの神、主の声に聞き従い、わたしが、きょう、命じる戒めと定めとを行わなければならない」。申命記27章9、10節(口語訳)
「イスラエルよ、静かに聞きなさい。あなたは、きょう、あなたの神、主の民となった。それゆえ、あなたの神、主の声に・・・」という言葉にある「主の民」という言葉に着目するならば、これは御子イエスを頂いた神の国に所属する者たち全員が28章1節の「もしあなたが」の「あなた」に該当していることになります。
 
とすると、「もしあなたが」の「あなた」とは人間全体のことであって、
なぜなら、主イエスはすべての人類の罪を背負って十字架にかかってくださったからです。
今現在この時この瞬間に主イエスをキリストであると告白しているかどうか
それをもって今私たちはその人々のことをクリスチャンと呼ぶわけですけれども、
今現在はそうでないかもしれない、しかしまだそうなる可能性が残されているすべての人々も
この「あなた」の中に入っており、「もしあなたが」と呼びかけられているわけであります。
 
そして「もしあなたが」という言葉の後にはこういう言葉が続きます。
もしあなたが「あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、」
 
「もし」という言葉は「もしも」という言葉と同じ意味でありますから「もし~なら」と、何らかの条件の提示が行われるわけです。で、ここで提示されるのは「あなたの神、主の声によく聴き従い」「わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行う」ならば、ということです。
「あなたの神、主」とはどなたの事でしょうか。
申命記の中で探すならばこの方の事です。
 
わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。申命記5章6節
イスラエルをエジプトから救い出された方の事です。
また、6章4節で述べられている方の事です。
イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。申命記6章4節
そして、
「わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行う」とは申命記5章1~5節に記されている契約のことです。
 
さてモーセはイスラエルのすべての人を召し寄せて言った、「イスラエルよ、きょう、わたしがあなたがたの耳に語る定めと、おきてを聞き、これを学び、これを守って行え。われわれの神、主はホレブで、われわれと契約を結ばれた。主はこの契約をわれわれの先祖たちとは結ばず、きょう、ここに生きながらえているわれわれすべての者と結ばれた。主は山で火の中から、あなたがたと顔を合わせて語られた。その時、わたしは主とあなたがたとの間に立って主の言葉をあなたがたに伝えた。あなたがたは火のゆえに恐れて山に登ることができなかったからである。
 
 
 
そして、その契約によってどういうことがもたらされるのかということが申命記28章に書かれています。
再度28章1節を引用します。
 
もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。申命記28章1節(口語訳)
 
 
唯一の神さまである神聖四文字なるお方の声を聴いて従うこと、すなわち、モーセが唯一の神さまである「主」から預かったすべての戒めを守り行うならば、
「あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。」
という契約です。
そして申命記28章の3つのうちの一つめのまとまりの詳細、つまり契約に関する具体的な話が2節から14節で語られます。
 
以前のブログが閉鎖させられる直前の事でしたが
「祝福という言葉」
という記事を書きまして、「祝福」という言葉を考えながらちょっと混乱している様子をお伝えしたことがあるのですが、
実はここ数年ずっと「祝福」という言葉についてひたすら考え続けておりました。
 
で、この申命記28章1節から14節も何度も読んでいたわけですが
今日は、「祝福」とはこういうことじゃないかな?と、ある程度の確信を得たので書いておこうかな、と思います。
 
 
 
祝福という言葉に該当するヘブライ語は Strong's Hebrew1288 barak
 בָרַךְ
という言葉なのですが、この三文字の言葉が表しているのは、この申命記28章1節の後半部分の御言葉が語っていることなのではないかと思いついたのです。
 
もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。申命記28章1節(口語訳)
この申命記28章1節の後半部分「あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられる」これが祝福と翻訳されている言葉の元の意味なのではないかと。
もっとわかりやすく言うならば、「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスではないかと思ったのです。
 
 בָרַךְ
祝福というヘブライ語の最初の二文字は
まずはבベートですが、これは文字としたらアレフに次ぐ二番目の文字ではありますが、
アレフという文字は父なる神さまを表す特別な文字であるので、それを除くと一番初めの文字であり、
それゆえ、創世記1章1節の冒頭にある二つの単語の初めにはこのベートを使って「はじめ」という意味を表現しているように思えるわけですが、
さらに言うと בָרַךְと同じように、創世記1章1節の最初に現れる二つの単語の二文字めもともにרレーシュで、レーシュは「頭」を描いた文字ですから、祝福と翻訳される בָרַךְについても
בְּרֵאשִׁ֖ית In the beginning はじめに
בָּרָ֣א  created 創造した
というこの二つの単語と同じようなニュアンスを含んでいる言葉なのではないかと思うわけです。
また、ヤコブとエサウの祝福問題で、長子の祝福という話があるわけですが、なぜ祝福は一つしかないのかということを考えると、もしも祝福という語に「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがあるならば、一つしかないのは当然ということになりますし、
「祝福という言葉」という記事で書いた「ユダヤ教では人間が神を祝福するらしい」というクリスチャンとしての疑問も、「あなたは私にとって一番!」というニュアンスがもしも祝福という言葉にあるならば、解決するのかなあ、と。
 
また、申命記28章13節にあるこの言葉と
 主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。申命記28章13節(口語訳)
「のろい」について語る28章44節のこの言葉の対比も
彼はかしらとなり、あなたは尾となるであろう。申命記28章44節
祝福という言葉に「頂点とする」とか「1番の者とする」というニュアンスがあると考えると理解しやすいかと思います。
一方で「のろい」とは、「頂点以外」のどこか適当なところに、ということではなく、引きずりおろされて最後尾という厳しさが見られます。
 
 
 
 
28:1もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。 28:2もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。 28:3あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。 28:4またあなたの身から生れるもの、地に産する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう。 28:5またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう。 28:6あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。
28:7敵が起ってあなたを攻める時は、主はあなたにそれを撃ち敗らせられるであろう。彼らは一つの道から攻めて来るが、あなたの前で七つの道から逃げ去るであろう。 28:8主は命じて祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべてのわざにくだし、あなたの神、主が賜わる地であなたを祝福されるであろう。 28:9もし、あなたの神、主の戒めを守り、その道を歩むならば、主は誓われたようにあなたを立てて、その聖なる民とされるであろう。 28:10そうすれば地のすべての民は皆あなたが主の名をもって唱えられるのを見てあなたを恐れるであろう。 28:11主があなたに与えると先祖に誓われた地で、主は良い物、すなわちあなたの身から生れる者、家畜の産むもの、地に産する物を豊かにされるであろう。 28:12主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう。 28:13主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えることはないであろう。きょう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。 28:14きょう、わたしが命じるこのすべての言葉を離れて右または左に曲り、他の神々に従い、それに仕えてはならない。
日本語の聖書 さま サイトより 28章1節から14節(口語訳聖書)を引用
祝福という言葉を、頂点となる、とか、頂点に据える、とか、最高のものとする、と言い換えてもそれほどの違和感はない・・・ですね。
 
それでは
28章二つめのまとまりと三つめのまとまりの話に飛びたいと思います。
 
 
二つめのまとまりは15節からの部分、「のろい」の話です。「戒めと定めとを守り行わない」場合に起こる事態が書かれています。
しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。申命記28章15節(口語訳)
 
そして三つめまとまりは58節からで「災い」の話です。「律法のすべての言葉を守り行わず、あなたの神、主というこの栄えある恐るべき名を恐れない」という、律法以前の問題というか
「わたしはある」と語られる主を信じることもなく、主への恐れが一切ない人について書かれています。
 
もしあなたが、この書物にしるされているこの律法のすべての言葉を守り行わず、あなたの神、主というこの栄えある恐るべき名を恐れないならば、 主はあなたとその子孫の上に激しい災を下されるであろう。その災はきびしく、かつ久しく、その病気は重く、かつ久しいであろう。申命記28章58、59節(口語訳)
「主という栄えある恐るべき名を恐れない」のはお名前を知らないわけではない人の態度でしょう。
知らなければ恐れようがないわけですから。
 
 
さて、
「のろい」という言葉はヘブライ語でStrong's Hebrew 7045 qelalah
קלָלָה
といいます。
この言葉は創世記27章の12節13節にも「のろい」として登場する言葉です。 
27:12おそらく父はわたしにさわってみるでしょう。そうすればわたしは父を欺く者と思われ、祝福を受けず、かえってのろいを受けるでしょう」。 27:13母は彼に言った、「子よ、あなたがうけるのろいはわたしが受けます。ただ、わたしの言葉に従い、行って取ってきなさい」。
日本語の聖書 さま サイトより 創世記27章12節、13節(口語訳聖書)を引用
 
そして「災い」はStrong's Hebrew 4347 makkah もしくはmakkeh
מַכָּה
です。
この言葉は民数記11章33節の疫病であったり、ヨシュア記10章10節のギベオンでの大殺戮というところに使われています。
 
「のろう」という翻訳語が充てられている
Strong's Hebrew 7045 qelalah
קלָלָה
は、
先頭の文字קクフが、以前書いた記事のように「聖なる」という意味の語で用いられるクフと同様に考えると、
(参考)「聖ということ」https://kyudochu.blogspot.com/2019/09/blog-post.html


たくさんいる中から分けるというようなニュアンスを持っていて、
また二つ並ぶלラメドは以前書いた記事でも書きましたが


לは杖や突き棒の形からできた文字でありלラメドという言葉に近い
לָמַד lamadという言葉はteachつまり教えると訳されているわけですから
そしてその文字が念を押すように強調するように二回繰り返されているので、
厳しいけれどもまだどうにか救いがあるような
教育的な印象を受けますが、
 
Strong's Hebrew 4347 makkah もしくはmakkeh
מַכָּהという言葉は
メムから始まり、メムはメギドだとかマイムとかのメムで、
二文字目はカフで、手のひらを描いた文字
勉強不足なのでまだどういうニュアンスがあるのかよくわかりませんけれども、
大殺戮という翻訳語が充てられるような
もはや救いのない状況・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
主を尋ねよ。
近くおられるうちに呼び求めよ。
悪しき者はその道を捨て、
正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。
そうすれば、主は彼にあわれみを施される。
われわれの神に帰れ、
主は豊かにゆるしを与えられる。イザヤ書55章6、7節