2019年9月21日土曜日

マタイによる福音書25章(8)世の光

「そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
マタイによる福音書25章1~4節」



おとめたちの持つ「あかり」そして「油」というものを考えていましたら幕屋の常夜灯を思い出しました。
出エジプト記を見ると幕屋の常夜灯というものがありますけれども
真っ暗な幕屋の中で朝までともされる常夜灯というものはじつに象徴的です。

「あなたはイスラエルの人々に命じて、オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持って来させ、常夜灯にともさせなさい。
常夜灯は臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に置き、アロンとその子らが、主の御前に、夕暮れから夜明けまで守る。これはイスラエルの人々にとって、代々にわたって守るべき不変の定めである。
出エジプト記27章20、21節(新共同訳)」


テレビで
真っ暗な部屋の中、女性が涙を流されていた場面を見ました。
台風15号による大規模停電で、すでに一週間もの間、懐中電灯だけで生活されているのだそうです。暗闇の中、ひとりぼっちでさみしいといって泣いておられたのです。
リポーターの方が停電が続く夜の町を取材しておられる場面も見ました。
テレビ局が撮影のために点灯していたライトを消すと
・・・あたり一面真っ暗。真っ暗闇。

真っ暗な夜、光がない、ということが、こんなにも不安でさみしくそして恐ろしいことなのか、と改めて気づかされました。




「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
マタイによる福音書5章13~16節(口語訳)」



「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」


私たちは暗闇のような世の中にあって光。
イエスさまは私たちに、人々の前に光を輝かせ続けるように求めておられる。
光を輝かせるために必要なもの、それが油。
暗闇の中にあって「世の光であり続けたい」と願う時に必要なものが油。

油を入れ続け光らせ続ける
暗い夜の間、私たちは常夜灯の光をともし続ける。

花婿と花嫁の婚礼の時まで。