マリヤの賛歌のところにでてくる「主をあがめる」という心持ちが「祝福」という思いではないか、というようなことを前回書いたのですが、
ルカによる福音書1章46節の主をあがめるというところに使われているギリシャ語は
Strong's Greek 3170 μεγαλύνω megalunó 動詞です。
でこの言葉は新約聖書に8回しか使われていません。
具体的にはこのルカ1章46節のほかに
前回も引用したマタイ23章5節 衣服の房を「長くしたりする」
使徒5章13節 民衆は彼らを「称賛していた」
使徒10章46節 神を「賛美している」のを
使徒19章17節 主イエスの御名は「大いにあがめられる」ようになった
二コリント10章15節 ますます「増大する」
ピリピ1章20節 キリストが「あがめられる」ように
というわけで、「祝福」と訳されている箇所は一か所もなく
というか、Strong's Greek 3170 μεγαλύνω megalunó の語源は
Strong's Greek 3173 μέγας megas であり
意味はlarge, great であって、直情的というか、自分を小さくして相手を大きくするような、「つつましい感じ」は無い印象を受けました。(英語の greatに対する偏見かもしれませんが)
例えばマタイ2章10節
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
「非常な」というところがμέγας megas です。
そして、完全にこれは祝福とは違う、バラクではないぞ、と断定させてくれるのは
マタイ4章16節。
暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、
「大いなる」というところが該当箇所ですが、ここはイザヤ書9章2節の引用ですから、その箇所のヘブライ語を調べればこのギリシャ語がバラクとイコールであるか否かわかるわけですが、ここは
Strong's Hebrew 1419 גדול gadol というヘブライ語がつかわれています。
というわけで、「大きい」のです、ラクダのように(笑)
というわけで、μεγαλύνω megalunó も μέγας megasとおなじように、物理的な大きさに圧倒される感じ、ということでしょうか。
そんなわけで、
次回、日本語の新約聖書で「祝福」と翻訳されている言葉を一つ探し、
次にそれがギリシャ語でどういう言葉になっているかをBIBLE HUBで検索し、
さらに、そのギリシャ語がほかにどんな箇所で使われているのか調べようと思います。