2016年6月18日土曜日

主は寛容なお方(3)「子どものように、自分を低くする者」とは

前回まではマルコの福音書10章15節の「子どものように神の国を受け入れる」
ということばを読んでいましたが、今日は関連するみ言葉としてマタイの福音書18章のみ言葉を読んでみることにしました。
マルコの福音書の10章15節に対応している箇所はマタイの福音書19章14節のところだと思うのですが、
イエスさまが「子どもたち」のことを具体的にどのようであるとお考えになっているのかがはっきり書かれているのがマタイの18章4節なので、そのことについて考えようと思いました。
 
 
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
マタイの福音書18章1~4節
「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」
イエスさまは、子ども=自分を低くする者 だと言われています。
しかし、…子どもって自分を低くしているだろうか??
実はずっとこの新改訳聖書の「自分を低くする者」という言葉が引っかかっているのです。
引っかかったまま放置し続け30年。(;^_^A
だって、そう書いてあるんだからそうなんだよ、と納得しなくてはならないまま30年。
しかし!つい最近知ったBible Hubという素敵なサイトがあるじゃないか!そう、2016年のオバサンはついに誰かが作って下さった素敵なサイトによって、完全にあきらめていたギリシャ語で聖書を読むということが出来るようになったのでありました。
世の中が英国のEU離脱の件で大騒ぎしている最中、みんながどよーんと不安いっぱいの顔でいるのに、ひとりうきうきへらへらとパソコンに向かいマタイ18章4節をBible Hubに入力してオバサンmet Greek word at last!!!
ταπεινώσειという言葉なんだそうですよ。で、マタイ18章4節の他、マタイ23章12節に出て来るらしい。
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
というみ言葉の後半の方の「低くする」が全く同じ形。ταπεινώσειというのは英語ではwill humbleなので、前半の方の「低く」は「低くされ」という受動態なのでちがう形の言葉ταπεινωθήσεται,になるみたいです。
 
で、これでは結局「低く」という言葉しか新改訳の中では見あたらないので
ταπεινώσειではなく、ταπεινόωという言葉で調べることにしました。
ταπεινόωは14箇所あって、マタイ18:4 、23:12のほかにルカ 3:5(山と丘は低くされ)ルカ14:11(自分を高くする者は低くされ)ルカ18:14 (自分を高くする者は低くされ)​
Ⅱコリント 11:7(自分を低くして報酬を受けずに)Ⅱコリント12:21(はずかしめる)
ピリピ2:8(自分を卑しくし)ピリピ4:12 (貧しさの中にいる道も知っており)
ヤコブ4:10(へりくだり)Ⅰペテロ 5:6(へりくだり)
 
 
やっぱり子どもはへりくだって低くなっているんだろうか…
 
 
と、そこまで考えて
30年の謎がするっと解けた!(と思った)
 
 
 
わかった、そうじゃないんだ。
「大人」であるのに「子どものように」なるってことだ。
 
「子ども」と呼ばれる年代の人たちが、へりくだっていて素晴らしい模範的な人っていうことじゃないんだ。
何でも出来る大人になって、いっぱしの口もきける大人になった、
だ・け・ど・
そうなんだけど、そういう大人でありながら低くなる、
へりくだって小さく小さくなるってことなんだ。
 
「子どものように、自分を低くする者」
というのは、
子どもっていうのは自分を低くしていて素晴らしいからそういう子どもの真似をして低くしなさいね、って言っているのではなく、
経験を積んでそして学問を修めた大人になっても、自分は子どものような小さいものだ、取るに足らないちっぽけな者なんだと考え、そういう態度でいなさいよ、ってことなんだきっと。
神さまが、人となって来てくださったその「へりくだり」だ。