2022年12月7日水曜日

ぶどう園に行ったのは誰?

マタイの福音書21章28節からのところ。

あなたのお持ちの聖書では、だれがぶどう園に行ったことになっていますか?

新改訳第3版も、口語訳でも弟が行ってます。

口語訳から引用しますね。

あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。
 
兄は行かなかった、弟は行った、・・・ですよね。
 
でも新共同訳も聖書協会共同訳も兄が行ってます。

BIBLE HUBでギリシャ語と、それに対応している英語の訳を読んでもそうです。

 


明治訳を読んでみたら
 
 
 
21:28爾曹いかに意ふや或人二人の子ありしが長子に來りて曰けるは子よ今日わが葡萄園に往て働け 21:29答て否と曰しがのち悔て往たり 21:30また次子にも前の如く曰けるに答て君よ我往べしと曰しが遂に往ざりき 21:31此二人のもの孰か父の旨に遵ひし彼等いひけるは長子なりイエス彼等に曰けるは誠に爾曹に告ん税吏および娼妓は爾曹より先に神の國に入べし  
馬太傳福音書21章28~31節(明治訳 日本語の聖書さまサイトより)

明治訳聖書を読んでいたであろう高祖父とこの箇所の話をした場合
「ぶどう園に行ったのは誰?」と聞いたらきっと高祖父は
「お兄ちゃんが行ったって書いてあるだろ?」と答えるでしょう。
新改訳を読み慣れていた私とはまた話が合わない。
まあ、新改訳も、第三版ではなく最新版のものではお兄ちゃんが行っているようでした。
 

お兄ちゃんが行っているということになると
これまで教わってきた「兄とは~のことで、弟とは~のことで」という解釈が変わってしまうと思うのですが、皆さんどういうふうに受け止めているのかしら。

新改訳を読んでいる教会にそういう柔軟性ってありましたっけ?(;´Д`A ```