2019年9月21日土曜日

マタイによる福音書25章(6) 聖書のことばを探してみる

注解書や辞典には頼らず、聖書のことばを探そうと考えました。
で、どんなふうにすればいいだろうかと考え、祈っておりましたが、ふと「マタイのことはマタイに聞いたらいいのかも」と思いつきました。
マタイは著者ですし、なにしろお弟子さんですから、たとえ話の深いところについてよく理解してはずです。理解した上で福音書全体を書いているとすれば、彼の書いた文章に何かヒントがあるかもしれません。

そこで、
イエスさまが『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』というようなことをおっしゃった箇所と、それとは真逆のことをおっしゃった箇所を
全体をざっと読んでチェックし、記録することにしました。
そうすることで、マタイがイエスさまから学んだ良いことと悪いことの基準がはっきりするかと思ったからです。


イエスさまの厳しいみことば(概要と箇所)

・塩に塩気がないのはだめ(役に立たない)5章13節
・ファリサイ派の人々の義にまさっていなければ天の国に入れない5章20節
・(従来の教えよりも厳しい基準を示され)天の父が完全であられるように完全な者になれ5章48節
・人の目を意識した偽善はダメ6章1節、5節
・良い実を結ばない木(偽預言者)は切り倒されて火に投げ込まれる。7章15節、19節
(バプテスマのヨハネも3章10節で同様のことを言っている)
・天の父の御心を行う者だけが天の国に入る(行わなければ入れない)7章21節
・イエスさまの言葉を聞くだけで行わない者は砂の上に家を建てた愚かな人に似ている7章26節
・イエスさまが派遣したお弟子さんたちの言葉に耳を傾けようともしない者はソドムとゴモラよりも罪が重い10章14節、15節
・人々の前でイエスさまを知らないと言う者はイエスさまも天の父の前でその人を知らないと言う10章33節
・イエスさまよりも父や母、息子や娘を愛する者はイエスさまにふさわしくない10章37節
・自分の十字架を担ってイエスさまに従わない者はイエスさまにふさわしくない10章38節

・数多くの奇跡の行われたのに悔い改めなかった町々はティルスやシドン、ソドムよりも罪が重い。11章20節
・人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。12章32節
・人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。12章36節
・律法学者とファリサイ派の人々がイエスさまにしるしを見せるよう要求、しかしそれは与えられないとし、ニネベの人たちと南の女王が裁きの時今の時代の者たちと一緒に立ち上がり彼らを罪に定めるであろうと語る。12章38節~42節
・ファリサイ派とサドカイ派のパン種(教え)に注意16章11節、12節
・律法学者とファリサイ派の人々は偽善者 23章14節
・主人が帰ってきた時主人に言われた通りにしていないしもべは厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。24章 51節



イエスさまが推奨されたこと(概要と箇所)

・(律法の)最も小さな掟の一つでもそれを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる5章19節
・人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である7章12節
・狭い門から入る7章13節
・イエスさまの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている7章24節
・だれでも人々の前で自分をイエスさまの仲間であると言い表す者はイエスさまも天の父の前でその人をイエスさまの仲間であると言い表してくださる10章32節
・預言者を預言者として受け入れる人は預言者と同じ報いを受け正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける10章41節
・イエスさまの弟子だという理由で冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は必ずその報いを受ける 10章42節
・自分を低くして子供のようになる人が天の国でいちばん偉い18章4節
・イエスさまが求めるのはあわれみであっていけにえではない9章13節、12章7節
(この言葉とほぼ同じみことばがサムエル上15章22節、ホセア6章6節、箴言21章3節、ミカ書6章8節、コヘレト4章17節、イザヤ書1章11~17節、エレミヤ書7章22、23節にも見られる)