3:1サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。 3:2目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。 3:3だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。(口語訳)
私は30年以上の間「新改訳聖書」を読んでおりましたので気づきませんでしたが、口語訳もしくは新共同訳聖書を開くと3章2節に「残りの者」という表現があるのです。
「目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。(口語訳)」
新改訳聖書では、ここを「ほかの者」と訳しているのですけれど、ギリシャ語聖書にはこう書かれています。
λοιπὰ (loipa)
Strong's Concordanceでこの語句を見ると、
Short Definition: left, left behind, the remainder
Definition: left, left behind, the remainder, the rest, the others.
とあって、the othersという訳語をあてることに問題はないのですが、
left, left behind, the remainder, the rest,というニュアンスを持つ語だと理解すると少々話が変わります。というのは、
旧約聖書に書かれているところの「残りの者」という言葉には、神に従っていたからこそ滅ぼされずに地上に残されたものたちという意味があるからです。
たとえばノアの箱舟のストーリーにおける滅ぼされた者と残った者との違い、
ほかには列王記上19章のところ、そこではエリヤのエピソードの中で、神さまがこのように語ってくださる場面があるのです。
「また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である 列王記上19:18(口語訳)」
ここにある「残す」という言葉はヘブライ語でוְהִשְׁאַרְתִּ֥י wə·hiš·’ar·tî
この語はこの形でゼパニヤ書3章12節に登場します
3:12わたしは柔和にしてへりくだる民を、
あなたのうちに残す。
彼らは主の名を避け所とする。
3:13イスラエルの残りの者は不義を行わず、偽りを言わず、
その口には欺きの舌を見ない。
それゆえ、彼らは食を得て伏し、
彼らをおびやかす者はいない」。
ほかに、
「残りの者」という表現が多用されているイザヤ書から10章20~23節のところを引用してみます。
10:20その日にはイスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは、もはや自分たちを撃った者にたよらず、真心をもってイスラエルの聖者、主にたより、
10:21残りの者、すなわちヤコブの残りの者は大能の神に帰る。
10:22あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。滅びはすでに定まり、義であふれている。
10:23主、万軍の主は定められた滅びを全地に行われる。
שְׁאָ֤ר šə·’ār
ただ、ここに挙げたような表現を見るだけでは黙示録3章2節の「残りの者たち」新約における「残りの者たち」が本当に同一のものなのかぼんやりしていますね。
こんなときにこそ、パウロの聖書解説!
上に引用した列王記上19章の御言葉について、パウロがローマ人への手紙11章で解説してくれているところがあります。
「しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」。それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。11:4~5」
「残りの者」という言葉には神さまの恵みによって選ばれ、滅びずにまだこの地上にいる者という意味があるのだ、ということがわかります。