2016年8月13日土曜日

二羽の雀

二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
マタイによる福音書10章29節


今日、祈っているとき、マタイ10:29のみことばがふと心に浮かびました。
私たちの天の父は小さな小さなすずめたちのいのちもこころにかけていてくださるお方なのだなあと思いました。
 
アダムによって罪が入って以来、
人はお母さんのお腹の中で存在し始めた瞬間から身体にも心にも弱さを抱えるようになりました。
それで、身体も、心も、病み、苦しまなければならなくなりました。
しかし、それは神さまがうっかり目を離したり私たちのことを忘れてしまわれたからではないのだ、ということを
マタイ10章のみことばは語ります。

あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。

このみことばを読みながら同時にヨブ記の2章にある神さまとサタンのやりとりを思い出すと「なぜ」と問いたくなることもありますが、
しかし、全地全能のお方に自分のような小さな者がたずね、なにがしの回答を得たところで、レベルが違いすぎてきっと理解できないのです。
 
ただ、覚えておかなければならない忘れてはいけない間違いのない確かなことが一つ。
ヨブの件についてもそして私たちの苦しみに関することについても神さまは「許可」を出されているのだ、ということ。
 
身体を病み、その結果として万一主のみもとに召されることになったとしても、
心を病み、その結果として万一主のみもとに召されることになったとしても、
 
それは、神さまが決して無関心であったわけでも、
うっかりしていたわけでも、
失敗したわけでもない。
 

 許可を出されたから。

 
愛する者を苦しめるほどの意味と価値がそこに在ったから。
 
 
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
マタイによる福音書10章29節