2018年5月5日土曜日

聖書の中に描かれた「繰り返される」風景

主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。
「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。
万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。
あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。
もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、
寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、
わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。
見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。
あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、
わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。
わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。
わたしが初めにわたしの名を置いた場所シロへ行き、わが民イスラエルの悪のために、わたしがその場所に対して行ったことを見よ。
主は言われる、今あなたがたはこれらのすべてのことを行っている。またわたしはあなたがたに、しきりに語ったけれども、あなたがたは聞かず、あなたがたを呼んだけれども答えなかった。
それゆえわたしはシロに対して行ったように、わたしの名をもって、となえられるこの家にも行う。すなわちあなたがたが頼みとする所、わたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの所に行う。
そしてわたしは、あなたがたのすべての兄弟、すなわちエフライムのすべての子孫を捨てたように、わたしの前からあなたがたをも捨てる。
エレミヤ書7章1~15節(口語訳)

今日の聖書通読はエレミヤ書7章の始めの辺りでした。

エレミヤが主の家の門に立って神さまの御言葉を語る場面です。

「主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。」

ということでした。

主を拝むために主の宮にやってきたユダの人ですから、主を知っているはずで、主を拝みにやってきたというのですから拝みに行かない者と比べたら信仰に篤い人々だ、と外から見れば思うわけです。
で、その人たちに神さまが何とおっしゃったのか。

「万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。」

そうです、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めろ、と言うのです。
主の宮に行き主を拝もうとしている敬虔そうに見える人々に「道と行いを改めろ」と。
そして神さまは御言葉をさらにこう続けられるのです。

「もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、
寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、
わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。
見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。
あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、
わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。」

神さまがおっしゃった御言葉を言い換えるならこういうことになります。

  • あなたがたは互いに公正を行っていない
  • あなたがたは寄留の他国人とみなしごとやもめを虐げている
  • あなたがたは罪のない人の血をこの所に流している
  • あなたがたは神さまのことばではなく偽りの言葉を頼みにしている
  • あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、まことの神さまの神殿に来て「われわれは救われた」と言っている



それで神さまは預言者エレミヤをとおしてこう言われます。

 「わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。」



ここで、イエスさまの来られた後のエピソードをマタイによる福音書21章から引用してみたいと思います。

21:10イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。
21:11そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。
21:12それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
21:13そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
21:14そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。 21:15しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、
21:16イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
マタイによる福音書21章10~16節(口語訳)

イエスさまは主の神殿におられます。そして、怒りをあらわにされます。

「宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされ」

そしてその後にはこう語られ、

「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。

 同時に身体の不自由な人々を不自由さから解放してくださいました。

そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。




そして時は経ち、現代。


主の神殿と呼ばれる「建物」はありませんが、主を知り、メシアを信じ、神さま(聖霊さま)のご臨在される至聖所を内に持つキリスト者は、パウロが一コリント6章19、20節で表現しているように「宮」主の神殿です。

あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。一コリント6章19、20節(口語訳)


生けるまことの神さまが造られた人間。蛇の誘惑に負けて罪が入りエデンの園から追放されたけれども、ひとり子の命をもって神さまは私たち一人一人を買い取って下さり、エデンの園で初めに造られた時と同じ立場を与えられ、人間が神殿となった現代、

そして間もなく再臨の主をお迎えするであろう現代、


エレミヤをとおして神さまが語られその御言葉ののちに行われた
イエスさまが宮で語られ行われたような

そのようなことがもう一度ありそうな気がします。

さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。
また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。
一ペテロ4章17、18節(口語訳)

「さばきが神の家から始められる」「義人でさえ、かろうじて救われる」
と語るペテロの言葉に、全くその通りであろう、と思うのです。




「主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。」
神さまはエレミヤを通してまずこう呼びかけました。
主は同じように私たちキリスト者に語られます。「主の言葉を聞け」と。
主は何とおっしゃっているのか、主は何を私たちに求めておられるのか。
唯一の主は、旧約時代から今に至るまで唯一の主であります。ブレはなく一貫した同じ神さまです。その神さまが私たちに何を求めておられるのかというのは昔から一切変わっていません。
いつの時代にあっても寄留の他国人とみなしごとやもめを虐げ、罪のない人の血を流す者を主は退けられます。国も、個人も。

そして、

黙示録3章14節~22節(口語訳)

ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。



神さまに

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」


と、言われることのないようにしたいものです。

教会の外に立ってドアをたたいている主、
クリスチャンと呼ばれている人の中(神殿の中)に入れないのでドアをたたいている神さま 。          

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」