2019年9月21日土曜日
マタイによる福音書25章(4)「天の国」
日本聖書協会様の聖書本文検索を使って調べてみたところ「天国(口語訳)、天の国(新共同訳)」という言葉はマタイによる福音書と旧約続編のエズラ記(ラテン語)2章37節(新共同訳)だけにしかない言葉のようでした。
天とは神さまのお名前の代わりに用いられている言葉なので、マタイが言うところの天の国とは、マルコ、ルカ、ヨハネによる各福音書、使徒、ローマ、コリント第一、ガラテヤ、コロサイ、テサロニケ第二、そして天の国と表現していないマタイの5カ所で使われている「神の国」という言葉と同じ意味だと考えられます。
ところで、「天の国」「神の国」という言葉は新約聖書には上述のように多用されているわけですが、旧約聖書では見られない言葉です。
そう言うと、ユダヤ教とキリスト教に違いや分断があるように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、そういう語句が見られないというだけで、預言者によって預言されていたことです。だからこそ人々は「その国」を待望し、「王(メシア)」を待望していたのです。
ちょうど、今朝は詩編145編が通読箇所として与えられました。
145編を読むと、「天の国」「神の国」という言葉はなくとも、神さまは私たちの王なのだ、と思いますし、「天の国」「神の国」を理解することができます。
第145篇(口語訳)
ダビデのさんびの歌
わが神、王よ、わたしはあなたをあがめ、
世々かぎりなくみ名をほめまつります。
わたしは日ごとにあなたをほめ、
世々かぎりなくみ名をほめたたえます。
主は大いなる神で、
大いにほめたたえらるべきです。
その大いなることは測り知ることができません。
この代はかの代にむかって
あなたのみわざをほめたたえ、
あなたの大能のはたらきを宣べ伝えるでしょう。
わたしはあなたの威厳の光栄ある輝きと、
あなたのくすしきみわざとを深く思います。
人々はあなたの恐るべきはたらきの勢いを語り、
わたしはあなたの大いなることを宣べ伝えます。
彼らはあなたの豊かな恵みの思い出を言いあらわし、
あなたの義を喜び歌うでしょう。
主は恵みふかく、あわれみに満ち、
怒ることおそく、いつくしみ豊かです。
主はすべてのものに恵みがあり、
そのあわれみはすべてのみわざの上にあります。
主よ、あなたのすべてのみわざはあなたに感謝し、
あなたの聖徒はあなたをほめまつるでしょう。
彼らはみ国の栄光を語り、あなたのみ力を宣べ、
あなたの大能のはたらきと、
み国の光栄ある輝きとを人の子に知らせるでしょう。
あなたの国はとこしえの国です。
あなたのまつりごとはよろずよに
絶えることはありません。
主はすべて倒れんとする者をささえ、
すべてかがむ者を立たせられます。
よろずのものの目はあなたを待ち望んでいます。
あなたは時にしたがって彼らに食物を与えられます。
あなたはみ手を開いて、
すべての生けるものの願いを飽かせられます。
主はそのすべての道に正しく、
そのすべてのみわざに恵みふかく、
すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に
主は近いのです。
主はおのれを恐れる者の願いを満たし、
またその叫びを聞いてこれを救われます。
主はおのれを愛する者をすべて守られるが、
悪しき者をことごとく滅ぼされます。
わが口は主の誉を語り、
すべての肉なる者は世々かぎりなく
その聖なるみ名をほめまつるでしょう。
恵みふかく、あわれみに満ち、怒ることおそく、いつくしみ豊かな王。
倒れそうな人をささえ、かがむ者を立たせられる王。
国民を愛し守られる王。
その王国は永遠に続く・・・
ハレルヤコーラスを思い出します。
King of Kings and Lord of Lords
and He shall reign for ever and ever
Hallelujah
そして、その神さまご自身が
「わたしはある」というお方ご自身が人となってこの世界に来てくださった。
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
出エジプト記3章14節(新共同訳)
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
ヨハネによる福音書8章24節(新共同訳)
そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
ヨハネによる福音書8章28節(新共同訳)
イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」
ヨハネによる福音書8章58節(新共同訳)
事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。
ヨハネによる福音書13章19節(新共同訳)
そして、「わたしはある」というお方はこう言われました。
モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。
申命記5章1節(新共同訳)
וַיִּקְרָ֣א מֹשֶׁה֮ אֶל־כָּל־יִשְׂרָאֵל֒ וַיֹּ֣אמֶר אֲלֵהֶ֗ם שְׁמַ֤ע יִשְׂרָאֵל֙ אֶת־הַחֻקִּ֣ים וְאֶת־הַמִּשְׁפָּטִ֔ים אֲשֶׁ֧ר אָנֹכִ֛י דֹּבֵ֥ר בְּאָזְנֵיכֶ֖ם הַיֹּ֑ום וּלְמַדְתֶּ֣ם אֹתָ֔ם וּשְׁמַרְתֶּ֖ם לַעֲשֹׂתָֽם׃ (注)ヘブライ語の文は右から左に書かれています
שְׁמַ֤ע シェマー (聞け)
יִשְׂרָאֵל֙ イスラエル
イスラエルよ、聞け。
神さまは、私たち人間がみことばを聞き、
聞いたことを受け入れて従う(行う)ことによって
「神さまの支配」を受け入れた
つまり「神の国、天の国の国民」となると教えられました。
イエスさまも「聞く耳のあるものは聞きなさい」ルカ8章8節(新共同訳)とおっしゃいました。
マタイによる福音書7章21節において「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」と言われました。
みことばを聞き、聞いたことを受け入れて従う(行う)こと。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
マタイによる福音書7章12節
マタイ25章31節からのところをまた思い出しました。