2019年9月21日土曜日
マタイによる福音書25章(3)「目を覚ます」という言葉
だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
マタイによる福音書25章13節(口語訳)
タラントのたとえを考えつつ、ふと目の行ったマタイによる福音書25章13節のみことばを読みました。
聖書ではどのくらいの数、上のマタイのみことばのようなニュアンスで「目を覚ます」という言葉が使われているのでしょうか。
日本聖書協会様の聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
を利用し調べてみましたら。驚くような数!
とても引用しきれないので
福音書に限定してどんなものがあったのか引用させていただこうかと思います。
以下口語訳聖書から引用、文末のカッコ内に新共同訳と書いてあるところだけ新共同訳聖書から引用
だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。マタイ24:42
このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。マタイ24:43
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。マタイ26:38
それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。マタイ26:40
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。マタイ26:41
気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。マルコ13:33
それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。マルコ13:34
だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。マルコ13:35
目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。マルコ13:37
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。マルコ14:34
それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。マルコ14:37
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。マルコ14:38
三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 マルコ14:41
主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。ルカ12:37
主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。ルカ12:38(新共同訳)
これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。ルカ21:36
祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって 言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。 ルカ22:45、46
一番初めに引用したマタイ25章13節のみことば
だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
マタイによる福音書25章13節(口語訳)
これは英語の聖書だとこう訳されています。
Therefore keep watch, because you do not know the day or the hour.
(New International Version)
Watch therefore, for ye know neither the day nor the hour wherein the Son of man cometh.
(King James Version)
また、マルコの14章37節 も
それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。マルコ14:37
英語の聖書ではこうなっていて、
Then he returned to his disciples and found them sleeping. "Simon," he said to Peter, "are you asleep? Couldn't you keep watch for one hour?
(New International Version)
「弟子たちが眠っていた」「眠っているのか」という日本語については英語でも同様なのですが、「目をさましていることができなかったのか」という言葉は「Couldn't you keep watch」となっています。
これは、ギリシャ語ではγρηγορέω 読み:grégoreó で、
Strong's Exhaustive Concordanceによるとbe vigilant, wake, be watchfulということであるらしく、つまりvigilantとは油断なく番をする、油断のない、用心深い
そして、be watchfulも(常に注意・警戒を怠らず)用心深い、警戒する、(…を)用心して、警戒してということで、
まあ、wakeは目覚めるという意味ですが、
単純に眠らず起きてるという話ではなく、「警戒しているように」イエスさまがおっしゃっていたのだ、ということがわかります。
そして、その数から考えさせられることは、
それだけ何かが危険である、ということです。